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不充分な計画で荒野に出てしまい【6】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

計画が出来上がらないうちに寒風吹きすさぶ外に出て

 さて、さて、予定よりも早くハプニング的にサラリーマン生活にピリオドを強制的に打たされた私。とはいえ、独立そのものはその数年前から考えていたことではありました。自分で、やってみてよく分かったことなのですが、転職というのは一回やってしまうと、あとは、何回でもできてしまいます。ハードルが下がるというのか、罪悪感というか抵抗がなくなってしまうのです。永年勤続の年功序列処遇と退職金に決別してしまえると、あとは、自分にとってできるだけメリットのある待遇の良い居場所を求めだします。

私の場合は、新卒入社した自動車メーカーは出向期間3年間を含めて7年半いましたが、次のプラントメーカーは3年弱、そのあとの外食チェーンは1年程で移りました。最終勤務した化学メーカーは3年半程の在籍。良い意味でも悪い意味でも転職について躊躇がなくなり、思い切りがよくなります。外食の時は、念願の人事の仕事に就けたのですが、あまりにも減収となり、すぐに転職への踏ん切りをつけることになりました。周りの人にとっては、なんとも迷惑な話だったのではないかと後年は思いました。その時、迷惑をかけた方々、今更ながらですが、ごめんなさい。そんなことをして来た私は、その後に勤務した化学メーカーの人事部門で、定着しない中途入社社員に散々の苦労をさせられますから、因果応報。迷惑かけたら、その分は迷惑かけられるようになっているのでしょう。人生、そんなものです。

 さて、実は、数年前から考えていたという独立するという話です。来るべき独立に向けて、まったく計画がなかった訳ではなかったです。私もさすがにそこまでアホではない。
昔、取った杵柄といいますか、持っている行政書士の国家資格を生かして、行政書士事務所を開業する。それと、同時に、サラリーマン生活終盤で実務経験を磨いた人事業務のコンサルタントとなる。このように構想をしていました。ですので、フリー状態になってすぐに行ったのは、行政書士の登録でした。まずは、「行政書士門脇竜一事務所」を立ち上げ、合わせて、人事コンサルの事務所を立ち上げることにしました。こうして設立したのが、「かどわき人事総務事務所」です。自宅を事務所として看板を掲げて、「さぁやるぞ!」と気合を入れました。
さらに、サラリーマン時代に共通の知人を通して知り合った、山元さんという女性ファイナンシャルプランナー(以下、「FP」)と、独立したらライフプラン分野のコンサルタントとして活動することも打ち合わせていました。

 行政書士のバッチを付けて、事務所に看板を掛けました。「まぁ、なんとかなるか」と思っていました。いや、思うようにしていたというのが実情でしたね。カラ元気、ここにあり!でした。

 今の私がタイムマシンに乗って、このときの37歳の私のところに行ければ、思い切り頭をはたくでしょう。この時の私、どこから、どのように仕事を確保するかをまったく考えていなかったのです。おまけに、この2001年当時、インターネットはまだそれほど普及はしていません。スマホのスの字もありません。ガラケーでメールができて、写真が撮れるようになったことが天下の大発明だったような時代です。ホームぺージは巷にどんどんと出始めてはいましたが、私の事務所のものはまだ影も形もありません。私がどのような仕事ができるかを知らせる術はなかったのでした。いにしえの手紙、郵送の手段があるのみでした。あっ、電話するものありましたね。こんな体たらくですから、そりゃ、仕事が来るわけはありませんでした。

(明日につづく)


自分が培って来たものを勇気を出して発信していこうと思っています。お読みいただいた方々の今後に少しでもお役に立てば嬉しく思います。よろしければサポートをお願い致します。続けていくための糧にさせていただきます。