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愛される人より愛せる人に…

今回あるきっかけがあり、再度『嫌われる勇気』を読んで思ったことこれからの人間関係において大事にしていきたいことを過去を振り返りつつまとめてみました。完全に自己満な内容なので、初めましての人に関してはあら、そうみたいな感じになるかもですが読んでくれると嬉しいです。

過去振り返った自分

今までの自分はコミュニケーションを恐れていた。正直今まで人と関わってきて自分の気持ちをしっかり伝えた経験がない。それは友人関係・家族関係ひいては恋人関係の時もそうで、付き合っている当初もなかなか「好き」とか「ありがとう」を伝えれていなかった。今思うと別れを告げられて当然だったなとも。自分でも思うけどほんとにチキンだったなとしみじみ…

今までできなかったのは心の中で自分が本当は関わって人に好意を伝えたりしたいと思っていた。けれども、それ以上に関わっていく中で人に拒絶されたり、傷つくことに恐れていた

これは過去の姉と自分自身の比較からきていたんだろう。

姉は正直ビビるくらい優秀で大学はもちろん仕事に関しても、なろうと思っても一握りの人しかなれないような仕事についています。高校の頃特に思っていたことで僕は学力高くなく親に「もっと勉強しなさい」、「姉ちゃん見習いなさい」と言われ続けていた。

そんなこんなで両親は自分を見てくれない、
姉ばかり見ている → 自分は何しても無駄
という考え方をしていた。
親からしたら僕の将来を案じてくれているのだなと今になっては思える。

アドラーの心理学でいうところの目的論な考え方で言うと、本来の自分はもっと上手くできるけどそれが失敗するのが怖いからチャレンジすることを避けるような発言をしていたと言うことになる。

我ながらめんどくさい生き方をしている。
でも今回それに気づくことができた。気づくことは変化のためのファーストステップだと思うのでこの振り返りを前向きに捉えていこうと思う。

これまでの夢とこれからの夢

就活の中でよくある質問の中で
「これから君はどんな人になりたい?」という質問、今までの僕は"関わった人を幸せにする人"になりたいと言ってました。

この夢に近づきたいと思ったきっかけは小学校の頃の先生が「自分が変わらないと何も変わらない、自分が変わったら捉え方が変わる」とい言葉があり自分自身救われた経験があってそれを自分にしてくれたように誰かに還元したいという気持ちがあったからだと思う。

夢は本当に自分でも思うなんて素敵な夢なんだ(自惚れ)
けど自分はその見返りに承認されたい、自分が必要だと思って欲しいと思うこともしばしば。これはきっと本質的なものではない

当時の先生も多分僕のことを変えたくて言葉をくれたわけではない、きっかけを与えて自分で進めるように促してくれたんだと今は思う。「嫌われる勇気」の中でも「馬を水辺に引っ張っていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない」というフレーズがあるように変えられるのは自分、変わるのはその人自身、そこを履き違えて自分なら変えられると思っていたんだろう。

これからは"自分を最大限幸せに、他者に変われる勇気を与えていける人"になりたいと思う。

これは他の人間関係にも言えることで
好きな人には好きと愛されるよりも愛せる人に
関わっていきたい人には信頼されるよりも信頼できる人に

相手にどう思われようと自分自身今の気持ちを忘れずに、嫌われる勇気を持って取り組んでいきたい。

嫌われる勇気はこちらから

最後まで読んでいただいてありがとうございました。ではまたどこかで!

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