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力とSMAP

ハラスメントも圧力も、力を巡る問題だ。
もちろんSMAPも力を持っている側だった。

今、彼らに行われている不当な扱いへの批判に対し、時々「それを言うならSMAPの元マネージャーのIさんだって、テレビ局に力を振るっていた」
などという言い方を聞く。それは一面で事実だろうと思う。

私たちの間には様々な違いがある。
その違いに優劣をつけ、力の差として利用する時、そこに支配・被支配の関係性が生じることはよくあるし、場合によっては差別やハラスメントも起こり得る。

人気がある。実績がある。社会で影響力を持つテレビに、たくさんの番組を持っている。多くの人気者を抱える芸能事務所に所属している。
そのような力を持ったSMAPの周辺でも、それが起こっていても不思議ではない。

支配とは言わないまでも、自分たちの何気ない言葉や行動に誰かが即座に反応し、期待通りの、あるいは意図もしなかった好結果がもたらされる、そんなことが彼らの周りでは頻繁に起こり始めていただろう。
それこそがまさに忖度の構図だし、その動機のほとんどが好意、あるいはゴマすりだとしても、そこにわずかでも恐怖や不安や危機感を理由にしたものがあれば、容易に圧力やハラスメントにも転じ得る。

そうならないために必要なのは、その時点で自分の持っている力に気づくこと。
そして、その力の用い方を慎重に吟味することだ。
でも、たいていの「偉い人」はそれができない。いや、しない。
だって、気持ち良いもの。
何もしなくても自分の前に道が開ける。欲しいものが用意される。
邪魔者は排除される。
その気持ち良さに慣れてしまう。
そうやって、それが当たり前になる。

SMAPが力を持つ多くの人たちと違ったのは、自分たちがそのような力を持ってしまうことに、彼らがどこかで抗おうとしていたように思えることだ。
それは彼らの人としての良識だったのか、力に溺れて沈んでいった多くの反面教師たちの姿から学んだことだったのかはわからない。
けれども私には、自分たちがいつのまにか明らかに力を持ってしまったことを知りながら、彼らがどこかでそれを拒み、もて余しているように見えた。

しかし、どんなに彼らがそれを否定しようと、彼らの力は増して影響力は大きくなった。
それで、ある時から彼らは覚悟を決めたように思える。
どんなに抗っても持たされてしまう力なら、それを他者を輝かせるために使おうと。弱くされたり、見えなくされたりしている存在にこそ光をあてる。そんな風に使おうと。
そしてその覚悟が、彼らを益々輝かせていったように見えた。

それは他の権力者から見れば、明らかなルール違反だ。
力を持つ者は、自分の利益のためにその力を振るっても構わない。
そう考え、実行している側から見れば、彼らの立ち方はどれほど目障りだったことだろう。

そういう意味で私はやっぱり、彼らはこの時代の権力のあり方を守るためのスケープゴートにされたのだと思う。

SMAPファンはこの数年、消費者として、視聴者としての力を彼らを守るために用いてきた。
そして、その影響力を知った。
小さなはずのその力は、それでもたくさんの力が結びつくことによって次第に大きくなった。

力、それ自体は良くも悪くもない。
しかし使い方次第で人を生かし、人を殺す。

SMAPが、好むと好まざるとにかかわらず持たされてしまった彼らの力を、この社会で小さくされている存在、痛んでいる存在に光をあてることに用いたように、今、私たちにできることは何だろうか。



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