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二十歳の頃の自分に手紙を書いてみた

少し前から、漠然とやってみたいことがあった。若い頃の自分に手紙を書くとすると、どういう手紙を書くだろう?というもの。
自分は1969年1月1日という、めでたいのか何なのかよくわからない日にこの世に生を受けた。たまに自分の誕生日を珍しがる人も見かけるが、もうこの歳になると、あんまりそういう人もいないと思える。
日にちが珍しいだけで、人間なんていつでもどこでも生まれて死ぬものだから、いちいち感慨に浸ってもいられないだろう。

でもまあ、この際だから、二十歳の頃の自分に宛てて、手紙を書いてみることにする。

なお、自分で自分の名前を呼ぶのは小っ恥ずかしいので、基本的に自分を呼ぶ時は「おまえ」でやらせてもらう。

はじめに

拝啓、二十歳の頃の俺。元気にしてるか?
俺はもう五十歳をほんの少しだけ超えたが、何とかくたばらずに生かしてもらってる。

今日は、五十歳(正しくは五十一歳だが)の俺が、二十歳の頃のおまえにちょっと意見しようと思ってな。柄にもないような手紙を書いた。
しようのないドロップアウターのおっさんが何か言ってるとか面倒がらずに最後まで読めよ。

これでもそれなりに歳をとって、多少はいろいろ経験したぞ。奥さんは得られなかったし、子供もいないが、俺が悪い話なんだし、仕方がないだろう。「馬鹿でぇ!」とか言って嗤うな。俺だって自分の馬鹿さ加減はわかってんだよ。
そんなもん、いちいち強調されなくても、自分が最もよく自覚してるんだから、余計な世話を焼かないでくれ。

若い頃、俺は肥り過ぎていた

たぶん二十歳の頃は本格的に肥り始めた頃だと思うが、あんまり無差別にバカスカ喰うのを程々にしとかないと、おまえ、そのうち死ぬぞ。
いや、死なないにしても、大きな病気しちまうぞ。おまえの爺ちゃんがなったのとだいたい同じような病気だ。爺ちゃんは脳卒中だったから、たぶん厳密にはちょっと違うけど、まあ、脳梗塞なんだから似たようなもんだ。

もう十年ぐらいしてみろ。おまえ、今以上にブクブク肥るぞ。情けないぜ。おかげで糖尿病なんぞになった。インスリンを打たなきゃならんようにならなかっただけ、まだ幸運だよ。よくあの頃生きてたよな。俺、絶対に四十代で死ぬって思い込んでたぜ。

ともあれ、入院などを経て食生活を一気に改善したおかげで、今じゃすっかり糖尿病は落ち着いて、標準レベルの体重にまで痩せてはいるけどな。若い頃の俺は、本当に凄かった。写真があったら見比べたらよくわかる。顔が死ぬほどデカい。パンパンに膨れてるんだぜ。想像もできないよなあ。

けどさ、今の俺だって油断はできないぜ。脳梗塞って、いつまた再発するのか、全然わからないんだよ。日々その恐怖におののいてるよ。俺、二度目の時が最初の罹患から四年後にやってて、それをやってからそろそろ四年経つから、いい加減ヤバいかなって思ってて、どうしようかと本気で思ってる。三度目をやったら、たぶん俺、死んじゃうんじゃないかと思ってるしね。
今、そんな風になるぐらいなら、当時のおまえぐらいの時に、ひたすら節制しておけばよかったとしみじみ思うよ。

若い頃に勉強嫌いでもあった俺

おまえ、そのうち、せっかく入った大学をドロップアウトして、社会に何となく入り込んでいくだろ?
悪いことは言わんから、大学にはちゃんと行っておけ。遊ぶなとは言わんけど、高校でも大学でも、勉強はちゃんとしておけよ。大学をドロップアウトしたのは仕方がなかったとしても、勉強ぐらいはちゃんとしておけ。

おまえ、高校生の頃に試験勉強なんて全くしなかっただろう。いや、中学生の頃からそうだったよな。あれはイカンよ。勉強はちゃんとするべきだ。くだらないおっさんの説教だと思わず、ちゃんと聞くんだ。

量なんてほんの少しだけでも良いから、ジャンルは何でも良いけど、とにかく勉強をしておくべきだったんだよ。今だからこそそう思う。

繰り返すが、全く遊んじゃダメだとは言わん。たまには遊ぶことだって必要だしな。息が抜けないと、ヘコんだり鬱になったりするだろう。そういうのを防止するために、たまの遊びは大いに結構。
でも、年がら年中はダメだ。程度は弁えようや。おまえはそれでなくても怠惰なんだ。おまけに自分に歯止めをかけるのもヘタクソだ。そういうおまえ自身の特性を、よく考えて行動しなきゃダメだ。

そうやって自分をコントロールできていたら、今みたいなことにはなってないだろうよ。もう少しマシな人生があったかもしれんね。まあ、もう五十歳とかになって今更みたいに後悔してみたって始まらんがね。

歯止めのない人生と人見知り

だいたい、おまえというヤツは、さっきも言ったが、自分の歯止めをかけるのが下手で、何かというと自由を満喫しすぎなんだ。おまけにわがまま放題で生きてきてる。
昔から独りぼっちで周りにろくな友達もいなかったし、学校には遊び友達はいたけど、親友と呼べるようなのはいなかったじゃないか。友達を作るのもヘタクソだったからなあ、おまえは。ガキの頃から引っ込み思案だったじゃねえか。

俺は今でも時々人見知りするけど、この頃の癖が全然直ってねえんだよ。だからあんな人見知りみたいなのをしちまう。あれは止めろ。勇気を出して他人と接触しろ。

人に声掛けする時に無用の遠慮をするな。おまえはとにかく「自分が声をかけると相手が良く思わないんじゃないか?」みたいなことばっか思って、他人に声掛けできないじゃないか。あれは悪い癖だぞ。
手当たり次第にコナかけまくるのも、それはそれでよろしくないが、人見知りが過ぎるのも良くない。

他人に気を遣うのは、決して悪いことではないし、必要な時には気を遣って全然問題ないが、必要以上に気を遣いすぎるのだけは止めておけ。おまえが損をするぞ。俺もこういう性分のせい(まあ、それだけでもないが)で、たくさん損をしてきた。
友達も多くできなかったし、女の子すら口説けなかったもんな。俺は俺の性分のせいで人にはてんで恵まれなかった。今ですら「何考えてるのかわからない人」みたいに思われてるんじゃないだろうか。何年も通ってる会社の中でさえね。それはもういい加減、何とかした方が良い。

だから、悪いことは言わん。人見知り癖はできるだけ早く解消しろ。それはつまり、おまえの人生を充実させるためでもあるんだぞ。

おまえの仕事は良いのか悪いのか

おまえも一応、社会人になったら仕事ってものをするが、これがまあ、最初は家電量販店で販売員をやった。これは基本的におまえに合ってなかったみたいだな。辞め方がダメすぎた。ただ、まあ、この会社で社員旅行には行ってるけどな。北九州や博多まで行ってるな。
次はデパートの青果売り場でスタッフやってた。最初のうちは良かったと思うが、数ヶ月後に来た上司がデタラメな男で、こいつに反発してムチャクチャな辞め方をした。いろいろ迷惑をかけてもしまったが、あの時はいろいろなものが頭の中で破裂しちまった。全くダメな経験だったが、今思えば必要なことだったかもしれない。

てか、その時に思ったんだが、おまえは、時々こう無駄に思い切りが良すぎるぞ。何であんなことしちゃうんだよ。細かいことはいちいちここでは言わないけど、あのほぼ1ヶ月間は、何だったんだろうな。まあ、いろいろあったし、いろんな場所にも行った。ともあれ、それをいちいちここではご披露しないけれども。
いや、してもいいんだろうけど、特に恥部とかプライベートをかなり掘り下げるような思い出だし、俺にとって傷ばかりが深くなるような話だから、止めといた方が無難だから止めておくよ。一つだけ言えることがあるとするならば、めくるめくような約1ヶ月間だったとだけは言っておくよ。

そんな感じで二番目の仕事を辞めて、しばらくプータロー暮らしをしていたが、縁あって三番目の、人生で最も長期間属した会社に勤め始めた。事務的な仕事がおまえは性に合ってたからな。
高校時代には数学が不得意だったんで、数字には決して強いわけじゃないはずなんだが、経理の仕事を長らくしていたよ。

カネをイヤと言うほど触りまくったよな。あの仕事を経験したおかげで、おカネにそれほど執着しなくなった。
そりゃ、カネは多い方が良いには決まってるけど、不思議とそこまでがめつく執着はしなくなったような気がする。経理の仕事の副産物なんだろうな。
今はもう手が動かないからできないね。脳梗塞が恨めしい。

この仕事は15年ぐらい続けた。事業が縮小したんでお役御免になったが、正直、少々悪戯して辞めようかと思ったこともある。でも、それはしなくて良かったと思う。
ちなみに今その会社はもうないんじゃないかな。あった場所には、もう残っていなかったようだ。数年前まではあったと思うけど。まあ、居心地は良かったが、俺はそれが故に進化を止めてしまったのかもしれない。
在職中に、もっとたくさん資格を取っておくべきだったよ。俺が怠惰すぎたせいで、それをしなかったのはとても心残りだ。そういった心残りをしないためにも、いざというところでの大胆な思い切りとモチベーション作りは必要だぞ。若い頃から少しずつ準備をしておけよ。

ただ、直後に同じ系統の仕事をしたけど、入った会社が悪すぎてね。辞めさせられる時に、何か無茶な理由を言われたんで、頭に来てハローワークに抗議したよ。そこを通じてその会社には注意があったんじゃないかな。今、その会社があるかどうかは知らん。知りたくもない。

その次はある会社で営業みたいなことをしたけど、俺には全く合わない職種だったね。一週間足らずで辞めたのも仕方があるまい。辞める時にここも何かいろいろ言われたんで、ともかく腹の立つ会社だった。今はもちろんその場所にはもうない。あの会社、地元企業ではなかったが、地元に根付かなくて当然って気がする。いろいろデタラメすぎたよ。

その後、一年ずつ役所で仕事をして、二年過ぎた頃に最初の脳梗塞やって、しばらくどうしようもなくなって、それから少し経ってから、今の仕事に就いたっけな。途中で一度倒れてるけど、おかげさまで、とりあえず今の職場では続いている。今の会社には本当に感謝しているよ。
とりあえず、仕事は必ず真面目に考えて選ぶんだぞ。遊び半分で決めたりしちゃダメだ。

サッカー愛好者になる

ところで、おまえ、三十代の半ばぐらいからサッカーに殊の外入れ込むことになる。それどころか、五十歳越しても、まだサッカーを追っかけてるぞ。

日本にもプロサッカーリーグというものができてだな。おまえはそれに入れ込むんだ。最初はオリジナル10という10チームを見てた。
1993年にサンフレッチェ広島というチームがアルゼンチンのインデペンディエンテというチームと行った試合が、近所の浜山公園陸上競技場であったんで、それを観に行ったんだが、その翌年に、ベルマーレ平塚というチームができてだな。更に次の年にそこの試合を観に行った。

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チケットを見たらわかるように、鳥取市にスタジアムができてだな。そこに車飛ばして出かけたんだ。

今は道路事情が格段に良くなったから、鳥取に行くのも恐らくそこまで苦痛ではないはずだが、おまえが車の免許を取って車に乗り始めてそんなに経たない頃は、鳥取に行くには自動車専用道路なんてものがなかったからな。淀江ぐらいからずっと下道ばっか走ってたんだぜ。

この試合に限らず、鳥取には何試合も観に行った。そればかりか、浜山とか松江とか、いろんなところに試合を観に行ってる。

しかも、だ。おまえは鳥取に贔屓のチームを見つけてしまうんだ。驚いちゃいけないぞ、あんな田舎の鳥取(でも場所によっては島根県よりはマシかもしれない)にすら、それなりの規模のサッカーチームができるんだぜ。

SC鳥取っていうんだがな。

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そんな名前のチームが数年後には、プロチームになってガイナーレ鳥取って名前になってだな。

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しかもだ。おまえはこのチームに十五年以上もの間、何だかんだで寄り添っているんだぜ。あり得ないだろ?馬鹿だろう?

それもだよ。ある程度の長い間、おまえはこのチームの応援をするために、そういう人たちが集うエリアに入って、しこたまデカい声を出して応援したりとか、そういうことをやっていたんだぜ。人見知りとかするくせに、応援するとなると肝が平気で据わるんだよな。あれは不思議よ。

脳梗塞をやってからも、時々スタジアムに観戦に行ってる。写真を撮ったりして、そういう結果としてできた試合観戦記をインターネット経由で発表したりしてる。信じられないだろ?

そりゃ何か書いたりするのはずっと好きだったけど、サッカーが高じてそれをするとは思わなかったよな。

あ、そうそう。もちろん、地元の島根県にも好きなチームがいるぞ。

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最初はFCセントラル中国と名乗っていたが・・・

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それがデッツォーラ島根ECという名前になった。ここはチームにも惚れているが、前代表(故人)の人懐っこさにやられてしまった。
チームとしては、何て言うか、ちょっと変わった、でも、何か得体は知れないけど、とにかく強い、って辺りに惚れてしまった。あの得体の知れない強さが、また復活してくれたら良いのにな。
ここは鳥取と違ってプロチームではないけれど、選手たちは面白そうにサッカーやってて、それを見てるとウキウキする。

おまえが好きになるチームは、そんな風にちょっと一風代わったチームばかりだぞ。おまえらしくて良いじゃないか。だいたいおまえはちょっと毛色の違う好みを発揮しがちだしな。個性的な好みで、他の人たちとは違うってところをアピールしてるよな。
あと、これだけは言っておくけど、おまえの趣味はおまえを裏切ったりしないぞ。好きなものには手痛い目に遭うこともあるが、そんな目を補って余りあるほどの良いことにも出会う可能性があるんだ。だから大事にしておくんだぞ。それは覚えておけよ。

音楽の趣味

おまえの音楽の趣味はずっと概ね変わらんぞ。洋楽大好きで、邦楽も時々聴いてるな。
洋楽で言えばローリング・ストーンズをはじめ、いろいろ聴いてるんだが、ここ最近のは実はあまり聴いてない。

邦楽はオフコースを中心に聴いてて、これもそんなに変わらんけど、結構古いのも聴くようになった。しかもだ。おまえ、アイドルとか聴いたりするんだぜ。それも、ピンクレディーとかキャンディーズとか南沙織とか。もう少し時代が降りると、中森明菜とかも聴いてるな。
おまえ、松田聖子とか、全然聴かないよな。小泉今日子も、あんまり手を出さないよな。あれは何でだ?

洋楽は、ロックじみたものから、シンセポップとか、プログレとか、ジャズとかわけのわからんところまで聴くようになるよな。何でもかんでも聴いてて、よく混乱しないなと思うぐらい雑食なんだが、まあ、よく聴いてるよ。でも、自分の感性に合わないと手を出さないよな。それは昔から全く変わらないんだよ。
柔軟なようでいて、どういうわけだかそういうガンコさがあるのが不思議。おまえの音楽志向は本当に何と言って良いのかわからない。ただ、何を聴いても、おまえはおまえであり続けるんだから、それで良いんだよ。おまえの自分本位で構築していけば良い。未来永劫ずっとな。

最後に~五十一歳のおっさんからのメッセージ

ねこ (50)

ともかくだな。五十一歳になったおっさんからのわりかし真面目なメッセージを最後に書いとくから、よく読めよ。

五項目のメッセージ

1:ものをバカスカ際限なく喰うな
2:若い頃にはとにかく何でも勉強しておけ
3:仕事は真剣に選ぶに限る
4:趣味は概ね裏切らないから大事にしろ
5:音楽の趣味は自分本位で良い

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・・・というわけで、いろいろ書いたけど、若いおまえには、たぶん鼻糞ほどの役にも立つまいと思うぞ。俺には威厳がないからな。おまえを平伏させる説得力も持ってない。いい歳をしてるくせに、俺は情けないヤツだ。
若くて生意気で鋭利なナイフみたいなおまえからは、間違いなく小馬鹿にされるだろう。

でもな、おまえが歳をとった姿が今みたいな情けない俺になるんだよ。そのことは考えておくべきで、俺みたいな歳の取り方をしないために、さっきの五項目のメッセージをしっかり頭に叩き込んで、真っ当に生きていけよ。
間違っても俺みたいな情けない歳の取り方はするな。五十一歳でも若々しくあれよ。大病なんかするんじゃねえぞ。
あと、できるなら、奥さんを娶って子供も作れ。俺みたいにしくじって、そういうものを得られないような親不孝をするな。親には楽をさせてやりな。何だかんだで苦労をかけちゃいけないぞ。
若いおまえには、こんなことを言ったところでまるで理解できないかもしれないが・・・

歳を取るなら格好良く歳を取れ

・・・その言葉の前に理屈も何も要らん。ただそれだけが、今のしょぼくれただけの俺からの、せめてもの願いだ。
それだけ聞いてくれたら、他にはもう何も望まない。ただこれからは、俺の寿命が尽きるまで、俺らしく生きていくだけさ。

最後になったが、こんなしようもない手紙を読んでくれてありがとう、二十歳の頃の俺。頼むから、今の俺みたいな歳の取り方だけはしないでくれよ。今の俺なんかより、ずっと充実した人生を歩んでくれよ。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。