№5116:「より良い人間関係」の築き方
こんにちは。(株)個のサポーターズクラブの遠藤です。
※過去分はこちらにあります。
毎週、土曜はいただいた質問にお答えしていきます。
【今週のご質問】
「少し前に『相手との関係性が近くなると、お互いに遠慮や配慮がなくなり、仮に相手が自分に90%良いことをしてくれていても、そうではない10%の嫌いなことや合わないことを責めてしまうようになる』という主旨のことを書かれていました。この時、10%はどんなことでも許容すべきと考えますか?」
【私の考え方】
いえ、そうは思いません。
実はそのnoteの中で記そうとしたのですが、長くなるのでカットしたことがあります。
そのことがまさにご質問への見解になります。
それは「自分の人生観や価値観と大きく合わないこと」です。
それは10%ではなく1%でもやめたほうがいいと思います。
※実際はその1%が100%になるわけですが。
例えば、私であれば「威張っている人(マウントを取りたがる人)」「恩を仇で返す人」「思想が偏っている人」などは100mの棒の先でも触れたくありません。
この時、「威張っている人」や「恩を仇で返す人」と親密になるということはないでしょう。
微妙なのは「思想の偏り」です。
これは日常の性格の中に隠れているので、なかなか見えづらかったりします。
が、これは時間軸の中で「対立」を生んでいく確率を高めます。
わかりやすいのが宗教対立です。
これは戦争になります。
ビーガン派vs肉派なんていうのも同じ。
「思想の違い」は対立を生むのです。
もちろん、各個人がどのような思想をしようが自由ですが、それが共存できるかと言えば、そう簡単にはいかないのです。
また、「偏った思想の人」は例外なく「自分の正しさ」を他者に強要してきます。
「自分たちの意見こそが正しい」
「自分たちの意見以外は間違っている」
さらに「自分たち以外の人は騙されている」。
「マジか・・」と思います。
「自分たちこそが正しい」なんていうのは「排他的思想」以外の何者でもありません。
こう言うと「今は多様性の時代だ。多様な考え方を認めるべきだ」的な反論にあいます。
が、そこには「常識的な許容範囲」というものがあります。
そこから逸脱していることを「偏っている」とか「極端」といいます。
こういう人とは一緒にいるべきではないでしょう。
大切なのは「中庸」です。
「中庸の徳たるや、それ至れるかな」
物事を「中庸」で考えることが「徳」につながり、それが「より良い人間関係」を築いていくのだと思います。
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