聴く禅。

最近noteを書いてませんでした。

しかし、書いてなくても時々スキやフォローが来るとめちゃくちゃ嬉しいですね。皆さんありがとうございます。

「技芸(アート)としてのカウンセリング入門」

という本は前にも紹介しましたが、改めて紹介すると

プロのカウンセラーの聴き方が学べる本です。難しい言葉は一切使われておらず、日常での対人関係においても使うことのできるテクニックがたくさんつまった本です。

復習するために、改めて読んでみると「聴く禅」という言葉が目に入りました。なにせ禅マニアなもので。

では「聴く禅」とはどういうことなのか?

禅とは、本来言葉では説明することはできないのですが、あえて一言でいうなら、

ただ、「今」を見ることです。

これだけです。これ以上でもこれ以下でもありません。
これに「聴く」要素を加えます。
そうすると、

ただ、ありのままに相手の話を聴く。

になります。

「おいおい、それだけかよっ」と思いましたが、実際ただありのままに聴くというのは超絶難しくて、例えば誰かの相談を受けているときには、「もっとこうしたらいいんじゃないか」「それはダメじゃないか」「その方がいい」とその問題を解決するために、あれこれと判断、考えをめぐらしますよね。

聴く禅では「ありのままに聞かねばなりません」
つまり、こういった判断や考えをめぐらしているときは、「聴く禅」とはいわないのです。

これらのことを考えると「聴く禅」はかなり難しいですよね。

「聴く禅」の効果

ただありのままに聴くのはわかったんだけれども、はたしてそれで問題は解決するのか?という疑問がわき起こりました。note界隈のみなさんもそう思いませんか?

結論から言えば、これだけでは問題は解決しないでしょう。

ただ、何か悩んでいるときに自分の体験をありのままに聞いてもらったとしたら、なんだか少し楽になるような気もしますよね。そこで

実験をしました。※ここからは私の体験です

どんな実験かというと、友人の話を「聴く禅」的な立場で聴くという実験です。

意識したポイントは3つ。

・でも、いや、しかしなどの接続詞はつかわない。
・「こうしたらいいのでは」というような助言もしない。
・相手のことをよく見る

これらを意識して、友人の話を聞いてみました。日常会話のなかで試したので話の内容としては、悩み、楽しいこと、最近気になっていること、とかなり幅色いジャンルの話でした。

実験結果

あくまで主観ですが結果としては、以下のようなことが起きました。

・会話が終わってさよならするとき、なんだか相手はスッキリしたような印象がある。

・話しているなかで、自分では気づかなかったことに自分で気づく

・時々、意見を求められる。

・話の内容がより深いところまで行く

こんな感じでした。

実験は成功なのか失敗なのかどちらかわかりませんが、「聴く禅」を意識していると相手の心の揺らぎなどが直に感じられるような気がしました。

ただ、聴くことに集中しすぎてあんまりしゃべらなかったせいか友人には、「もっとしゃべれよ」「何考えてんだよ」と言われてしまいました笑

ある程度こちらも何か感じたことを言わないとダメですね。笑

結論

実験がたのしかったので、note界隈のみなさんも友人で「聴く禅」を試してみてください。笑
もしかしたら、今までにない会話の広がりがあるかもしれませんね。

※精神疾患の人にいたずらにやるのはやめましょう。

参考

杉原保史(2012) 「技芸としてのカウンセリング入門」創元社

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