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「合理的経済人」の性(さが)

人間には
欲望拡大システムが埋め込まれている。

もっと多く、もっと上に、もっと有名に・・・
もっともっとのエネルギーが
進歩の原動力である。

しかし、欲望の正体に目を凝らしてみれば
実はほんとうに必要な分を越えて
余計な分を求めているだけなのかもしれない。

余分な食物は腐る
余分な金銭は人を惑わす
余分な力は争いのもとになる。

もっともっとのエネルギーを
どこに向けるべきか

それを見つける旅が、人生である。

跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自ら見(あら)はす者は明かならず、自ら是とする者ものは彰(あきら)かならず。自ら伐(ほこ)る者は功無く、自ら矜(ほこ)る者は長とせられず。其の道に於けるや、餘食贅行(よしぜいこう)と曰ふ。物或(つね)に之を悪む。故に有道者は處(の)らず。 
『老子』(苦恩第二十四)

跂(つまだ)つ:つま先で立つこと
跨(また)ぐ:大股で歩くこと
伐(ほこ)る:功績を誇ること
矜(ほこ)る:家柄・才知を誇ること

つま先で立っていると、すぐに疲れてかえって小さくなってしまう。早く行こうと大股で歩いていると、すぐに疲れてかえって遅くなってしまう。何かにつけて“俺が俺が”と目立ちたがる者は悪い評判ばかりになってしまう。自分で自分を良しとする者は、かえって他人から良しといわれない。自分の業績を自慢すればするほど、他人から認められなくなる。自分の才能や能力をほこればほこるほど、周囲から浮いた存在になる。
これ等は、食べ残しや贅肉のようなもので、何の足しにもならない余計なものである。
人々は誰でもそんな余計なものを嫌悪する。「道」を手本として生きる者は、そうした不用なことはけっして行わない。
『老子道徳経講義』田口佳史

この章でも「欲望の魔力」を鋭く指摘している。
近代経済学が前提とする人間モデルは「合理的経済人」である。合理的に計算して、自己利益の最大化を図ろうとする存在として人間をみなしている。

どうやら人間には「欲望拡大システム」が埋め込まれていて、―もっと、もっと―というエネルギーが人間を突き動かす原動力になってきたようだ。
精一杯背伸びをし、他者よりも先を急ぎ、周囲に見栄をはり、自慢をする。それが人間である。

そんな人間の欲望を、老子は、「餘食贅行(よしぜいこう)」 つまり余計なものだと切って捨てている。
現代社会への痛烈な皮肉とも言える。
老子に心惹かれる人が多いのは、このあたりの切れ味鋭い指摘にあるのかもしれない。

残念ながら老子の教えは、いつの時代も主流ではなかった。
いや、「欲望拡大システム」こそが、近代社会のテーゼであって、そのおかげで、人類は進歩してきたのかもしれない。

欲望は人間社会を豊かにする。その一方で、戦争や飢餓を引き起こす原因にもなる。魔力を秘めたものである。

豊かさに弛緩しているうちに、魔力が最大化し、我が身まで食い尽くそうとしているのではないか、そんな不安を感ぜずにはいられない。

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