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春になると思い出すこと。

自己紹介:妻の転勤の機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。当時13歳の娘と家族3人で2023年夏にオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く予定も特になし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。


2022年3月25日の思い出。



2018年、4年前に死んだ親父は「或る事」を自分の仕事としていた。

一族の子供達にランドセルを買ってあげる事。

一族と言っても基本的に俺の従兄妹と、その子どもたちにだけどね。まあ、15〜20人くらいかしら。

親父もお袋もそれぞれの家の長男長女だったから、たぶん使命感?みたいなものもあったと思う。

いつの頃からか我々の中では「誰かが新一年生になったらランドセルはうちの親父が買う」が当然のこととなっていた。

ちなみにうちの親父は俺たち姉弟も含め、従兄妹全員から「隊長」と呼ばれていた。俺は高校あたりから照れ臭くなって「親父」って呼んでいたけど、姉貴や妹は親父が死ぬまで「隊長」と呼んでいたんだよね。

で、その呼びやすさ?からか子どもたちだけじゃなく、親戚もみんな「隊長」って呼ぶし、従兄妹の子供たちに至っては親父の名前、知らないんじゃないかな?子どもたちにとっては「ランドセルの隊長」だったんだよね。

一番最初に姉貴のランドセル、その次が俺、そして妹と続いてそれから40年間、子どもたちにランドセルを贈った「隊長」が死んだ時、今はもう大人になった従兄妹たちが6年間使い切ったボロボロのランドセルを持参してきて、親父の顔を覗き込み「隊長、ありがとね。これでいっぱい勉強したよ」って語りかけてくれているのをみた時は、あああ、いいことしてんじゃん親父ってちょっとグッときた。その周りにいる従兄弟の子供たちも当然、ランドセル買ってもらってたし。やっぱ「ランドセルの隊長」だったんだな。

2016年に俺の娘が一年生になった時も、もちろん親父はランドセルを買った。他に差をつけたわけじゃないけど、親父曰く「今までで一番高いやつ」を買ったらしい🤣

 それまでたくさんの子どもたちに贈ったランドセルと、初孫のランドセルは、やっぱどうしても思いが違ったんだろうなってのは、まあ、しょうがないよね(´∀`)

それが親父が贈る最後のランドセルになった。

その時すでに姉貴の娘も妹の長男も生まれていたけど、まだまだ赤ちゃんでさ。俺の娘にランドセルを買ってあげた2年後に親父は死んじゃったから、うん、それが最後のランドセル。

何にでも名前をつけるうちの12歳は、当然このランドセルを「隊長」と名付けた。大事に大事に6年間使い続けた。どこも壊れてないし色あせてもいない。もしかすると後6年くらいつかえるんじゃねぇの🤣

やっぱ言ってた通り「一番いいやつ」買ったんだな、親父(´∀`)

6年間、事故にも遭わず大きな病気もせず、明日無事に小学校を卒業できるのはいつも隊長が守ってくれていたおかげなんだってさ。12歳が言ってたよ。ん、俺もそう思うよ。

ありがとな、親父。いや違う、ありがとな、隊長(´∀`)



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