「当たり前」を疑う事
kdyです。
今日の東京の空はいい感じに晴れ渡っています。
最近は急に天候が変わったりして、それにあわせて精神的に疲れや影響を受けることがあります。
仕事で体調を崩すまではこういった事がなかったので、人から話を聞いても感覚的にしかわからなかったのですが、今はその人の言っていた事がよくわかります。
身体を崩し入院する
そんな事は微塵も思わず生きてきました。
身体的にも丈夫だし、何か苦しい事があっても自分は耐えられる
そんな事を思っていました。
いざ緊急入院する事になった時、
家に帰って仕事道具取ってきてもいいですか
と医者に質問する自分がいました。
今考えると、
自分の命が関わっているのにも関わらず何で仕事を重要視してるの
と思ってしまいますが(苦笑)、当時は真面目に本気でそんな事を言っていました。
その位仕事に追われていた部分もありましたし、誰にも頼れず1人でどうにかするしかないと思っていました。
外側から見ていた人にとっては
何で人を頼ろうとしないんだろう
そこまで何で仕事をやろうとしてるの
と思われていたかもしれません。
その時は
そうしなければならない
仕事場の為に頑張らなければいけない
という気持ちしか見えなかったですが、
今感じるのは
誰かに役立っていない自分を不安に感じていた
から、その不安を拭うために働いていたんだなと感じています。
役立っていない状態でなければ自分は存在していてはいけない。
そうでなければ自分に価値はない。
だから頑張らなければならない。
そんな生き方を子供の頃から少なからずやっていた部分がありました。
それは自分の事を深掘りしていく中でようやく見えてきた事ですが。
そんな生き方をしていると、
他人に役立つ=他人を優先するという思考になり
考えている事や思っている事に蓋をするようになりました。
自分の意見や感情よりも他人を優先する
そんな事を繰り返していると
自分が何なのかわからなくなる。
感じている事思っている事が
本当に自分が感じている事なのか
自分は本当は何を思っているのか
を感じとれなくなってしまう。
そんな感覚を常に抱きながら生きてきました。
一つ質問ですが
あなたは
周りにいる人は役立っているから価値がある
という見方をしていますか?
もちろん、そういった側面で見る事はあると思いますが、恐らくそうではないと思います。
他人を見る時に役立っているから価値があるとは見ていなく、例えばその人の存在でしたり、空気感、その人本人が持っている味、存在そのものを受け入れていました(もちろん、好き嫌いはありますが)
でも自分は役立たねば価値がないと思っている
これはなかなかに歪んだ考え方です。
でも、
自分にとってはそれが当たり前の見方、感じ方になっていた
だからそれが歪んだ考え方である事もわからなかったですし
そもそも
その見方や考え方をしている自分にも気づく事が出来なかったです。
その今の自分が見えていない
ものの見方
考え方
当たり前と思っている環境
を深掘りして知っていく、今まで当たり前と思っている事への違和感を見つけていく事が、自分と向き合う上でとても大切になります。
この記事を読んだあなたが、自分を深掘っていく上で、ヒントや気づきを得られたら嬉しく思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
kdy
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