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私が「自然な形での出産」を望むわけ:なぜ、そう望むようになったのか②

こんにちは。みちです。
今回は、私の生い立ちについて綴ろうと思います。

親子関係。
それは、私にとって、とても難しい関係構築だった。
相手が目の前にいるのに、声が届かない。気持ちが伝わらない。認めてもらえない。でも、嫌いになれない。

これからの文は暴力などが含む内容です。
気分を害したり、気持ち悪くなったりする方がいるかもしれません。
悩んでる方など、読まない方が良い時もあるため、どうか避けてください。


誕生〜幼少期

1988年、自然ある工業地域に私は第2子として誕生した。
あの頃は、父と母は仲が良く
季節ごとの家族旅行へ行き、とても楽しかった記憶がある。

小学生の頃

この時期の記憶から、所々暗い記憶になる。
元々、お酒を飲む人ではなかった母親が、
料理をする時や、テレビを見る時など隠れて飲むようになっていた。
夜や土日になると、酔っている母を私は不思議に思っていた。

最も古い記憶で、忘れられないのは
どんな経緯でそうなったのかは覚えていないが、
「私なんて生まれてこなければよかったね」と言った時に
酔っていた母は
「そうだね、生まれてこなければよかったんじゃない。」と返答した。
私の中で、一瞬にして何かが崩れた瞬間だった。

中学生の頃

この時期になると母親は家にいる時は常に酔っていた。
片付け忘れた空の缶チューハイが、ドアの隙間にある光景を今でも思い出す。
進路について相談しても、まともに受け取っててもらえない。
塾帰りの車は、お酒臭くてまっすぐ走れない。

それを見た家族は常に怒っていたし、反抗期にだった兄は母に手をあげていた。その頃の私は、過呼吸症状をくりかえるようになっていた。

高校生の頃

この時期が1番最悪だった。
父と母が毎朝喧嘩している声が起きる毎日。
兄の反抗期がひどくて、壁に穴が開いてて暴力がある日常だった。

でも、何もないかのように私は過ごさないといけない。
助けてくれる大人はいない。
家庭状況を他人に伝えることは恥だと思っていたので、誰にも言えない。
父や母に話しても静かにしてくれない。兄は、怖い。
その日々の中、私は声をなくし、食べることをできなくなった。
精神科に行ったが、原因となる家庭環境は変わらないため、
1ヶ月以上高校を休んで闇の中にいた。
薬を多く飲んでも、食事を取らなくても死ねない。
それなら、生きるしかないかと考えが変わり、高校にまた行くようになった。

高校に行くようになっても、家の中は変わらない。
隠しながら、高校生を過ごしていたに交通事故に遭い、入院をした。
手術の前日、母が付き添って泊まってくれたが、暗闇から缶を開ける音がする。そう、こんな時でもお酒をやめられない状態になっていた。

18歳〜自立するまで

どんどん状況が悪くなっていた。
家の中は常に、叫び声のような大きな声と暴力。
家族の全員が疲れていた。
でも、生活をしていないといけない。

父とはどうにか会話ができたため、
私が看護師免許を取るまで支え合いながら
毎日を寄り添いながら生きていた。

母と兄とは、会話ができたとしても最低限。
それでよかった。
その後、母はアルコール依存症と診断され入院を何回も繰り返して断酒をした。兄とは、一言も話をしない関係になっていた。

そして、私は地元を離れ、生活を始めた。

大人になったら

私は自立して大人になったら、いつか分かり合えると思っていた。
周りのような家族のようになれるように
母との関係がよくなるように、兄とも程よくなるように
試みたが、伝わらない。声が届かない、理解してもらえなかった。

母と子の関係というのは、とても切ない。
どんなに辛い出来事があって憎むほどの感情が出てきたとしても
愛されたいという気持ちを捨てられない。
それは、日常の人間関係にも影響を及ぼすほどだ。

結論:でも、幸せになりたい

こんな生い立ちだが、周りの方々には大切なことをたくさん教えてもらった。
病院勤務時代に出会った患者さんとは、10年以上文通をする仲になり
困った時には、人情味あふれる人たちに助けてもらった。

そして、現在。
幸運なことに、いつも大切に想ってくれる旦那がいて
お腹には愛おしいと思える子供がいる。

でも、妊娠というのは心身の影響が大きくかかる上、
母親と決別した状況が辛い状況には
早急に何かしら答えを出さないとやっていけない。

私の幸せを私が祈って、大切な人もそれを望む以上、
落ちていくわけにはいかない。

そして、幸せになるためにどうしたらいいのか
これからの命を愛おしく大事にしていくためには
なにが出来るのか模索する毎日になった。

次回のnote

長い文章を、ここまで読んでくださり、大変ありがとうございました。
吐き出すように書いた文は読み苦しかったと思います。すみません。
次回からは、こんなに暗い内容を記載することはありませんので
どうかご安心ください。

次回は、妊娠が発覚して初めて産婦人科に行った時の話です。
内容は、「子供がわかって感動したこと、そこでわかった体の変化と私の決心。命の現場なのに、殺伐とした空気感。」について書こうと思います。

#妊娠 #出産 #臨月 #子供 #家族



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