教員を辞めた理由 part.5
いつもお読みいただきありがとうございます!
教員を辞めた理由と題して、すでに5作目となります。
今回は私が教員を辞めた理由の三つ目「理想と現実」について、書いていきたいと思います。
目次
・中学生の頃に抱いた夢
・理想と現実
・まとめ
中学生の頃に抱いた夢
自己紹介の記事でも書いていますが、私は中学3年生の頃に人生の転機を迎えます。
野球少年であった私が、音楽の道を目指すのです。
このことについてはまた別の記事で詳しく書いていこうと思いますが、ざっくり書くと、中学校の音楽教師が私に音楽の魅力を教えてくれたのです。
楽譜も読めないような私が音楽にどっぷりとハマってしまう。
なかなか稀なケースではないかと思います。
そして私は、この先生のように人に音楽の魅力を伝えられるような人になりたいと思ったのです。
さらに言うと、この先生のような教師になりたいと強く感じたのです。
理想と現実
中学生のころに抱いた夢を叶えるため、私は必死に勉強を重ねました。
楽譜を読むことから始め、歌、指揮、ピアノなど、様々なことについて学び、今でも修行を重ねています。
そして国立大学の教育学部を卒業し、正採用ではなかったにしろ、音楽科教員になるという夢を叶えたのです。
中学校ではなく高校を選択したことにも理由がありますが、そこについてもまた別の記事で書いていきます。
しかし、教育現場に実際に出てみると、芸術科目(美術・書道・音楽)が思っていた以上に軽視されていたのです。
授業時数は少なく、兼務(複数校の授業を担当すること)が当然のようになっていました。(岡山県の場合)
一人の教員が一校だけでなく、複数校で授業をするということは、授業以外の時間で生徒と接することができる時間が当然削られてしまいます。
このことは部活動などにも大きく影響が出てきます。
さらに息苦しさを感じたのが、文化部に所属するか運動部に所属するかで進路に影響が出るということです。
運動部に所属している生徒の方が体力があり、就職に有利であるといった価値観がありました。
音楽科教員である私は吹奏楽部の顧問をしておりましたが、進路に影響が出るという現実を突きつけられ、少しでも多くの生徒を勧誘したいという強い思いを塞ぎ込みながら、自ら希望してくれた生徒にのみ入部してもらうようにしました。
部活動が無理なら授業でしっかりと音楽の魅力を伝えようと思っても、芸術科目は選択制の授業で、全生徒に対して授業が行えるわけではありません。
さらに、私が勤務していた学校では1年生の時のみの授業で、2年生以降は芸術科目の授業はありませんでした。
きっと私が憧れていた先生であれば、このような逆境の中でも粘り強くアプローチし続けたのだろうと思います。
しかし私は置かれた状況の中でできることしかできず、大きく変革をもたらすことはできませんでした。
そんな中でも、授業を担当した生徒が「先生のおかげで音楽が好きになった」「なんか音楽って思っていたより深いかも」といった発言をしてくれることがあり、私は嬉しい反面、悔しい思いをずっと抱いていました。
もっともっと音楽のことを知ってもらいたい、もっと一緒に音楽をしたい、そんな思いを抱きながら、実現できない悔しさを噛み締めていました。
結局私は、音楽の魅力を伝える場として学校だけでは限界があると感じ、仕事以外で取り組んでいた音楽活動に、より一層力を入れていくことを決めたのです。
まとめ
きっと皆さまの中にも、理想と現実の違いを感じている方は多いと思います。
理想と現実が違うということは、どんな場所でも起こり得ることであると思います。
むしろ、理想通りの現実など存在しないのかもしれません。
しかし、理想通りの世界が存在しないのであれば、その世界を創れば良いのです。
自らの力で創りあげ、共感してもらえるように努力をすれば良いのです。
そのような発想が今のフリーランスに繋がっているのだと思います。
さて、私が教員を辞めた理由の三つ目「理想と現実」でした。
次の記事では、最後の理由「教員として働くことと、私らしく働くこと」について書き、私が教員を辞めた理由についてまとめていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
次回の記事もお楽しみに!
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