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超重要な「配慮範囲」という考え方

こんにちは。遠藤です。4853回目のブログです。
※過去ブログ(4740日分)はこちらにあります。

ここ数日は「群れない」とか「カオス」とか「多様性」などと書いておりますが。

私が言うところの「群れない」とか「カオス」とか「多様性」は「変わった人がいる」ということではありません。

わかりやすくフィットネス業界で説明します。

フィットネス業界の人たちって極度に人間関係が狭いと思います。

同じ人とばかりいる人が多いと感じます。

で、その狭い人間関係の中に「変わった人」がたくさんいたとします。

私はこれを多様性とは思いません。

むしろ「性格が変わっているから人間関係が狭く限定されている」のだと思います。

「人間関係に幅がないこと」を多様性とは言わないということです。

「人間関係の狭さ」は「視野の狭さ」を生みます。

「視野の狭さ」は「固執」や「思い込み」を生みます。

「固執」や「思い込み」は「人間関係の狭さ」を生みます。

このように一周しますので、こういう人たちは必然的に同じ人とばかりつるんでいるということになります。

大切なことは人間関係に幅をつくることです。

ちなみに人間関係の幅は「人脈づくり」で形成されるのではありません。

それは「配慮範囲」によって決まります。

「配慮範囲」は「思いを馳せる人の範囲」と「思いを馳せる時間の範囲」の2軸で構成されます。

前者は自分以外の他者への範囲が広いこと。

後者は未来に向けた範囲が広いこと。

逆から言えば「自分のこと」だけを考えていて「今が良ければいい」という人がもっとも「配慮範囲が狭い」ということになります。

「配慮範囲」は広ければ広いほど、その中に多くの人と多くの時間が包まれることになります。

そうなれば当然「人間関係」も広くなっていきます。

これは名刺交換会(古い!)などで作為的につくられる人脈とはまったく違います。

最近、特に思うのですが「配慮範囲の狭い人」って自分の意向を認めさせる一方で、まわりの人間関係を破壊していきます。

だから「人の輪」が広がっていかない人とか、人間関係が固定化していたり、次から次へと周囲が去っていくような人は口で何と言おうと「我執」です。

私はFBL大学をやることで自分以外への配慮範囲が広がりました。

それまでは自分のことしか考えていませんでした。
※もちろんそういう風にしようとしたいたわけではない。単なる未熟です。

また小さなことですが、パルを飼うことでも自分以外への配慮範囲が広がりました。

そしてスモールジム協会をやることで未来への配慮範囲も広がりました。

より多くの人に末永く良い人生を歩んで欲しいと思うようになりました。

話を戻すと・・このマインドがあっての「群れない」であり「カオス」であり「多様性」です。

これこそが「弱い紐帯の強さである」と理解しています。

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