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通勤は車か?電車か?


こんにちは!あいでんです。

大学生として過ごす最後の週末ですね。週が開ければ長い長い社会人編がスタートします。

それに伴い発生している問題がある。それは「通勤問題」である。


既報の通り私は実家から職場まで通勤することになるのですが、通勤方法としては電車で2時間弱かけて通うか、車で1時間ちょっとかけて通うかのどちらかがあります。

電車だと通勤時間がかかる上に規定の時間にしか移動ができずに縛られるというデメリットがある反面、通勤時間は「学びの時間」が確保されているというメリットがあります。

車だと電車ほど通勤時間はかからないとはいえ諸々の通勤費用がやはり高い。また、運転に縛られてしまうのでその時間は自由に使うことができないのがデメリットでしょう。一方で、自由に移動ができるという点や移動にストレスがかからないというのがメリットだと言えるでしょう。


東京で働く上で一番のネックは満員電車だというくらいですし、社会人の多くは通勤時間に読書に励むというくらいですから、通勤って大事だと思うんですよね。通勤にかかる時間の使い方を大事にするか、通勤にかかるストレスを大事にするか。

ここ最近は大学の周辺に生息していたから忘れていただけどやはり田舎の方は車無くして生活することは非常に難しい。コンビニに行くにしても車が必要だ(歩くのが億劫になってしまったという話もあるが)。

今では多くの車に自動運転技術が搭載されているように思う。詳しくはないが、年々自動運転技術も向上しているらしい。免許取立ての頃は楽しくて仕方がなかった運転も、次第に移動という手段化してしまってからは自動運転を切に願うようになった。


車の運転が移動という手段化してしまってからというものの逆に以前は苦手としていた公共の交通機関を好むようになった。その理由は、移動時間が自由に使えるからだ。

車を運転するとなると「運転」に集中する必要があるので、出来て音楽を聴くくらいのものだ。法整備も厳しくなりつつあるのでDVDやテレビや携帯も容易に見ることはできない。束縛されるというのは非常に辛いものがある。

唯一、車はプライベートゾーンなので気が楽だという利点はあったが、私はその時間が”もったいない”と思うようになってしまったのだ。


しかし、最近になってまた心境の変化があった。

やはり公共の交通機関は色んなものに制限されてしまう。自由に移動するための一番の手段はやっぱり車だ。それに爽快感はやっぱり車だ。


今ですら手放し運転が可能になっているくらいだからあと十数年もすれば技術的には「完全な自動運転」が可能になるだろう。そうなると”車”ではなく”ただの動く箱”になってしまうのだろうか。

自動運転技術は事故を減らすといった論理的な意味では必要なものなのだろうが、果たして感情的な意味においては必要なものなのだろうか。自分でも何をいっているかはよくわかってないけどなんだか寂しい気持ちである。

テクノロジーの進歩によって圧倒的に楽になる「移動」の先に私は何を感じることになるのだろうか。


今の心象だと4月からの移動手段は車になりそうですね(笑)。

それでは、また次回!



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