野球の想い出(中学野球)
僕が中学野球で選んだのは、市内の学校の部活動です。
近くにはプロ野球チームの楽天で活躍されている田中将大選手も所属していた強豪、宝塚ボーイズもありましたが、僕が少年野球で大好きだった先輩が部活で野球をしていたため、そちらを選択しました。
その先輩とは今でも交流があり、伊丹市でらーめん屋、餃子店を営んでおられます。
訳あって、僕が入部した当初3年生は1人もいませんでした。
その分試合に出る機会も早くもらえ、1年生から大会で使っていただける環境でした。
入部当初から生徒が自ら考えて、練習や試合に取り組む環境があり、トップダウンで全てを指示されるというよりかは、自由に活動をしていました。
転機になったのは、中学2年生のときの顧問の先生の交替です。
新しく赴任された先生が尼崎市内や県内でも有名な先生で、規律を重んじる方でした。
赴任されて早々に、一度野球部は解散させられました。
実は素行の関係なども踏まえて、中学校1年生の頃から、野球部は何度も廃部になりかけておりました。
そんなときに赴任してこられ、また1からやり直すといいう意味でこの決断をされました。
改めて入部届を渡され、家に持ち帰ったとき、両親には自分たちの自由を奪われ、こんな勝手なことをする人の下で、野球なんてやりたくないと僕は話していました。
そんなんだったら辞めたら?と両親にも言われましたが、僕の慕っていた先輩も続けるということを聞き、続ける決断をしました。この先輩が辞めていたら、僕の野球人生はここで終わっていたことでしょう。
今、振り返ると自由というものをはき違えていたと感じます。
好き勝手にやることと、自由にやることには大きな違いがある。
チームである以上、同じ目標や目的を持つ中で、勝つためにそれぞれに考えて行動することが大切で、当時は自分さえ良ければいいと考えてしまっていました。
周りより野球が上手かった分、天狗にもなっていた節もあり、先生に対しても「なんでこんなことしないといけないんですか?」と反発していたこともあります。
僕は先生からチームは自分だけのものではなく、みんなのもの、みんなでつくっているものだということを学びました。
先生のモットーは「全力疾走、全力発声」
これを全員でやり切ることに価値がありました。
苦しい練習も一緒に乗り越える。
みんなで同じ目標、テーマをもって練習する。
そんな日々の積み重ねになりました。
これまで初戦敗退続きだったチームが、最後の大会で、市内準優勝、阪神大会出場と、所属していた中で最高の成績を出せたことは今でも思い出深いです。
結果的には、この先生との出会いをきっかけに高校への進学先も変更するなど、僕の人生に大きな影響を与えてくれました。
現在は尼崎市内の校長先生となられ、今でも交流をさせていただいています。
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