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午前5時15分の吉野家で学んだこと

2016年の冬、僕は人生で初めて上京した。

転職を機に、当時住んでいた四国から初めて東京に移り住んだ僕は一言で言えば浮かれていた。※東京に来たのも「東京に住んだことがないから、住みたい」という安直な理由。

そして、大学時代を関西で過ごしており、東京の友人というものがほとんどいない僕は少々暇を持て余していた。(高校時代の同級生などは何人かいたが、ほとんどが学生時代から東京にいるメンバーなので、それぞれのコミュニティーや生活があるだろうから気軽に声をかけるのも気が引けたのだ)

とはいえ、初めての東京、憧れていた東京の生活。どこかに出かけてみたくて仕方ない。

そんな中、とあるイベントをたまたま見つけた僕はノリと勢いで参加してみることにした。

「エレクトリックガン」というレーザー銃で行う、サバゲーのようなイベント。

舞台は東京・お台場ジョイポリス。

スケジュールは

22:30開場・受付開始                      23:00ルール説明・ゲーム開始                   4:30イベント終了

深夜のお台場、ジョイポリス、光線銃、蛍光色の光る装飾、無駄にでかいサングラス、意味不明な光る腕輪。

パリピ中のパリピの方が参加されるイベントだ。

大事なことなので言っておくが僕は断じてパリピではない。

音楽に合わせてノリよくダンスとかできないし、お酒も強くない、オールも出来ればしたくないし、初対面の人とフレンドリーに話せない。

そして大事なことは僕は1人で、このイベントに参加したということだ。

ぼっちレベルは高いと自負しているので、焼肉もバイキングも1人で行けるし、行こうと思えば遊園地だって1人で行けるだろう。※焼肉は1人で行くよりも、大勢で行った方が色んなもの食べられて楽しいので、1人で行くのはあまり勧めない。

でも、これは少々レベルが高すぎた気がする。

当時の僕は大丈夫か?正気ですか?

それもこれも、東京に来て浮かれていたことと、どこでもいいから遊びに行きたかったせいだ。

もう少し正確に言うならば、東京でしか味わえないであろう体験がしてみたかった。

真夜中のアミューズメントパークで行われるイベントなんて地方では絶対にないだろうし、当時の僕にはとても「東京らしい」と感じられたのだ。

だからこそ、わかりやすく、性にも合わないド派手なイベントに参加してみた。

誘えるような友達もいなかったし、そもそも22時半開始のイベントを19時半くらいに知って、1時間後には会場に向かっていたので、友人がいたとしても予定は合わなかったと思う。

りんかい線に揺られ、東京テレポート駅で降りると真夜中のジョイポリスに向かう。

結果的に言うとイベントは楽しかった。1ゲームごとに参加人数が決められていて、1人参加でも自然にゲームに参加できるように設計されていたので、イベントとしては優れていたと思う。※まじでイベント中誰とも話さなかった。それでも楽しいのはある意味すごい。

※会場の雰囲気が知りたい方は、#エレクトリックガン で検索してみてほしい。決して、いつもこういう所に遊びに行っているわけではない。友人に連れられてクラブに行ってみたら、雰囲気に馴染めなすぎて1時間くらいで先に帰ったことがある。

1人でもイベントを満喫し、気ままにゲームに参加したり、施設内をぶらぶらしたりしていたら、気づけばあっという間にイベント終了時刻の4時半になり会場を後にした。

冬の季節の午前4時半、しかもお台場という海に近い立地もあって風が吹いて非常に寒い。イベント中はアドレナリンが出ていて気にならなかったが、疲労と眠気も襲ってきた。

調べると始発が5時半頃なので、約1時間待たなくてはいけない。

どこかお店に入りたい。そういえば夜通し起きていたら腹も減ってきた。店だ。店に入りたい。

午前4時半のお台場にいたことのある人が少ないだろうからお伝えしておくと(僕も今のところ、この時が最初で最後の経験だった)お台場というのは昼間は非常に賑わっているが、そのほとんどが大型の商業施設などを目的としているため、独立して営業している店舗がかなり少ない。更には早朝ともなれば言わずもがなだ。

眠い目をこすり、寒さに震えながら、さながらゾンビのようにお台場の街を徘徊し、店を探していた。

20分ほど彷徨っていると、大通りに面した商業施設の一階に、オレンジに光輝く看板を掲げた店を発見した。そう、吉野家だ。

寒さが限界に近かった僕はすぐさま吉野家に駆け込んだ。

午前5時近くだというのに、その吉野家は意外と混んでいた。十中八九僕と同じイベントに参加していた人たちが始発までの時間つぶしに暖と休憩場所を求めて、立ち寄っていたのだろう。

店内に入り、席に着くと僕は牛丼並盛りと味噌汁を頼み、出されたお茶をすすり身体を温めた。

店内には店員さん2名しかいなかった。早朝の吉野家ならそんなものだろう。

1人は中国人であろう女性、もう1人はアフリカ系っぽい男性。※あくまで僕の見た感じの印象なので正しいかは知らない。

仮に女性をメイさん、男性をポパさんとしておこう。※名前にも特に意味はない。

メイさんの方が先輩で、ポパさんはかなり最近入った新人さんのようだ。

ポパさんはメイさんから、仕事を教わりつつ、やや叱られていた。曰く「一度教えたことはきちんと覚えなさい」「自分で仕事を考えて動かないとダメだよ」など新人さんがよく言われるであろう内容だった。

不慣れなポパさんを含めて、店内は慌ただしかった。それはそうだ。普段なら人が来るのかどうかすら怪しい早朝の時間帯にまあまあの人数が一度に押し寄せたのだ。慌てるのは当然だろう。

そんな様子を見ながら僕は牛丼と味噌汁を味わっていた。牛丼の甘辛さと味噌汁の温かさが冷えた体に沁みる。

もそもそと食べすすめて完食。気づけば午前5時15分。これなら歩きながら駅に迎えば、ちょうど始発が動きだす時間だろう。そう思いお会計を済ませようとしたが、ふと「お茶が飲みたい」と思った。

牛丼と味噌汁を平らげたことで少しばかり喉が渇いた。手元の湯呑みにはほとんどお茶が残っていない。とはいえ、時間もあまり余裕がないし、忙しそうにしているメイさんとポパさんにお茶を頼むのもなんだか気がひける。

そう思ってお会計を頼もうとしていると、ポパさんが僕の方に近づいてきた。そして、僕のテーブルに新しいお茶が入った湯呑みを置いてくれたのだ。

僕はまだお茶を頼んでいない。にも関わらず、ポパさんは僕のお茶がなくなっていることに気づいて持ってきてくれたのだ。

感動した。ただ、その行為に感動した。

慣れないバイト、想定外の早朝の団体客。そんな中で仮にとあるお客さんのお茶が少なくなっていることに気づいても、すべての店員さんが同じ対応するとは思えない。別にお客(僕)から「お茶を持ってきて欲しい」というオーダーがあったわけではないので、持ってくる義務はない。それなのに自発的に持ってきてくれたのだ。

僕がポパさんの立場だったら、多分持ってきていない。異国に働きに出て、慣れない仕事、おそらく疲れているであろう早朝の時間帯に細やかなサービスができるとは思えない。それなのに、お茶を持ってきてくれた。

おそらくだが、空の湯呑みだけではなく、僕の挙動を見てお茶を欲しがっていることを察してくれたのではないだろうか。

飲食店のサービスとはなんだろう。例えば、高級レストレンで完璧な料理と丁寧な給仕(サービス)を提供することかもしれない。確かにそれもサービスだろう。だが、本質的にサービスとは相手が望むことをしてあげることだと思う。「これをしたから正解」「これをすればOK」そう言ったものはなくて、相手の好みや状況を把握し、適切な施策を実行してあげることではないだろうか。

さらに言えば、サービスとは自分に余裕がないといけない。勿論、飲食店の店員さんは食事や給仕を提供することが仕事なのだから、忙しかろうときちんとサービスを提供しなければならない。でも、忙しかったり余裕がなければどうしたって、完璧に遂行できないことはある。

それを踏まえて、ポパさんのことを思い出して欲しい

彼は

「僕が何も言わなくても、僕がして欲しいことを察してサービス(お茶)を提供してくれた」「仕事に不慣れかつ、忙しい状況という自分に余裕がない中でもサービスを提供してくれた」

素晴らしくはないだろうか?これぞサービスという気が僕はした。

サービスの良し悪しというのは高級店だとか、良い食材を使っているということだけが重要なのではない。チェーン店だって、心に残るサービスをしてくれることもある。

思い返せば、大して美味しいわけでもないのに、パスタ1皿が2,000円くらいして、こっちが呼ばないと水のお代わりもメニューも全然持ってきてくれない、新オープンの商業施設に入っているイタリアンにこの前行ったことがあった。

そんなお店のサービスよりも、僕には吉野家で出してもらった一杯のお茶の方が心に残った。純粋に「お茶をありがとう」「早朝まで働いてくれてありがとう」と思った。サービスとは思いやりだ。それをポパさんから僕は学んだ。

もしかしたらポパさんも、僕と同じように東京に来て日が浅かったのかもしれない。(そもそも日本に来てあまり時間が経っていない可能性もある。かなり日本語がたどたどしかった。)

そんな、不慣れな環境で、精一杯もてなそうとしてくれたと思うと、胸の奥がじんわり温かくなった。

僕はそんなに気がきく方ではないので、細やかなサービスなどをするのは苦手だ。それでも、ポパさんが何も言わないでお茶を持ってきてくれたのがとても嬉しかったので、それ以降友人と食事に行く時などは「水飲む?」などと聞かなくても、時にはそっと水を注いだりするようになった。※時々忘れてしまうこともあるし、人によっては欲しくないのに水を注いでしまったりしたこともあって難しいが。

ポパさんが持ってきてくれたお茶を飲み干し、今度こそお会計をしようと「すみません」と声をかけるとポパさんが気付いてくれてこっちに向かってきた。

そして、その手には


お茶の入った新しい湯呑みが握られていた。

申し訳ないなと思いつつも、全部は飲みきれないので半分ほど飲み、会計を済ませ店を後にし、始発に乗って自宅に帰り、泥のように寝た。

あれから4年。少しは東京に慣れ、年齢も30を超え体力的にもきついので、もうノリでオールナイトのイベントに行き、早朝のお台場で牛丼を食べることなどそうそうないだろう。あの吉野家にもうポパさんはいないだろうし、そもそも日本にすらいない可能性がある。どこにいるかはわからないけど、息災であることを願っている。

東京に来てから新しい出会いや環境の変化など色んなことがあったけど、あの日ポパさんが出してくれたお茶の味を、初めて東京に来て大きな期待と少しの不安を抱えていた僕に、温かさをくれたお茶の味を、今でもたまに思い出す。

外出自粛が明けたら、吉野家に行きたい。

牛丼を食べ、最後には一杯のお茶を飲みたい。

もしかしたら、僕が何も言わなくても、お茶を持ってきてくれるような店員さんがいるかもしれない。


こちらのnoteは黒ワインさん主催の #わたしの食のレガーレ コンテストの応募作品になります。


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