昔を思い出す事による自分の再評価
kdyです。
昨日は久々に上京した時に住んでいた場所の近くに行きました。
バンドのリハーサルだったのですが、久々に町を歩いて懐かしさ感じつつ。
そして自分のバンドは酒好きの方がほとんどなので、
久々にがっつりお酒を飲み、グロッキーな今日この頃です(苦笑)。
昔を思い出す事による自分の再評価
そんな場所に行ったので、昔の事を何となく考えていました。
高校を卒業して大学に行くとなった時に、新聞奨学生という制度を使って通いました。
その当時進路の事で父親と揉めていました
父親としては地元に残ってほしいという思いがありましたが、
自分は東京に出たい。
本当は音楽の専門学校に行きたかったけど、それを否定され、
それでも家を出たいという思いもあり大学進学を選びました。
その中で新聞社から学費を借りて、働いて返済する奨学生の制度を知り、それで大学に進学しました。
(正直、よっぽど覚悟がない限りはおすすめは出来ないできないですが…)
地元からほとんど出る事なく育ち、バスは走っていましたが電車がない田舎から
上京し慣れない環境の中で、最初慣れる事が本当に大変でしたが、
月日を重ねそれに慣れると、その環境が自分の当たり前となりました。
正直最初は本当に行きたかった専門学校に行けなかったので、
とにかく上京する事を目的に、仕事しながらでも卒業できそうな大学を選びました。
なかなか不純な動機ではありましたが、
朝刊を配り授業に行き、販売店に戻り夕刊を配るような生活だったので、
それをやりながら音楽の専門学校に行っていたとしても、きちんと授業を受けられなかったと思います。
また、その大学のつながりの中でご縁があり、今バンドをやったりもしているので
人生どう転がっていくかなんて案外わからないものだなと思います。
街を歩きながら色々な事を思い出し、あの時の自分なりに人生を真剣に頑張って生きてきたという事に気づく事が出来ました。
その渦中にいる時は、失敗した事、他の学生のような生活が出来ないフラストレーション、日々の労働の中でのストレスにフォーカスが向いていました。
やっている自分を冷静に見る事は出来なかったですし、その生活の中で自分が積み上げている事に対しても、正確に評価する事出来ていなかったです。
もし、
自分には何もない
成し遂げてきたことなんかない
と感じている時、もしかしたら、
目指したい方向とのギャップ差ばかり見て、客観的に自分を見られていないだけなのかもしれません。
そんな時は、
過去にどんな事をやってきたかを思い出してみるのも良いかもしれません。
自分の中で何気ない、当たり前、それが出来て当然と思っている
そんな事柄を自分という枠の外側で見てみると、案外積み重ねている、出来ている事があったりします。
過去にそういった事が出来ているということは、それは今のあなたにも出来る力が備わっている事を意味します。
それに自ら気づいていく事が大切です。
今日も自身と向き合っていきましょう。
この記事が読んでいるあなたに、何らかしらのヒントや気づきを感じられるキッカケになったら嬉しく思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
kdy
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?