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デザインリサーチ:デザインとリサーチの絡まり合い

Research Canferenceに登壇させてもらった関係でアドベントカレンダーに参加させてもらってます。何年か前からアドベントカレンダーなるものがあるなぁと思ってましたが初めてお呼びがかかって参加している次第です。
木浦さんからデザインリサーチやらユーザーリサーチやら自由にお題を設定していいと言うことで気が楽になるなか、最近書いている論文のことが頭から離れず、それと関係するリサーチとデザインの分かち難い関係に関して思考を巡らしてみようと思います。

僕は普段デザインリサーチの実践研究に従事していることもあり、この言葉のことをよく考えています。一歩手前でデザインってなんだという声もまだまだ聞こえるなかで、デザインリサーチなんて更に意味不明な存在だと思うのですが、それでも僕はデザインリサーチにデザインに対する期待以上のものを持っています。従って今書いていることはかなりマニアックなことなのかなと思いつつも、少しでもデザインリサーチの市民権を広めたいと思い平易で緩く書いているつもりです。

さて、本題に入ります。デザインもリサーチもそれぞれ単独で意味を持っている言葉でもあります。しかし僕は、デザインとリサーチとを分けて考えることはせずに、一体となったもの、更に言うと渾然一体となって絡まりあったものと認識しています。従って僕の主張はデザインリサーチはデザインリサーチであり、デザインでもリサーチでも無いと言うものです。

絡まり合って分かち難いと言いながら、思考を整理する為に便宜的に分けて考えてみます。まず僕らが実践の現場で良く使う言葉に置き換えてみるとデザインとリサーチはMakingとMeaningの二つの言葉に置き換わり、「作ること」と「意味づけること」と解釈できるのでは無いでしょうか。説明上分けて考えましたが、実際は最初から両者が分かれて存在していると認識するのではなく、作りながらその対象の意味を捉えたり、その意味から対象を同定し直したりする行為であり、両行為が分かち難く影響しあっているものと捉えています。まさに絡まり合っているイメージです。デザインリサーチとはこの両者の再帰的実践のプロセスとして位置付けられ、デザインリサーチの結果は実践のプロセスから切り落とされることで何らかの人工物や方法論や概念として生成されていくものと考えています。

「デザインリサーチ」をデザインとリサーチ、つまりMakingとMeaningの再帰的関係と提示してみました。ただ、リサーチをMeaning(「意味づけること」)と解釈するのはやや乱暴な感じも残る方もいるのではないでしょうか?そこでインタラクションデザイナーとして著名なビル・ゲイバーさんの主張を引き合いに出してみます。彼は、デザイナーの学術界(リサーチコミュニティ)への貢献を示す具体的な手法としてデザインポートフォリオにAnnotation(注釈)をつけること提唱しています。つまり、デザイナーが自身のデザイン=Makingの行為を主観的に記述する、つまり自分自身でデザインの意図を表明してくことの重要性が示されています。彼の主張を辿るとあながちMeaning(「意味づけること」)をリサーチの本質的な行為してとらえることは間違っていない気もします。ただ一つ気をつけた方が良いと思うのはAnnotation(注釈)は主観的に行われると言うことです。客観視、つまり作ったデザインがユーザーに受け入れられるか、といった評価を前提とするものでは無いと言うことです。もちろんユーザビリティエンジニアリングはとても価値のあるデザイン実践の一つではありますが、前提となっている客体とデザイナ自身を相対化させたデザインだけがその価値を示すのでは無く、他の側面、つまりデザイナの主観的物作りと意味づけにも光が当たるべきであると考えています。

やや話は逸れますが、この課題感はユーザー中心設計が乗り越えようしようとしている課題感ともオーバーラップしていると思います。山内裕先生が『「闘争」としてのサービス—顧客インタラクションの研究』 のなかで、ユーザーを特徴的かつ象徴的な他者に仕立て上げ、前衛化させ、その他者に最適な体験をデザインすることを一義的かつ閉じた関係性の中で存在させようとすることを批判しています。これに対して、デザイナー自らがユーザーや更にはその背後にある(資本主義)社会の外に新しい外部空間を主観的に作り、意味づけていくことでこの課題を克服しようという動きにデザインが提起する価値の一側面を示しています。ただ、この主張は新しくデザインされた外部空間が「外部」のままであり続けることは是とせず、どこかで新たに発生する「内部空間」に接続することもデザイン実践として内包していくことを必要とします。この主張は、デザイナーの専門性、特権性だけが「浮いた」存在として残り続ける課題への応答になり得るのではないかと言えます。そして、このような一連のプロセスがいわゆるイノベーションのプロセスとも言えるでしょう。

話が脱線しましたが、確認しておきたいことはデザインリサーチャーの行為主体性がとても大切であるということです。Meaning(「意味づけること」)やAnnotation(注釈)に代表されるように自らのデザインを他者の存在を前提とせずに何と意味づけるのか、その意味けが主観的なMaking(「作ること」)と影響し合い、成果物が絡まり合いの中から産み落とされて行く。その意味では、計画や、集中と選択といった概念とはは真逆のことで、「出てくるまで何と呼べば良いか分からない」とも言える瞬間もあります。これがデザインでもリサーチでも無いデザインリサーチの面白さであって、実践現場では時としてクライアントさんを悩ませもするアプローチなのかなとも思います。

僕の考えるデザインとリサーチの分かち難い関係をチラッとお見せしましたが、次回は絡まり合いながらそれでも実践を進めて行かないといけない時に役立つデザイン方法論であると考えているRtD(Research through Design)に関して解説しようかなと思います。しかし、RtDで学位を取り更にはその内容を書き下ろした本、「動きそのもののデザイン リサーチ・スルー・デザインによる運動共感の探究」を上梓している三好さんとのおしゃべりを収録したPodcastがあるので気になる方はまずそちらをお聴きください!

参考文献

Bill Gaver and John Bowers. 2012. Annotated portfolios. Interactions 19, 4 (2012), 40–49. DOI:https://doi.org/10.1145/2212877.2212889

山内裕 (2015),『「闘争」としてのサービス—顧客インタラクションの研究』 中央経済社

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