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全部パイナップルのせいだ

パイナップルには、
ブロメラインという分解酵素が含まれていて、口内のタンパク質を少しずつ溶かすから、
口の中がピリピリするんだとさ。


沖縄の古い平屋建てではよくあるようだけど、
その家は便所が母屋から分離して、個別で建てられていた。
入居したその日、その便所の扉を興味津々に勢いよく開けたら中は真っ黒…?!
と思ったのも束の間、床から壁からズワァァアと黒が退いていった。
黒の正体はカベチョロ(恐らく方言。小さいトカゲ)で、そいつらが便所内部全面を覆い尽くしていたのだった。
怖かった!
母屋もボロボロで台風の日には雨戸を閉めてガラスに養生テープを貼ってもガタガタと揺れるし、ゴキブリは大きいし、エアコン無くて暑いし、過ごしやすい環境とはいいがたい家だった。
最初に行ったネパール人の家みたいなところに住みたいなと思ったけど、お祭りムードの母にそれを言うことはなかった。
この家でも充分楽しく暮らせるらしい。
子供は受け入れるしかない。

虫や暑さ、頻繁な台風に悩まされながらも、海辺で遊んだり、近所のオジイオバアに遊んで貰ったり、食べたことのない食べ物を食べたり、幽霊が出ると地元で有名な洋館へ連れていかれたり、毎日をエキサイティングに過ごした。

食べ物の話をすると、バンジロー(バンシルー?呼び名には諸説あり)という果物をとても気に入り、すごく沢山食べた。
今でも食べたいなと思うときがあるけど、沖縄以外ではあまり売ってないようで残念。
また、当時沖縄の駄菓子店にはスッパイマンが数粒入ったあたりくじ付きの小袋が販売されていて、これにもハマった。
スッパイマン美味しい。

ある日、どこからか貰ってきた生のパイナップルを皆で食べていた時のこと
私は運悪く口角が切れていて、パイナップルの汁がついた途端、口元に激痛が走った。
そう、ブロメラインにやられたのだ。

あまりに突然の事で驚き、激痛は止まらず、パニック状態で泣き叫んだ。
母にハイハイあーあそりゃ痛かったね〜と洗面所に促され汁を洗い流し、軟膏を塗ってもらったがパニックはしばらくおさまらない。
そんな私にナベちゃんがなげた言葉は
「おおげさ」「弱虫w泣き虫w」「かまってちゃん」
「お子ちゃま〜www」「うるさい」
だった。
泣くな!と強く言われ、時間はかかったが頑張って泣き止んだ。
4歳はもうお子様ではいけないらしい。

この日から、明らかに潮目が変わった。
優しくて面白かったナベちゃんは、しばしば私に意地悪をするようになった。

姉妹げんかで姉の私が引き下がれずヒートアップすると、
どんな理由があろうとも妹の味方をし、
「お姉ちゃんなんだから」とあらゆる我慢を強いられた。
耐え切れずギャン泣きすると、罰を与えられた。

罰の内容はおやつ無し、好きなおかず没収、母屋からの締め出し、その時楽しみにしている事の禁止、お尻叩き、デコピン(痛い)など。

みんなで自転車で連れ立ってお出かけをする時に、罰により置いてきぼりにされ、1人で留守番をした事もある。

畳にふて寝スタイルでボブマーリーのカセットテープを聴きつつ、皆が戻ってくるのを何度も妄想しながら、通りを睨み続けた。
結局、予定通りお出かけは進行したようで、カセットテープが3回裏返り、外は夕暮れ、
楽しみにしていたイベントに本当に行けなかった、連れていってもらえなかった現実を自覚し悲しくなった頃、やっと彼らは帰ってきた。
楽しかったらしい顔をしている。

母はいそいそと荷物を広げながら私を見やり「あら、まだふてくされてるの〜?w」と言った。ナベちゃんも同じような軽いノリで、からかいつつくすぐりを入れてきたり、楽しい時の彼だった。
私はついには笑ってしまい、何事も無かったかのように和気藹々とした空気になった。

ナベちゃんやお母さんは「追いかけてくると思った」と笑い混じりに言った。
それなら先に言って欲しかった。
来るなよ!と強く命令をされているのに行ってしまったら、また罰が増えるかもしれないと思ったから。
冗談だよ、行くぞ!って、戻ってきてくれれば良かったじゃん。

とは言えず、
もじもじと変な顔をして終わった。

同じようなパターンが、日々繰り返された。

私はまだナベちゃんの事は好きだった。面白いし、機嫌がいい時は優しく、不機嫌スイッチを間違えて押さなければ普通に接してくれたから。


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