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魔々勇々第15話「おかあさんといっしょ」感想(ジャンプ3号)

この記事で掲載している画像は全て2024年週刊少年ジャンプ3号「魔々勇々」(林快彦)から引用しています。著作権・肖像権等は全て権利所有者に帰属致します。

次回(16話)感想はこちら

今までで一番好きな回になりました。
確かにどう転んでも次回以降は面白いって呟いたけどここまで面白いとは思わないじゃん…
「ヒロインと主人公が互いに背中を預け合う関係のバトル漫画が見たい」って欲求がど真ん中で叶った。
メインディッシュのその部分は最後に語ることとして、見所をピックアップ。
…するんだけど、エリシアからの激重感情についてアップロード後に追記したのでそこは最初に置いときます。
毎週ピックアップするシーンが多くて幸せ。
寝不足で月曜日の朝を迎えたって平気。平気だ!

(12/19追記)エリシアのコルレオへの特大矢印について

個人的には矢印のでかさに何の違和感もなかったんだけど、会ってからの期間の短さを指摘する人を見かけるので考察。

エリシアが逃げ続けたのは10年。
それは10年の間、母以外の誰も自分を受け入れてくれなかったことを意味する。
紋章が浮かんだ、ただそれだけで自分の人生の約半分を逃げて過ごした。

クプトゥラへの恐怖は理解できる。
だが、理解できたところで自分には母しかいない事実に変わりはない。
そんな中、自分にとっての全てだった母すら失った絶望はあの表情から痛いほど伝わってくる。

絶望の中飛ばされた世界で出会ったのは自分と同じ勇者。
自分を弱いと評するその少年は、手が震えるほどの恐怖を乗り越えて初対面のエリシアを守ろうとした。
紋章術の使い方すら知らないのに。

恐怖を乗り越えて自分の味方になってくれる人が母以外一人もいなかった世界から移動した世界でこんな姿見せられたら、一瞬で激重感情持つのは当然でしょう。

その後の短い期間の中でコルレオが見せた、どんな困難にも相手と対話しながら立ち向かう姿勢を見れば、その矢印は大きくなりこそすれ小さくなるわけがない。

でもちょっと重すぎるかな。ちょっとね。ちょっと怖いよね。

相応のリターン

グリシャに協力することで自分の紋章とられちゃうんじゃないの問題は解決。
エンドの紋章術でできることの範囲が広すぎる。
にしても永遠の命って他の項目と並列に並べていいレベル超えてない?
エヴァンが「倒した」って言ったエンドが弱ったとはいえ普通に生きてるのってそういうこと?
何はともあれこれが本当なら協力するのも納得。理念に共感とかじゃなくてギブアンドテイク。
グリシャも「君達が負けそうになったら君達の紋章も回収するからね」くらい言ってそう。
どう転んでもグリシャには得。

死者の蘇生ってなるとエスカバがウルビダ復活させる?と想像してしまうがどうだろう。エスカバの真意はまだ掴みきれないからどんな展開もあり得る。先週からどうも表情に哀愁を孕んでる気がするんよな。
クプトゥラも回想内容によっては母の蘇生目的がありえるし、エスカバはバトルジャンキーっぽさから強さを欲しがる可能性だってあるよね。
※追記
クプトゥラは夫と子供を思い出してる感じなので蘇生目的とすれば夫と子が対象。クプトゥラ未亡人!?

各キャラ遭遇

ミネルヴァの相手はケモ耳ちゃん。
思ったより小さい。このシルエットで敵として見るの不可能でしょ!!

この子がミネルヴァと同じ世界出身の勇者と仮定して来歴を考えてみる。
ミネルヴァの世界では「人」はもうおらず、勇者も「いたとされている」と授業で説明されていた。
とすると、魔人の中では勇者は存在しないと認識されている。
考えられるのは、人がいなくなった代わりに獣人に勇者の紋章が出るようになったということ。
獣人が迫害されている少数種族とかだとしたら、魔人側からは知られていない(学校教育では教えない)こともあり得るし、獣人側からすれば魔人と敵対する理由付けにもなる。
地位向上、もしくは革命のために強さも欲しいだろう。

考察:魔勇反発について

紋章術が使える世界の場合、同一世界出身の勇者と魔王は生理的に反発し合うんじゃないかと思ってるんだよな。
理由がないのに互いを排除したくなってしまう的な。
マママとハロハロやコルレオは、紋章術がないからこそ反発しなかったとすれば筋が通る。
エヴァンからの継承後も、マママ側は紋章術使えないままだったし、そもそもエンドに食われて紋章なくなっちゃったからコルレオと反発しないままだったと。
ミネルヴァはたまたま勇者に近づいたことがなかっただけで、ケモ耳と遭遇することで初めてその特質と向き合うことになるってのがあり得そう。
紋章術で自分の目的意識にフォーカスしてその特質を乗り越えてほしい。
いや、しかしそうなるとほかの魔王との和解が難しいか…

飄雹凝凍

めちゃくちゃ能力バトル漫画するじゃん(歓喜)
華火燕焔のときもだけど、属性攻撃の名を借りた物理!じゃなくて熱さ冷たさまで利用してるのがいい。
高温による火傷は当然として、生物にとっては低音による体温低下も致命的。気温下げられるなら氷ぶつけるより強いよね。
瞬時に体の感覚がなくなるほどの冷気で部屋を満たせるのが魔人の統率者というのは人にとって圧倒的脅威。
人対魔人だから魔王だけで制圧するんじゃないにしても、氷使って氷塊で殴るだけじゃ人の時代終わらせるの無理だもんな。

そしてストック問題をクリアする、水気があれば消費なし設定。良く見るとプールにぶちこむとき1つ消費してるから、水気がなければ燃費は普通。出力は大。
終わらない雨季はエリシアの世界の人間にとって終わらない地獄と同義。
村八分は気の毒だけど、やむを得ない面もあるかなと思わされる。
エリシアの世界が電話すらない世界ってのもポイントで、この世界の技術力だとクプトゥラには本当に太刀打ちする手段がない。
ミネルヴァの世界だったらそれなりの兵器があるだろうしやり方によってはクプトゥラの撃破は可能だと思うんだよな。
エヴァンエンドレベルになると人の技術では無理。

クプトゥラも何やら訳ありではありそう。
「尻軽」に違和感がある。
一般的な意味の「尻軽」で考えるなら元の世界で男がいたくせにコルレオに乗り換えたってニュアンスになるはずだけど、明らかにそうではない。
「大切な人がいる」という事実自体が羨ましいのだろうか。
追われてなお切れない絆がクプトゥラには許せなかったんだろうか。
ところで雨季50年ってクプトゥラ何歳…?

回想

この過去を、エリシア初登場のとき文字だけの回想でほぼ想像させてた林先生の表現力すごすぎない?
5話エリシアの「生きがいになってくれませんか?」という発言に対しての自分の感想がこれ

母しか拠り所のなかった世界で最後に言われた言葉が「生きる甲斐が見つかりますように」
母の存在がなくなった今、すがるものはその言葉。
「仕事は辛いけど、週末の山登りが生きがいです!」みたいなライトな感じじゃない。
生きる意味そのものになってくださいという重いお願い。
空っぽの人生に意味をください。
生き延びることで精一杯の人生に楽しいことなんてなかった。
生きること自体が人生の目的だった。
でも人生はそんなにつまらないものじゃない。
「このために生きよう」と思える楽しいことや幸せがきっとある。

5話感想から抜粋

5話冒頭の逃げるエリシアのコマと、母しか拠り所がなかったというエリシアの台詞、母の発言のモノローグだけでこれが想像できたんだから恐ろしく的確な描写力。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。
ちなみにこの感想の続きでエリシアはまだ自分の生きる意味を見付けられてないって書いてたら10話で「生きがいになるんだ」ってアンサーを出してきて本当にこの漫画丁寧だなって思った。
同じ生きがいって言葉でも、「なって」とお願いするのと自分が「なる」って決めるのは全く意味合いが違うからね。
その上で、5話ではあえてシルエットすら見せなかった母アリアシアの姿と言葉の文脈を今回見せることによって、本当に伝えたかったメッセージが明らかに。

アリアシアにとってはエリシアは生きがいそのもの。
逃げ続ける人生は楽しいとは言えないかもしれない。
エリシアに紋章が浮かばなければ、逃げるだけの人生にはならなかったかもしれない。
それでも母に後悔がなかったのは、生きがいがある人生の充実感を知っていたから。
エリシアと過ごす時間自体が宝物だったから。
最期に伝えたのは、辛い人生だとしても喜びは得られる、そのために必要なのが大切な人ということ。

もちろんエリシアにとってもアリアシアは大切な存在だった。
でもそれは生きがいとは違う。
母が娘を想う気持ちと娘が母を想う気持ちに優劣はつけられないけれどその性質は違う。
子は親(保護する存在)がいなければ生きていけないのだから必要とするのはある意味当然。

母が見付けてほしかったのは、単に「自分のために必要」な存在ではなく、「そのために生きよう」と思える存在、そのためなら強くなれる存在

震える手を押さえてでも困難に立ち向かう勇気を与えてくれる存在

コルレオと過ごし、傷だらけになってもエリシアを守り抜くミネルヴァの姿を見たことで固まった決意。
母の願いが叶ったことを伝えるエリシアの笑顔のカタルシスが凄まじい。

「お母さん!私見つけたよ」

ずっと言ってたやつ。
コルレオにとっての守る対象としてではなく、エリシア自身の物語が読みたかった。
こんなに早く見せてもらえるとは思わなかった。
っていうか見たかったものを超越してて思ってたのと違うってなった。
自分の中に存在しなかった正解の選択肢を林先生に出してもらった。

エリシアに紋章が浮かんだのは9歳。タイミングとして強い部類とは言えないだろう。
だからこそ元の世界ではクプトゥラからは逃げるしかなかった。
今は違う。震える手を押さえて立ち向かう理由がある。
紋章は目的意識に呼応する。
エリシアの紋章術はクプトゥラの氷を打ち砕く。
主人公の覚醒シーンそのもの。

もうここまでで見たかったものが見られた幸福感で成仏しかけてたんだけど、ここで終わらなかった。
期待に応えて予想を超えてきた。
氷から脱出できたのはコルレオの紋章術の助けがあったから。
エリシアの勇者としての物語はコルレオと二人で一対のものだった。
アリアシアとマママが願ったのは宿敵の打倒ではなく平和と近しい者の幸せ。
コルレオもエリシアも根幹にあるのは「守る」という気持ち。
親子含めた二人の絆に「おかあさんといっしょ」のサブタイトルが違う角度でも刺さる。

一人じゃ勝てない。でも二人なら勝てる。
「逃げ…」まで言いかけたエリシアがコルレオと想いを重ね毅然と立ち向かう。
互いを大切にする主人公とヒロインが肩を並べて宿敵に相対するこのシーンは、15話で出していい熱じゃない。

凍った体は炎で溶かし震える心は決意で燃やす

氷を熱で相殺する絵面が、コルレオとエリシアの勇者としての想いの強さが釣り合ったことを示しているようにも見える。
もう今世に思い残すことがないんだけど俺成仏してない?大丈夫?現世に残ってる?

その他

他に書く項目がなかったから最後に書くんだけど、愛しい気持ちを押さえようとしても押さえきれなかったアリアシアの笑顔でエリシアが生きがいだったことがこれでもかと伝わり、エリシアの泣き顔、降り続く雨で圧倒的な絶望感が伝わる演出力やばすぎる(早起きにより力尽きる直前の俺の語彙もやばすぎる)
そこからの希望への落差で漫画読むのって楽しい!ってなった。

まとめ

最近目に見えて魔々勇々の感想を書いていたりつぶやいている人が増えて嬉しい。
読むのも楽しいし自分の感想を読んでくれた人のリアクションも嬉しい。魔々勇々の感想書いてて良かったなあ。

今振り返ると、正直8話までは、自分にとって80点の面白さを100点に持ち上げて感想を書いていたように思う。
80点の時点でめっちゃ楽しんではいるんだけど、期待込みで20点加点的な。
漫画のうまさとキャラの魅力から、話が動き出したときのポテンシャルを見込んだ面白さを語っていた。
それが、9話【決意の朝に】(エリシアを守りきったミネルヴァの表情が最高だった回)から100点になった。
「こういう漫画が好き」そのものを見せてもらえるようになった。
期待とか関係なしにその話自体が面白くて、持ち上げるんじゃなくて、自分が感じた面白さをちゃんと伝えるにはどうすればいいかだけを考えるようになった。
読むのも感想を書くのもライフワークそのものになって毎週月曜が更に楽しみになった。

からの、今回は120点だった。
「こういうのが好き」を超えて、「お前が一番好きなものはこれ」ってことを作品に教えてもらえた感じだった。
もう面白さを伝えるとかおこがましい。感じたものをひたすらに書き連ねるだけです。
漫画読んでてこの感覚中々味わえないと思うなあ。
最高の回でした。
でもまだバトル始まったところだからね。来週以降どうなってしまうんだ。

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