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心の薄衣を脱いで

規制がなくなれば活力が生まれる。
旬の素材に味付けはいらない。
飾ることを知らない幼子の笑顔に誰もが心和む。

にもかかわらず
私達はプラスワンを必死になって探している。

笑顔の練習をし、隠し味にこだわり、衣服や装飾に頼る。

褒められたい
誇りたい
いい気分になりたい

そんな心の薄衣を一枚脱いで生きていきたい。

聖を絶ち智を棄つれば、民利百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民孝慈(こうじ)に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有る無し。此の三者にては、以爲(おも)へらく、文足たらず、と。故に屬(つづ)く所有らしめん。素を見(あら)はし朴を抱き、私を少くし欲を寡(すくな)くせよ。

『老子』(還淳第十九)

聖:ここでは、聖人ぶって賢しらを装うことの意
素:染めていない白い絹

「聖人になれ」、「智恵者になれ」と言われ続けると、いつしかその逆を目差すようになるものだ。むしろ一言で済ませるぐらいの方が、本人が自分で考え自分の合った方法で、万事旨くやるものだ。仁だ義だと強く要求するよりも、人間の生まれながらに持っている良心を発揮させた方が親孝行や親心の情は生まれやすい。技巧や利益を唯一最大の功績のように賛美しすぎると、そこまでの力のない人々は、よい成果を出さねばと、結局他人の物を盗んで帳尻を合わせようとする事にある。言葉を費やし文章を労して色々言ったところで、真意は伝わらない。何よりも大切な事は、実行だ。そこでひとつの実行目標を与えよう「見素抱朴・少私寡欲」見え、見てくれ、外聞などの外の評価を一切気にせず素朴、朴訥を旨として飾らず自分をそのまま表わし、私欲私情を少なくして生きよ、という事だ

『老子道徳教 講義』田口佳史 抜粋

最後の行にある「素を見(あら)はし朴を抱く」という言葉は、老子の中でも有名な一文だと聞く。
中学校の体育館に掲げられた書額に「見素抱朴」と書いてあって、校長先生が朝礼でよく解説してくれたことを思い出す。

「素」は染めていない白い絹、「朴」は伐り出したままの粗木のことである。自分の中にある、飾りのないありのままを大切にしよう、という意味になる。言うなれば「自分らしさ」と言えるだろうか。

私達は情報過多社会にどっぷりと浸かっているので、どうしても、自分をより良くする(見せる)ためのプラスワンを探してしまう。
プラスワンがいつしかこだわりとなり、本来の自分らしさに覆いをしてしまうこともある。時にはそれを取っ払ってみることが必要ではないだろうか。

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