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頂点を極めたら退く

やり過ぎ、がんばり過ぎ、欲張り過ぎは駄目!

富も、地位も、名声も
得てしまえば守るのに汲々とするものだ。

かといって、驕り高ぶれば、必ず過ちを犯す。

功なり名を遂げるまでが楽しいのであって
頂点を極めたら退くのが自然の摂理である。

持して之を盈(みた)すは其の已(や)むに如かず。揣(きた)へて之を鋭くすれば長く保つ可からず。金玉堂に満つれば之を能く守る莫し。富貴にして驕れば自ら其の咎を遺す。功成り名遂げて身退くは、天の道なり。  

『老子』(運夷第九)

持(じ):しっかりと持つこと
盈(みた)す:満たす
已(や)む:止めるの意味

水を溢れるばかりに一杯にしたコップを持たされただけで、こぼすまいとした人間は自由を奪われてしまう。(刀)を鍛えて打ち過ぎると、逆に強さを失ってしまう。財産財宝を持ち過ぎると、それを失わないかと気になって仕方ない。金持ちになり社会的立場を持つと、驕った心で他者を侮るようになり、周囲の信頼を失うことになる。成功を手にし、名声を得たら、本望を遂げたとして、その地位から身を退く謙虚さこそ、天が示した正しいあり方なのだ。

『老子道徳経講義』田口佳史 抜粋

「欲望論」も老子の特徴のひとつである。しかもこの章のように、ストレートな禁欲推奨である。

器一杯に満たそうとするからこぼれる。
刀を強く鍛えようとし過ぎるから脆くなる。
やり過ぎはダメだ、と言っている。

しかし、ここでは少し深読みして、欲望全否定ではなく、欲望との付き合い方を戒めていると受け止めたい。
人を惑わすのは欲望そのものではなく、欲望との付き合い方を間違えた時ではないだろうか。

人生は登り坂の時が一番楽しい、と言われる。
あれが欲しい、こうなりたいと願って、一途に努力しているときがもっとも充実した時間に他ならない。

しかし、坂を登り切った後=ある程度の富や名声を得た後は、それを守ろうと四苦八苦し、知らないうちに驕慢になってしまうものだ。頂きに登り、景色を堪能したら、早めに山を下る方がよい。

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