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【読書メモ】会社という迷宮――経営者の眠れぬ夜のために

個人的には、コンサル論として読みました。

Amazonには、こんな説明が載っています。

経営コンサルタントとして数多くの企業、経営者と対話を続けてきた著者が語る経営者論。会社という「迷宮」から、経営者はいかにして自由になればよいのか。「戦略」「組織」「M&A」など、聞きなれたビジネス用語の本質を解説しながら、そのヒントを探る一冊。

「経営者論」とあるのですが、会社さんという人の話のような印象です。
会社という法人にも人格のようなものがある。一人ひとりの人生が違うように、会社もそれぞれ違う。なのに、あたかも良い学校に入ることを画一的に求めるようなところが、経営論には存在する。結果、我が社がどうあるべきかを考えつくせていないのではないか、そんな主張が展開されています。

そして、コンサルタントは「経営論」を振りかざして、経営者のもとにやってくる。だから、コンサルアレルギーの人がいる。(私もよく遭遇します。)

本質的なあるべきコンサル像は、以下の言葉に尽きると思います。

答えのない難題に直面したクライアントに対してコンサルタントができることは、自分もしくは自社がどう行動すべきかを、自分で「わかる」過程を手助けすることでしかない。

会社という迷宮――経営者の眠れぬ夜のために

答えがないなら、自分と向き合うしかない。だから経営者は孤独です。
答えらしきものは欲しいし、飛びつきたくもなる。でも、それは人生に答えがないのと同じこと。自分に向き合って、自問自答していくしかない。「嫌だと思うけど、これに向き合うべきなんじゃないですか」と手助けするのがコンサルタントの仕事だと私も思います。

著者は、経営者が最も向き合うべきこととして「信義」をあげています。

「会社」には、社会的主体(法人格)としての見識と自負があるから、何が善いことなのか、それをすることが善いことなのかを、自ら判断する力が生まれる。他人や周囲に言われたから、そうするのではない。社会の風潮がそうであるから、でもない。それを自ら考え、強靭な意志としてそれを自身の内に持てる力である。こうして固有の意志を持つ主体であるからこそ、社会に新しい「価値」を提起し、たとえ小さくとも社会が動く契機を創り出す存在となれるのである。こうして自ら考えるときに、利己的にではなく、社会的に考えるという約束が、「信義」なのである。「正しく考える」ということは、そういうことである。「信義」とは、「会社」が社会的存在であることの証しである。

会社という迷宮――経営者の眠れぬ夜のために

いかにして社会の役に立てるかを意志を持って考えることが「会社」には求められます。それは、当然ながら経営者にも求められます。

そこを起点に考えると、普段当たり前のように使っている「戦略」「利益」「競争」「差別化」などの言葉に落とし穴が潜んでいることが分かります。本書では、「迷宮の経営辞典」と題して、その落とし穴を丁寧に解説しています。

その中の一部「人材」の章からの引用です。

「人材」が稀少な資源になるということの含意は、優秀な「人材」の確保が競争上重要になるという次元の話ではなく、ヒトを「人材」にするというその役割が、「会社」の社会的使命として、その重みを増していくに違いないということだ。ヒトを人間ならではの仕事に活かすことで「人材」にすることができる「会社」だけが、将来においても「会社」たる資格があるということになる。

会社という迷宮――経営者の眠れぬ夜のために

「ああ、確かにこの迷宮にはまり込んでいるかもしれない」と思いました。
私自身、自社においても、お客さま先においても優秀な人材の確保が課題になります。その時、たしかに当たり前のように「競争上」重要だという発想になっています。

しかし、社会の役に立つという使命から考えると、他社との競争は本質ではありません。社会からお預かりしたヒトを人材にし、その人材に自社独自の働きがいを与えられるかどうかが問われます。それが結果として、他社との競争優位になっているのに過ぎず、それ自体は目的ではないのです。

この迷宮には、誰しもが迷い込む可能性があります。
迷い込んでいるだけなので、動きが止まるわけではありません。でも、次第に消耗してしまう。だから戦略という地図が欲しくなるわけですが、どこをゴールとすべきかは自分で決めるしかない。

やはり、大切なのは、「信義」というコンパスなのでしょう。
それをいつも忘れずに見ていただくことが、コンサルタントの仕事だと思います。

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