『普通』と思う事を捨てること
『普通知っている』
よく使われる言葉です。
一般的で多数的なんじゃないの?ということも含まれる普通。
しかし、この普通って何からできているんでしょうか?
基本的に普通というのは、その人の中にあって当然の価値観のことを指します。
これは、その人にとっての判断基準であり、行動理念になります。
行動理念なので、日々その決断は繰り返されており、基本的に一人ですることに関しては問題というのは起きにくいです。
しかし、誰かと共にするとなるとまた別です。
誰かと共にするということは、誰かの文化も共にするということになります。
その文化に合わせないといけません。
また、その文化がわかるように相手もしてあげないといけません。
お互いの思いやりがあってこその社会だと思います。
しかし、その事があまりわからないのか、気にしないのか文化の強要を求めるタイプもなかには。
何故しらないんだ?
普通こうするだろ?
だいたい・・・
このような言葉が増えるのは、理解し難いことが多いか、めんどくさがりですね。
自分の範疇外の人を、知らない事が多い人とカテゴライズするのはよくあることです。
合わせて、このような言葉が自然と出やすい人というのは、あまり悩まないタイプでもあります。
決め込んだ価値観が正義だと思う人かもしれません。
この人達の言葉にうまく対応できなくて困るタイプの人が一番仕事してて大変かもしれない。
普通じゃないんだ。
もっと頑張らないと。
僕なんか・・・
人によっては匙を投げてしまうかもしれません。
けどこれって本当にその悩んでる人が悪いのでしょうか?
普通ということの投げかけ方に問題があるのではないでしょうか?
悩んでる方も普通ではないし、怒った方も普通ではない。
普通なんて、自分基準である。
普通なんかない。
人には人の事がある。
こう思えるようになれば、少しでも相手のことを受け入れられるようになる。
そこで学ぶ事も、諦める事もできる。
苦しい思いをしないように、人とぶつからない為にも、普通を捨てること、出来ますか?
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