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楽しみを削って生きる人生に価値はない

こんにちは。遠藤です。4802回目のブログです。
※過去ブログ(4740日分)はこちらにあります。

今日は久々に「遊びネタ」を。

この前の水曜日に原田さんとFBL大学でともに学ぶKさんとゴルフに行ってきました。

場所は秩父。

ゴルフは7月以来の今年3回目です。

ゴルフって一日中、自然の中にいられます。

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そして(今回なら)ずーっと3人だけの空間で過ごせます。

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夕暮れまで楽しみました。

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気になるスコアはパーを2つ獲得しての130でした(笑)

12が2回と10が1回ありましたので。

が、感覚的には好調でした。

130から34(12+12+10)を引くと96です。

96を15ホールで割ると「6.4」です。

なので他のホールは「+2ペース」でまわれている。

これなら十分楽しめます。

とはいえ、もう少し練習しないと・・。

なんとか平均的に「+2」の108でまわりたいです。

と、そんな下手クソぶりですが、ゴルフはいいですね。

上記の理由もありますが、「やっている」というだけで仲間と楽しい時間を共有できますので。

人生はもっと遊ばないとですね。

というか、人生は遊ぶために生きているといってもいいくらいでしょう。

健康はそのための手段でしかありません。

昨今の風潮は身体に悪いといわれるものを片っ端から遠ざけようとするものです。

例えば、タバコ、お酒、肉食、糖質・・。

「身体に悪いことはしない」

こんな人生のどこが楽しいのですかね?

ある医師の本に書いてあったことですが「身体に悪くたって、うまければ食えばいい」のです。

楽しみを削って長生きを目指したところで、人生の質は一向に高まっていかないと思います。

「これは身体に悪いな・・」と思いながら、思わず食べてしまうのが人間というものでしょう。

私はそんな自制心よりも「リカバリー」の方が遙かに重要だと思います。

「あ~カップ麺食べ過ぎた~」

「だったら少し何かを我慢するか」

少なくとも私はこんな感じです。

人間最後は必ず死ぬんです。

ならば、その期間で楽しいことをやった人が勝ちでしょう。

私は65歳で死のうが85歳で死のうがたいした差ではないと思っています。

「どれだけ生きたか」ではなく「どう生きたか」。

今は「生き方」「生きざま」にリスペクトが集まる時代です。

楽しみを削って生きる人生になど1%の価値もないと思います。


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