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魂すらも行き交う港町で / 映画『横須賀綺譚』

fictional reality
フィクションめいた現実に対し、心の距離の取り方に揺れる貴方へ

ネタバレに触れるかもしれないので観賞後にお読みいただければと思います。


初日舞台挨拶付き上映。昨年7月のカナザワ映画祭以来、1年ぶり/2度目の鑑賞。パラレルワールドよろしく「想像し得なかった未来」を生きる今、抱く感想も変わらざるを得なかった。1席飛ばしの椅子に腰を沈めて。

あらすじ(公式サイトより)

結婚目前だった春樹と知華子は、知華子の父が要介護になったため、別れることとなった。
春樹は、知華子との生活と東京での仕事を天秤にかけ、仕事の方を選んだのだ。
それから震災を挟んだ9年後、被災して死んだと思われていた知華子が「生きているかもしれない」との怪情報を得た春樹は 半信半疑のまま、知華子がいるという横須賀へと向かう。

所感

まず、良くも悪くもあまり「震災映画」として観ないでもらいたい。私も便宜上使い分けないこともあるけど「東北」と言っても一括りにはできなくて、太平洋側と日本海側、沿岸部と市街地でも状況が違う。未だ家に帰れない方達だって居る。悪い意味ではなく、「少し遠い」人たちが、真実を知る為ではなく自分や社会の在り方を再考する為に観てほしい。

カナザワ映画祭に足を運んだ時は、その数ヶ月前に長屋さんの初主演作『FUKUSHIMA DAY』の数年ぶりとなる上映会実施に携わらせていただいていたので、震災について再考したいムードが自分の中でも高まっていた。

だからこそ1度目の鑑賞では"オチ方"が許せなくて、事実から距離を取ったことに対し納得のいかない気持ちがあった。ただ今回2度目の鑑賞では、単なるオチ方でなくSF的要素と受け止めれば、このコロナ禍においては受け入れやすいかもと感想が転換した。

猛威を振るう新型感染症は全国的どころか世界的な問題になっていて、局地的災害・事件の「何処か遠い出来事」とは少し温度感が違うけれど、身近に罹った人が居なければ温度差はきっとある。テレワークの可否、"不要不急"の捉え方等で生まれる争いだって何度も目にした。

そして震災のことは更に意識から遠ざかる。それは大雨や別の感染症、火山の噴火、遠い国の戦争や災害のことだって、心配こそすれども遠い出来事であるのと同じことで、何処かを責めれば何処かで責められる世界に生きているのだと心底思う。自分事として捉えられなければ人はすこしずつ忘れていく。すべてを憶えて生きていくことは出来ない。心のキャパシティには限界がある。そんな映画が、槍玉に挙げられている新宿で皮切られてしまう、仕組まれた勇気。例に漏れず私も訪れるかは迷いに迷ったし、刺されるのが怖くて当日に感想を出すことは出来なかった(1秒でも早くやった方が偉いと思っているので無力さに落ち込んでいたりした)。それでも好転しない状況を憂いているだけでは何も変わらないから、ある意味で覚悟を持ってスマホの画面に指を滑らせている。保菌者のつもりで感染防止に努めながら、後悔しない日々の重ね方をしたのだと自負して。


昔から港町には人が行き交う。流れ着いて、旅立っていく。彼女もおじさんも後輩社員も全員が「存在し得ない魂」なのだとしたら、魂すらも行き交う港町で夢を見ていたのだ。米軍基地という、これまた「何処か遠い」問題を孕んだ横須賀で。

この映画の解が「忘れていませんか?」だとして、それはもしかしたらいま考えるには難しい話題なのかもしれない。それでも「あの時に何が出来たか」を考えたって仕方のない世界で、「いま何か出来ることがあるか」を考えながら呼吸を続けていくしかないのだと改めて思う。


この曲が似合うなってずっと聴いてる。

"flashback tripして 触れて
 かわるがわるの世界に 君を捜して
 一瞬だけでも 光 見せて
 やがて醒める夢を今 追いかけてく"
(flashback trip syndrome - School Food Punishment)

思えば薄情な彼が知華子を探しにいくということが「綺譚」だった。散々「執着しない」「愛が無い」と言われた彼の捜索/創作。この曲の発売日は2011/7/13で、日まわりの偶然を勝手に愛おしく想う。最後の歌詞を映画のラストシーンと重ねて祈ってしまう。


▶︎初日舞台挨拶の映像(前編)

初日舞台挨拶の内容と重複する部分もありましたが
▶︎インディーズ映画紹介番組『シネマチラリズム』
大塚信一監督、しじみ、長屋和彰、上田慎一郎監督補


数日前突如しらされた出来事は綺譚の様に現実感が無く、呆然としながら、止まらない時の中で思い出しては辿る。


【追記】フォーラム福島で3度目の観賞。

大塚監督と支配人のトークが小一時間。監督は福島で上映するのが怖かったことを吐露し、配給がついたからフォーラム福島へ試写物を送れたと仰っていた。福島のお客さんの反応を聞きたいけど怖いと言う監督は多いです、と支配人。私も福島に住む方々がどんな風に捉えるのかが気になっていたから、このツイートの様なことを支配人が仰っていたのは印象的だった。ドキュメンタリーになっていないことが却って良いのだという事実(≠真実)。「あそびたいけど、あそんではいけない」難しさを内包し、二度目の原子爆弾が落とされた長崎にルーツを持つ監督がキャストと"喧嘩しながら"作った映画。支配人は「5〜6本作った監督の7〜8本目の作品かと思ったら、ほぼデビュー作だというので驚いた」と褒め、「いま上映しておけば次もやらせてくれるかもしれない」と冗談めかして仰っていたが、そういう縁が繋がっていけば良いなと勝手ながら密かに願った。私にとっても縁づいた一日だったから。

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