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【海外移住の話⑭】 エクアドル 《37時間の陸路を経て、ハプニング満載の3ヶ月》

3ヶ月のペルー滞在の後は、隣国エクアドルに移動することに。

南米では、日本のパスポート保持者はビザ無しで一つの国に90日までいられます。国を移ればリセットされ、また90日の滞在が可能。

ペルーに居られる期限90日がやってきて、僕は隣のエクアドルで残りの90日を過ごすことにしました。

エクアドルの首都「キト」や最大の都市「グアヤキル」には、世界青年の船のエクアドル人同期が10人近く。

大きな都市は基本的に治安が悪いので敬遠していましたが、とりあえずは彼らにお世話になれることになったので、目的地はキトに決定。

ペルーからエクアドルへの交通手段は飛行機もありますが、隣の国なのにリマーキト間が片道7万円ぐらいして、貧乏学生には高すぎ。。

一方バスを調べてみると、リマーキト間が片道7,000円という安さで、一瞬でバスに決めました。

道のりは、こうなります。
クスコ→リマ(飛行機国内線で1時間強)
リマ→キト(国際バスで37 時間)

人生最長、37時間の国際バスへ

ペルーでの最終日。

スペイン語オンリーで仲を深めたホームステイファミリーに空港まで送ってもらい、お世話になったBelloファミリーも見送りに来てくれて、泣く泣くクスコを離れた。

(クスコでの日常についてはこちら↓)

クスコ→リマは1時間強。リマに着いたらバス停に移動し、人生最長の国際バスに乗り込んだ。

コルカ•キャニオンへ行った時の超高級バスと違い、2泊するには腰が痛くなりそうな普通のバスで、観光客は自分だけ。

隣に座ったのはいかつい黒人の人で、話しかけても返答なし。ちょっと怖い。物を盗られたりしないように、さりげなく所持品は全部彼がいない方のポケットに。

打ち解けてしまった方が物理的にも精神的にも安全やと踏んで、昼と夜に一回ずつの食事休憩で3回誘って、やっと一緒にご飯ができた。コロンビア人で、エクアドルで乗り継いで更に何十時間もバスでコロンビアに帰省するらしい。。

帰省前の仕事で疲れて不機嫌やったらしく、そのあとはかなり気持ち的に安全性が増してだいぶストレスフリーになれた。よかった、、。

先頭にひとつだけついてるディスプレイで、ハリウッド版の忠犬ハチ公を観て一人で号泣。。体感以上に疲れてたんやと思う。

国境では全員降りて、長い時間がかかる出入国の手続きをした。

当時エクアドルーコロンビアの国境で、コロンビア政府に敵対する武装ゲリラ集団「FARC」が活動していたこともあって、気はずーっと張っていたと思う。

そんなバス旅も、ついに終わってキトに到着!一安心。

誤算。治安最悪の首都に深夜に着いてしまう

ようやく着いたと嬉しくなったのも束の間、朝7時半に着くはずだったのに外に出ると真っ暗。

まさかの4時間も早く着いてしまったらしい。しかも下ろされたのは屋根もベンチもない大きな道沿い。

他の乗客はほぼ降りなかった。
国境を超えたのでペルーの携帯/SIMは使えず、WiFiも周辺に無いので、迎えに来てくれる手筈だった友達にも連絡不能。

治安が悪いと聞いているキトだからと朝着のバスを選んだこともあって、焦る。

五感を全開にして、安全を確保できる場所を探した。

と、100mくらい先に、一軒だけ灯りがついているお店を発見!そこまで全速力で走る。

自動車の部品屋さんだった。近づくと、ちょうど出てきた店主と鉢合わせた。夜勤で、今から帰るところとのこと。

ペルーで学んだスペイン語でなんとか事情を説明して、朝まで居させてくれないかとお願いすると、

「俺は今から帰ってまた9時ごろ戻って来る。鍵閉めるから閉じ込められちゃうけど、それまでいるか?」と言ってくれた。

ノーチョイスなので即OK。彼は「チャオ〜」と言って鍵を閉めて帰って行った。

見ず知らずのアジア人に中で待つのをOKしてくれて、なんでそんなに信頼してくれたのかと不思議になる。
逆にハメられてる??と、疑いたくもなった。

もやもやした気持ちと共に、床で眠った。

***

待ち合わせしていた友達が辺りを探して見つけてくれ、窓を叩く音で目が覚めた。お店がガラス張りで外から見えやすいつくりだったけど、よく見つけてくれた。。

店主も割と時間通りに到着。ほんまにただのいい人やった。

滞在先は友人の実家

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彼女はカルラ。世界青年の船の同期で、剣道初段の日本好きなアーティスト。実家でホームステイさせてくれることになっていた。

発想も生き方も生粋のアーティスト&アクティビストで、ルールに縛られるのが大嫌い。
当時の政権を批判してサイバー攻撃を仕掛けていたハッカー集団「アノニマス」の仮面の模様を、夜中に政府施設近くの道路にスプレーしちゃうぐらい、グレー(黒か)なところも攻める人だった。

カルラの家だから両親もアーティスティックだろうと踏んでお邪魔すると、意外にもめちゃくちゃ厳しくて保守的なお2人。(特にお母さん)

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後でカルラがぼやいた。「意外な両親でしょ?血が繋がってないんじゃないかといつも思ってる」

暮らしていると、カルラのルール無視•破天荒な態度に悩まされっぱなし、というメッセージがよく飛んできた。アクティビストまっしぐらの彼女の安全と将来が心配で仕方ないらしい。

カルラにもご両親にもお金を払うと言ったが受け取られず、結局3ヶ月ずっとお世話になった。

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スペイン語学校で勉強、DELEのB2受かる

学校はペルー同様、いくつか値段とクオリティの間で悩んだ挙句、Espanol Intensivo en Ecuadorに決めた。

キトの中心からほど近くアクセスも良くて、価格も高くない(当時)。バスと少しの徒歩で通った。

授業はマンツーマンで1日4時間、週4で通い、DELE(英語で言うTOEICのような資格試験)対策に特化した時間もカスタマイズして設けてもらった。

比較的しっかりした組織体で、担当の人・先生も親身になってくれたのでオススメです。

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(↑先生)

出国前にDELEのB1とB2に挑戦して、なんと両方受かった!

TOEIC780点相当と言われるB2は半年の留学期間からすると背伸びして受けたものの、教え方と勉強量がそれを上回ったらしい。これは嬉しかった。

(人生で一番勉強したこのときの勉強法はこちら↓)

障がい者施設でボランティア

生活に慣れてきたある日、散歩中に家の近くで障がい者施設を発見した。覗いてみると、子どもたちがたくさん。スタッフの方がいい感じに挨拶してくれ、「見ていく?」と中に入れてくれた。

小一時間過ごして、見学させてもらった。勉強以外のこともルーティンに入れたいと思っていたのと、スタッフの感じの良さで、その日中に話してそこでボランティアスタッフをすることが決まった。「じゃあ明後日の遠足から手伝って」とのこと。

それから週3ぐらいで通うようになったこの施設。食事の補助、生活周りのサポート、2、3週間に一度の遠足の引率など、いろいろご一緒させてもらった。

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何回か通ったあと、彼の担当に任命された。言葉でのコミュニケーションはスペイン語でも全く取れないし、表情も変化が少ない。

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けど、4、5回一緒に過ごす中で、だんだん喜怒哀楽がわかってくる。

彼の方も僕に慣れてきて、遠足中にがっつり頼ってくれるようになったのがめちゃくちゃ嬉しかった。

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事件:道端で割れたビンで脅され、金銭を要求される

約30カ国で移住や旅をしてきたけれど、このときが人生で一番危なかった。

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8月初旬から夫婦でCamino de Santiago巡礼の旅に出ています。出費はできる限り少なくしている旅なので、サポートは有り難く旅の資金にさせていただきます。ですが、読んでくださったり反応をいただけるだけで、一緒に旅している気分になって十分エネルギーをいただいています。^^