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リーダーシップの真髄:自然な感謝から生まれる、共感と変革の力

「あなたは、もっとリーダーシップを発揮しなさい」
リーダーシップを考えたり、人に話したりするときにこの言葉を思い出します。尊敬する上司に言われた言葉です。

15年近く前ですが、正直、当時はピンと来ていませんでした。入社したばかりのタイミングでそのように言われたのです。そういうポジションでもないし、そもそもリーダーとかガラじゃないんだけどな、なんて漠然と思いました。

でも、その意味するところは何だったんだろうと、ずっと心の中に残っている言葉です。

幼いころから、割とリーダーになりがちだったと思います。学級委員もやったし、部活の副キャプテンもやったし、大学のサークルでもリーダーを務めました。

いずれも指名されてなりました。自分から役目を買って出たというのは記憶にありません。そしていつも「ガラじゃないんだよな」と思っていました。リーダーってもっとこう、しっかりしていて、正すところは正して、みんなを引っ張って…みたいな、ことを思っていたわけです。
だから、あいつの方が向いてると思うんだけどな、全然チームまとまらないし、なんか大変だし…、そんな風に思ったこともあります。

過去形で書いてますが、いまでもガラじゃないと思います。でも、リーダーシップを発揮しようと努めています。

リーダーだからリーダーシップを発揮する必要があるわけではないからです。組織に働く誰もが持つべきもので、発揮すべきものです。

リーダーシップは、定義が多様です。文脈によって捉え方が違います。リーダーの行動として捉えることも、もちろん間違いではありません。また、置かれた状況によっても違いますね。変革を求められているのか、それとも混沌を収めようとする状況なのか。比較的、安定している状況でのことなのか…

なので、なるべく大きな意味で捉えようと思っています。いまのところ、自分なりの定義を言葉にすると「大義のために、なんの衒いもなく行動すること」です。

大義っていうと大げさですが、簡単なことにも表れます。オフィスに落ちているゴミをさっと拾う、そんなところにもリーダーシップは表れます。そこに所属して生かされている感覚があって、全体を良くするためにすっと身体が反応するような行動です。

道に落ちているゴミをなんの衒いもなく拾ったら、それは、この世に生かされていることに感謝している素敵な人なんだと思います。

ここに義務感とか、使命感とかあってももちろん良いんですけど、自然なこととして、身体が動く、それが自分としてもしっくりくる、好きだからやってる、前向きになれる…という感覚じゃないかと思います。

多分、そうじゃないと続きませんよね。

私の上司が、同じようなことを「リーダーシップ」という言葉に込めたかどうかはわかりません。たぶん覚えてもいないでしょう。

ただ、その時の私の心の中を思い出すと、独りよがりだったと思います。
入社して少したって、ちょっとリアリティショックがありました。思ったより、周りの意識が低いな、こんなことも知らないのか、なんで何もやらないんだ…などなど、の思いです。恐らく、言動、行動の端々に出ていたのでしょう。そんな私に対するフィードバックが「リーダーシップを発揮しなさい」だったのだと思います。

いまでも時々「なんで?」と思います。リーダーなんてガラじゃないと思ってるところもあるくらいなので、その場で口にするのもためらう気の弱いところもあります。でも、あとから「思い出し怒り」します。

でも、この怒りって独りよがりなんでしょうね。
口に出せないのなら、せめてチームにとって有益で自分もやって気持ちの良いことを見つければよい。その実践を続けて、「思い出し感謝」を増やしたいと思います。

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