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「変化の痛み」を受け入れられるか?

kdyです。

昨日は1人酒はせず(苦笑)、1日中インプット作業。

コーチとしての勉強であったり、ギターの勉強も「継続して出来ているか」という部分は本当に大切です。

千里の道も一歩からと言いますが、


まずはその一歩を大事にしていきましょう。


「変化の痛み」を受け入れられるか?


以前の記事でも書きましたが、

最近筋トレを始めました。


初めて1週間位になるのかな?

お陰様で何とか継続出来ています。


変化をしていく上で

「変化の痛み」に耐える事が出来るか

という部分は重要です。

やってこなかった事をやる事であったり

やっていた事をやめる事は

以前の行動の履歴にはない事

を行うわけで。


そこには多かれ少なかれ

変えていくための痛み

が伴います。


主体的となって変化に向き合える時は、

その痛みに心が耐えられ

そうでない時は

その痛みに心が耐えられない

と最近感じています。


自分は今まで後者でした。

変化していく事の痛みに耐えられない人間でした。


頭の中では変わりたい

と思っているのに

変わる事を諦めてしまう。


何故こうなってしまうんだろう

と何度考えてもわからない

そうなってしまう自分が嫌で仕方がなかったです。


そこから変わるために


自分の感じている事、今までどう生きてきたか、無意識に感じている事は何なのか


それまで向き合ってきた以上の深掘りが自分の中では必要でした。

もちろん、向き合い続ける事も痛みを伴います。何度も挫けました。「何故」がわからない自分に苛立ちも感じました。

それでも、その痛みに耐えてでも向き合いたい

という感覚がありました。


その時はわからなかったですが、

今思うと

初めて自分が主体となって物事に向かえている状態

になっていたのかなと感じます。

もし、変わろうとしても変われない時、

そこに自分の「意志」が明確にあるのか

という部分は、一度向き合う必要があるのかもしれません。


もしかしたら

・自分以外の誰かのため

・自分が思っていない価値観、常識

・「そうでなければならない」というものの見方

など、

あなたの意志でない変化を荷している

のかもしれません。


そして

そこに自分の「感情」はあるのか

という所も見てみてください。


変化していく上で「感情」というものはキーポイントになります。


この記事が、あなたに何かヒントや気づきが得られるものでしたら、嬉しく思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

kdy

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