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バリ島ンガベンセレモニー お弔いの祈り


バリ島の人たちのお誘いは
突然やって来ます。

今日はセレモニーに行こう
早くクバヤに着替えて

早速、シャワーを浴びて
クバヤという伝統衣装を着ました。

10分後に出発

バリ島の伝統衣装クバヤです



セレモニーに参列するときは
基本的にマンディ 身体を清めるため
水浴び(バリ島の人は水シャワー)をし
伝統衣装であるクバヤという上着と
サロンという布を腰から下に巻き付けて
正装を身に纏い参列します。

クバヤを着て
お供え物を持ち
奥さんのバイクにノーヘルで横乗りして
見慣れない村々を通り過ぎ
セレモニーの家に着きました。

クバヤを来た際は、基本的に
バイクは横乗りになります。

横乗りは結構、あちこちの筋肉と腕力を使います。
でも何だか、ワクワク感が刺激される。

私たち二人共 50代なんですが
そんな二人が連れ立って
バイクに乗り
バリの村々の抜け道を突っ走っていく。
それは、心ワクワクの楽しいひとときです。
警察に見つからない道をすり抜けて行くわけです。

お供え物を籠に設え頭にのせて運びます。


さて、会場は個人宅で
席に案内され、配られたお菓子などを食べていると
セレモニーの儀式が始まって
どうやらンガベン(お弔い)セレモニーの内輪の
儀式のようだと私には分かってきました。
マデ奥さんとは、カタコトの英語とインドネシア語
で会話していますが、意思の疎通はできても
内容の確かさとなると、私が理解している内容は
およそ60%位なため
ここにくるまで、ンガベンの内輪のセレモニーとは
私は知りませんでした。
正式名称があるかもしれませんが、わかりません。

言語の壁に加えて
マデさんにとって当たり前なことは
いちいち説明がないという現実があります。
だから、私は
親に連れられた子どものように行動して
バリの文化風習について
徐々にゆっくりと学んでいくのです。
それがどんな意味があり
なんのためのものなのか
分からずに体験していく機会は
日本の都会に住む現代人の私には貴重な体験と
言えるのではないかと思います。

何故かというと
現代人である都会生活の私たちは
子どもから大人まで
予め決められた
目的や目標、あるいは、答えに
向かって進んでいくことが殆ど
であると感じるから。

さて、さて、ンガベンの儀式のお話に戻りますね。
参列者は座って、お菓子を食べながら
世間話などしています。
私は、何が起こるのか
キョロキョロと辺りを見回しています。
興味のありそうな事が見えたら
席を立ち見に行きます。
場の雰囲気を見ながら。

特別な僧侶が儀式を執り行っています。


生贄の鶏の雛も用意されています。
白い服装の僧侶も祈っております。
ご家族の祈りのお写真はお弔いということもあり
控えさせて頂きますが
その後、家の敷地内を
親族が祈りを捧げながら回ります。
親族が特別な僧侶の前に参列し
様々な行為と聖水を施されていました。
そうしてまた親族が家の敷地を
儀式の行為を執り行いながら練り歩きます。

それからまた皆で祈りを捧げます。

親族縁者になるのでしょうか
彼らも祈っております。

参列者ではあるのですが、マデと私たちは、
何故か今日は見るだけ
何故そうなのかは今日のところは私には
わかりませんでした。

ところで、ンガベンとは本来
村で執り行われる合同火葬式のお祭りのことを
言います。
私がバリ島と個人的に関わるようになってから
10年の歳月が経ち、その間、合同火葬に参列したことは、今までに3回ありますが
家で執り行われるセレモニーには
始めて参加しました。
何故合同火葬を村が執り行うのかと言いますと
ンガベン 火葬式には膨大な費用がかかるため
亡くなってすぐには用意できない人々もいるのです。
ですから、遺体はいったん村の合同墓地に土葬される形式をとっています。
バリはバリ独特のバリヒンズー教とアニミズムが
融合された宗教であり、火葬はインドから伝わって来たヒンズー教の影響によるものだそうです。

さて、ンガベンにかかる費用が出来たら
土葬されていた亡骸は掘り起こさ れ
あらためて荼毘にふされます。
バリ人にとって、魂が離れた遺体は不浄な(スブル)ものとなりますので、たとえ亡骸が白骨化していても、火葬にするそうです。
火葬の後、骨は海や川に散骨します。

ンガベンは弔いの合同祭で
観光として開かれた場になっているので
その儀式には私も参加したことがあったのですが
今日のような家でのお葬式の場は
身内親族縁者のための儀式になるので
外国人の参列者は私のみでした。
貴重な体験でした。
ありがとうマデ

式の後 お食事が提供されます。

お皿を持ってビッフェスタイルの
お食事コーナーに並び
自分で皿に盛り
用意された席に座り
食べます。
悲しみの席というより
肉体と言う不浄な物から
魂か旅立つことへのお祝いのような感触があります。

私はバリの人から輪廻転生の話も聞きますし
ガルンガンクニンガンというお祭りは
日本でいうお盆に相当するお祭りです。

ガルンガンクニンガンは
村を挙げての合同お盆祭になります。

日本のお盆にもお祭りが重なっていますから、
昔はもっと共同体の儀式と祝祭感があったかもしれませんね。
人の宗教観と似ているなと感じることは
多々あります。

式が終わり、私たちは帰ることになりました。
外にでると、棺が用意されていました。

棺は、生き物をあしらったもの
どんな生き物かで、カーストの位がわかります。
棺の大きさで富がわかります。

お神輿のような物に写真がありました。
故人は20代前半の女性でした。
胸が痛みました。
土葬を経て
別れの段階を通っているためでしょうか。
先程、私を席に案内して下さったのは
その両親でしたが、娘の死を受け止めて
手放す準備ができている人の在り方のように
思えて来ました。

死者への祈り
魂の旅立ちを祝うように
祈る人々

バリヒンズー教の宗教観 世界観に触れた
一日でした。

マデと私は
帰り道に美しい田園風景を通り
家に帰って来ました。

家の聖水でお清めをしました。
クバヤを脱ぎ、シャワーを浴びて
夜のオンラインのタロットリーディングまで
準備をしたりして静かに過ごしました。

何より、この宗教活動がコロナパンデミック以降も
健在であることが、とても、大切なことに思いました。

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