湯の中の収穫
共同浴場で湯に浸かっていると、湯気の向こうからなまり声が聞こえてきた。
「さぁだっけねぇ」
おそらく、久しぶりという意味のあいさつだ。
「あっつくて、ちっともすすまねのぉ」
何が進まないのだろう。
「稲も汗かいちまってぇ」
稲刈りの話だ。この地域の人は、よく擬人化して話をする。会話は訛っていて聞き取りにくいうえ、解釈できたとしても私とは関係のないことが多い。
普段は他人事だが、今日は思わず顔がにやける。両腕の赤く腫れたかぶれは、稲によるものだ――。
新潟県十日町市松之山。山に囲まれた小さな集落で、祖父が米を作っている。
日照時間が短く、昼夜の寒暖差が大きい環境で、稲がたくましく成長する。乾燥した風が山を越え、垂穂を揺らす。
親戚と稲刈りの手伝いに来た。手伝いと言っても、祖父から役割は指示されない。自主的にみんなができることを探し、協力する。
祖父がコンバインに乗り、田を刈り進む。舞ったくずを虫と間違えたのか、頭上をトンボが飛び回る。トンボには目もくれず、祖父は稲だけを見ている。
祖父には跡継ぎがいない。200年近く続いてきたという田んぼを終わらせてしまう重みは想像できないが、祖父はいつも笑顔だ。
私たちに新米を食べさせるときの、自慢気な顔がいい。ひとつひとつに、一粒一粒に懸命な人が見せる表情だ。
祖父のように生きたいと思った。厳しい自然の中で、自分がおいしいと信じる米を育て、刈り取り、提供し、誰かを笑顔にする。
毎日の生き方に信念を感じた。
自分も編集者として、祖父のように生きるにはどうしたらいいのだろう。
――少しのぼせてきた。ここ松之山温泉の源泉は88.7℃もある。
「SS呼んでも、機械が何度もしっこわれて忙しくってぇ」
SSとは修理屋のこと。コンバインの調子がよくないらしい。
「SSだけは毎年豊作だのぉ」
うまいこと言って会話を終わらせることも特徴のひとつ。
にやけた表情を隠すため、顔の汗を手で拭う。
口に入った湯の塩辛さを、私は忘れない。
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