けだもの

母親が不倫して離婚して、一緒に暮らし始めた不倫相手から虐待され処女を奪われどうにか脱出…

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母親が不倫して離婚して、一緒に暮らし始めた不倫相手から虐待され処女を奪われどうにか脱出したもののいつまでたっても上手く生きられない元少女の記憶整理室

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毒親の世代間連鎖の話

毒親や虐待は連鎖するという。 このことは20代の早い頃に知った。 私の恋人は癇癪持ちの困った人なんだけど、彼の親も強烈にヒステリックで いわゆるモンスタークレーマータイプ。 さらにそのお爺さんが近所でも有名な 酒乱の暴力男だったそうだ。 だから、そんな酒乱の父を見ていたヒステリックな母は絶対に酒は飲まないそうだ。 そうして、その母に育てられた我が恋人は、酒がないと生きていけない癇癪男になった。 私の母はというと、なんにつけても、どうやったらいいか分からないから聞いてるのに

    • 家事ができない女の弁。

      わかるよ。わかります。 私かやらないとあなたがやってくれて、あなたがやらないと誰もやらないことが多すぎるんですよね、たしかに。分かります。 色〜んな人と共同生活送ってきて、毎回言われたから、私はほんとに家事ができないんだと思う。 できないと言っても、まったくできない訳ではない。おそらく周りからはやる気さえあればできるタイプでダラけてるだけだと思われている。でも間違いなく才能がない。 料理は毎日するし、洗濯も定期的にする。 部屋は、ホコリがえらくたまったり散らかっていることが気

      • 憧れのランドセル

        保育園に転園した時にはもう年長組だったので、 あっという間に卒園が近づいてきた。 私たちが暮らしていた母子寮では、小学校入学を控えた子供にランドセルをプレゼントしており、 ある日寮母さんがチラシを片手にその事を説明しにきた。 ランドセルは高いから、良かったね、助かったね。 と言う母の言葉は半分しか聞こえず、チラシの色とりどりのランドセルたちに目を奪われた。 憧れのランドセル。 少し前に、高いからうちは買えないかも、まあ鞄なら何でも大丈夫なのよなんて言われていたところだったか

        • 秘密のあそび

          父が出て行って間もなく、 私たちは母子寮に入った。 幼稚園も辞め、保育園に通うようになった。 ナベちゃんとは相変わらず頻繁に会い、彼の部屋へ遊びに行く事も多かった。 お父さんには時々外で少しだけ会えた。 保育園のクラスにはこどもが5人くらいしか居なかった。 ベリーショートヘアに沖縄米軍のフリーマーケットで買ったボーイッシュな古着を着た、女か男か分からない私に戸惑ってるような子もいたけど 同じ母子寮に住む男の子とは特に仲良くなった。 フニャフニャヘラヘラした歯抜けの顔が可愛く

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        • けだもののいきざま
          9本

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          晴天の霹靂

          バンダナを巻く動作にも慣れ、髪の毛が1センチくらい伸びた頃、東京の幼稚園から連絡がきた。 そろそろ戻ってこないと退園になるそうで、これをきっかけに東京に戻ることとなった。 元の生活に戻ってほどなく、 いつも通り母に迎えられ幼稚園から帰宅し 玄関を開けると、家の中が妙に広々としていた。 父の荷物が綺麗に運び出されていたのだ。 母は承知のことだったのだろう、靴箱の上に置かれた封筒を私に差し出した。 「お父さんから、私子に手紙みたいよ。読んでごらん」 何が起きているかさっぱり

          晴天の霹靂

          海にまつわる話

          住み着いた家の裏庭には、一列にアダンの木が茂っていて、 それをくぐり抜けたら即ビーチだった。 観光客が来るような場所ではなく、隣近所の人たちが遊ぶ小さなローカルビーチ。 ここはどれほど居ても飽きなかった。 掃いて捨てるほどある貝殻やサンゴ、シーグラスを拾い集めて遊んだ。 遊んでる最中に大便がしたくなり、ナベちゃんに言うと、 おもむろに砂を掘って和式便器を作り、その中にしろと言った。 もしかしたらまだあのビーチには、私たち姉妹の大便がいくつか埋まってるかもしれない。(ごめんなさ

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          スキンヘッド家族

          沖縄は、暑かった。 それを理由に、父と暮らしていた頃は長かった髪の毛をバッサリと切られ、私はショートカットになった。 服は基本的に、米軍基地のフリーマーケットで買ってきた、油性マジックの落書入りボロ古着Tシャツにハーフパンツ、キャップ。 眉毛が繋がるほど濃かったこともあいまり、他人から「ぼく」と呼びかけられる事が多くなった。 沖縄の夏は、更に暑かった。 ナベちゃんは、昔負った怪我が原因で髪の毛がほとんど生えないので常にスキンヘッドだった。暑がる私たちに、事あるごとにボウズ

          スキンヘッド家族

          全部パイナップルのせいだ

          パイナップルには、 ブロメラインという分解酵素が含まれていて、口内のタンパク質を少しずつ溶かすから、 口の中がピリピリするんだとさ。 ・ ・ ・ 沖縄の古い平屋建てではよくあるようだけど、 その家は便所が母屋から分離して、個別で建てられていた。 入居したその日、その便所の扉を興味津々に勢いよく開けたら中は真っ黒…?! と思ったのも束の間、床から壁からズワァァアと黒が退いていった。 黒の正体はカベチョロ(恐らく方言。小さいトカゲ)で、そいつらが便所内部全面を覆い尽くしていたの

          全部パイナップルのせいだ

          とんで沖縄

          その頃の母はかなりテンション高く活動的だった。 父とあまりコミュニケーションが取れない中、同年代の人間との関わり合いを求めていたのかもしれない。 ある時、公園の芝生でのんびりしているときに 母はニコニコしながら私に聞いた。 「お父さんとナベちゃん、どっちが好き?」 私は、父のことももちろん好きだが、その時たくさん遊んで貰っていてナベちゃんブームだったので、特に深く考えず 「ナベちゃん!」 と元気に答えた。 それから少し経って、私と妹、母、ナベちゃんの4人で沖縄に行くことに

          とんで沖縄

          魔法使いのいる公園

          幼稚園帰り、母はよく私と妹を自転車に乗せて公園に連れて行ってくれた。 そのうち、私たちのお気に入りのよく行く公園ができた。 そこは少し特殊な公園で、手作りの遊具がたくさんあって、ボランティアの大人が常時数名いた。一緒に遊んだり、遊具を手作りでみんなで作ったり、焚き火をしたり、、などとにかく毎日イベントの絶えない、行けば誰かしら大人がいる公園だった。 もしかすると、常時ではなく、母が大人がいる日を選んで行っていたのかもしれない。 私たちは公園そのものもそうだが、そこにいる大

          魔法使いのいる公園

          3歳児の思考は意外と深い

          その頃の我が家は、アパレル企業バリバリビジネスマンの父、デザイナーの母、私、3歳下の妹の4人家族だった。 当時の収入についてはよく知らないけど、都心のマンションに住んでいて、私は私立幼稚園に通っていたのでそれなりに稼いでいたんじゃないかと思う。 お母さんは優しくて楽しい人で、忙しくてあまり会えないけど、会った時は甘やかしてくれるお父さん、私はとても愛されていた。 今日は私の一番古い記憶について書こうと思う。 妹が生まれたか、生まれてないか 私が2歳か3歳あたりの頃、新し

          3歳児の思考は意外と深い

          はじめに

          これから書き始める内容は、過去に私の身に起こったこと、その時感じたこと、生じた結果を振り返り、遡って記録したものです。 自身の脳内情報を整理するために書く、極めて私的なものであり、 また、私の人生は未だ続いているため、綺麗な結末もハッピーエンドも期待できるものではありません。 また、人によってはトラウマを刺激してしまったり、嫌悪感を感じる場面もあるかもしれないので、お気をつけください。 自分でも、書きながら泣いたり、引っ張られてしまう程です。 それでも読みたい方は、どう

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