がん患者と栄養
適切な栄養補給で QOL が劇的に向上
皆さんは、 がん患者に栄養補給をすると却ってがんが大きくなり、栄養を入れない方が良いと誤解していませんか。がん細胞と言うと、遺伝子の突然変異で無限に増殖する様になった細胞と一般に考えられていますが、「がんは代謝異常の病気」でもあります 。実は、がん細胞は正常細胞のような酸素呼吸による好気的代謝を行なっていないのです。そして、酸素を使わない嫌気的解糖によってエネルギーを得ています。これはワールブルク効果として知られているもので、がん検診のPET検査はこの代謝の違いを利用したものです。しかし、嫌気的解糖は酸素呼吸が進化する以前の極めて効率の悪い原始的な代謝で、その為にがん細胞では大量のブドウ糖が消費され糖代謝が亢進しています。 さらにはタンパク質や脂肪の代謝も異常になり、筋肉ではたんぱく質の分解がどんどん進み、十分な栄養補給が無いと患者はあっという間に痩せ細ってしまうのです。 がん患者の栄養補給の重要性について、この分野のパイオニアである藤田保健衛生大学教授の東口高志医師は、著書の中で次の様に書いています。
「栄養を入れるとがんが大きくなる(だから栄養を入れない方がいい)」という言い方は、がん細胞が栄養を取り込むことだけに注目し、その栄養が私達の身体から奪われていることを無視している訳です。身体からどんどん栄養が奪われてしまうのですから、その分の栄養を補わなければ、がん患者はあっという間に栄養障害に陥ります。筋肉が細って、歩いたり立ったり、自分で排泄したり食事をしたり出来なくなります。脂肪がなくなって褥瘡ができ、免疫機能が衰えて感染症にかかってしまうのです。がんに栄養を奪い尽くされてしまえば、そこにあるのは死です。しかし、必要充分な栄養を補給できれば、がんと共にではあっても、いきいきと生きる事ができます。最後の最後、本当の終末期には、私達の身体は栄養を受け付けなくなります。しかし、すぐにそうなる訳ではありません。
実際に、私達の診療科に入院してくるがん終末期の患者に、体系的な栄養管理を始めたところ、それまで 35日だった生存期間が 50日に延びました。たった一年で、2週間も生存期間が延びたのです。 しかもその 2週間は、口から食べられる期間です。私達の診療科には、余命 1ヶ月程度になってから入院してくる人が多いのですが、 もっと早くから適切な栄養管理を行えば、生存期間はもっと延びるはずです。自分の口で食べ、動き、考え、笑い、いきいきと生きる日々が、ずっと長くなるはずなのです。」
(『がんでは死なないがん患者』東口高志著)
実際、東口高志医師が余命 1か月程度の入院患者 108名を調査したところ、「がんが進行したせいで栄養障害に陥っている人、すなわち適切な栄養管理をしてもこれ以上良くならない人はわずか 17.6%」で、「 残り 82.4%の人達は不適切な栄養管理が原因で栄養障害に陥って」いたのです。そして「適切な栄養管理をしたところ、82.4%の人は免疫機能が回復して感染症が治るなど状態が良くなった」と言います。医療関係者はすぐに、がん患者は悪液質のため栄養とっても吸収されないから無駄であると言いますが、これは本当の終末期のがん患者だけで、従来悪液質と言われていたものの多くが適切な栄養補給により改善が可能なのです。現在、欧米では悪液質を前悪液質・悪液質・不可逆的悪液質の 3段階に分ける事が提唱されており、この中で栄養補給をしても回復しないのは不可逆的悪液質だけと言います。前悪液質は栄養を投与すればタンパク質の合成も出来るし体重も戻る状態で、悪液質は適切に栄養を投与すればまだ回復できる状態とされています。つまり、がん末期の不可逆的悪液質以外では、適切な栄養補給によりがん患者の QOL(quality of life:生活の質)は大幅に改善される可能性が有るのです。
先に、がん細胞は解糖系を使ってエネルギーを得ていると書きましたが、そこではブドウ糖が分解されてピルビン酸となり、それが嫌気性解糖で乳酸に変わります。一方、好気的代謝では、解糖系で生成されたピルビン酸が細胞内小器官のミトコンドリアに取り込まれ、そこで TCA サイクル(クエン酸回路)と電子伝達系を通して、解糖系の 16倍もの大量のエネルギーを生成しています。つまり、がん細胞では TCA サイクルと電子伝達系を持つミトコンドリアが正常に機能していないと考えられるのです。 従って、ミトコンドリア内の反応を促進するような栄養素を補給すれば、患者の栄養状態が改善される可能性が高いと考えられます。こうした観点から、東口高志医師はがん患者向けに独自の栄養剤を開発し、実際に臨床現場で使って大きな成果を上げているのです。
また著書の中で、適切な栄養管理をしただけで奇跡のような回復を見せた 70代後半の咽頭がん患者の例をあげています。そして、適切な栄養管理によって患者の QOL の向上だけではなく、亡くなる時も穏やかな死を迎える事ができる様になったと書いています。 東口高志医師は日本で最初に「栄養サポートチーム(NST)」を導入した事でも知られていますが、その成果を次のように書いています。
「 NSTは大きな成果を挙げました。適切な栄養管理が全科に行き渡ったことで、褥瘡や感染症が減り、口から食べられる人が増え、平均在院日数が短くなりました。がんの人もそれ以外の病気の人も、栄養状態を良くするだけで、悩みのタネの褥瘡や肺炎などの感染症が激減し、治療の効果が上がりました。その結果、歩いて入院した人が、ちゃんと歩いて退院できるようになったのです。
残念ながら亡くなる人もおられましたが、苦しんで亡くなるケースはほとんどなくなり、笑顔のまますっと息を引き取る事が多くなりました。退院して元気に暮らし、最後の最後に一週間ぐらい私のところに戻ってきて穏やかに亡くなるのです」(『がんでは死なないがん患者』より)
また、骨格筋量が減少して身体機能が低下するサルコペニアを、適切な栄養補給で防ぐ事の重要性を強調して次のようにも書いています。
「サルコペニアを予防していくと、がんがあってもギリギリまで元気でいる事ができます。そして、ある時ふわっと天に召される。まさに、いきいきと生き切って、幸せに逝く事ができるのです。」(『がんでは死なないがん患者』より)
がん患者は、必ずしも激痛や倦怠感に苦しめられながら死ななければならない訳では無いのです。適切な栄養補給によって、患者の QOL の向上と同時に安らかな死も可能になるのです。
食事の中止を狙う栄養士
実は、弟は緩和ケア病棟に入院後、栄養状態が急速に悪化して行きました。栄養状態を見る指標として血清アルブミン値が有ります。アルブミンは、血液中に含まれる総タンパクの約 67%を占めるタンパク質で、肝臓で合成される事から肝機能の低下を示す指標としても知られています。このアルブミン値が 3.0g/dL以下になると栄養障害と判定されます。弟の場合、緩和ケア病棟に入院する以前の2か月間は 1.7g/dLで、低い値ですが変化していないのです。ところが、緩和ケア病棟入院直後からアルブミン値が急激に悪化して行きます。4月6日に 1.5g/dL、5月1日には 1.4g/dLにまで低下しています。自宅療養中、とても十分とは言えない食事で 2ヶ月間現状維持が出来ていたのに、入院後のわずか 1ヵ月で急激に悪化していたのです。
原因としては、病院側の栄養管理の杜撰さが考えられます。しかしそればかりではなく、栄養士自身が食事の摂取量の減量、さらには食事自体の中止まで狙っていたのです。この明白な証拠がカルテに記録されています。4月18日に栄養士が、食事の提供量と摂取量について必要量を満たせていない事を説明した時、弟は「本人が食べたいものが無いんだもん」と答えています。しかしこの栄養士はその直後に、食事は「本人が食べたくないなら中止」とカルテに書き込んでいるのです。 弟は「食べたくない」「食べられない」と言ってるのでは有りません。「食べたいものが無い」と言ってるのです。にも拘わらず、患者の好みに合った食べられる食事内容に改善するという当たり前の努力は一切行わず、安易に食事を中止すると書いています。
私は、初めてカルテのこの記述を見た時、唖然としてしまいました。 患者の栄養状態を改善するのが使命であるはずの栄養士が、その努力を全く行わず、反対に食事の中止にまで言及していたからです。弟は低栄養状態が続き、下肢の浮腫もアルブミン値が低い事が原因で、栄養状態の改善は喫緊の課題だったのです。にも拘わらず、栄養士が反対に栄養状態を一層悪化させる食事の減量・中止を企図していた事は、病院側が患者の病状の改善に無関心であったと言うだけでなく、栄養障害による患者の体力の消尽を積極的に狙っていた事さえ窺わせます。実は、この会話があった前日の4月17日には、主治医が最初の説得工作を行っています。つまり「持続的深い鎮静」の説得開始とリンクして、食事量の減量・中止の計画が出てきていた訳です。
弟の食事量が減少していた大きな原因の一つは、病院食がまずく、気に入ったもの・食べたいものが無かったからなのです。4 月 6 日 には栄養士に、「食事の味が薄く感じる」「病院食の味が薄くて、やっぱり食べられない」「花見 のおでんの味も薄く感じて数口のみ」と話し、栄養士も「甘い食品は甘すぎて、甘くない高カロリー食品を希望され る」とカルテに記入しています。 また、弟が食べる意欲を失っていなかった事はカルテの記録からも明らかです。4 月 16 日に弟が栄養士に食事のカロリーとタンパク質の量を聞いている時の会話には、その頃の弟の様子がよく表 れています。弟の発言には▼マークを付けて引用します。
▼:「カレーと粥は合わなかった。おにぎり?おにぎり出してくれるなら、タンパク質はどれくらい?栄養は?」
[栄養士]:「食べてないと感じていますか?」
▼:「だって、食べ物は命の源でしょ。」
[栄養士]:「少なくても食べたいものがあれば源になりませんか」
▼:「食べたいもの無いんです。じゃあ、カレー食べてみる。魚ダメだったんだよね。」
[栄養士]:「当院では肉魚食べてないですよ」
▼:「じゃあ食べてみようかな。」
この様な会話をしている患者の食事を、一体どのような理由で減量したり中止する必要が有ると言うのでしょうか。この会話からは、食欲旺盛と迄はいかないまでも食べる意志を持ち、その必要性も十分理解していた事が分かります。また、タンパク質と栄養について栄養士に質問している事実も、弟が自分の栄養状態に強い関心を持っ ていた事を示しています。実際、弟も気に入った食事なら全量食べているのです。例えば、 4 月 25 日の夕食につい て看護婦は「本日の夕食ハヤシライスであり、おにぎりも提供されており嗜好に合ったのかほぼ 10 割摂取できて いた」とカルテに書いています。実は、栄養士が「本人が食べたくないなら中止」とカルテに書き込んだ翌日の 19 日にも「夕食は全量摂取」しているのです。このような患者の食事を減量し、さらには中止を目論んでいた訳です。実際、栄養士も 4 月 19 日に「食欲は全く無いわけでは無く、やはり気持ち の問題が大きかった様子」と書いています。ところが、同じ所で「今後の食事は減量して提供」と書き込んでいるのです。この栄養士は、患者に食欲がある事を自ら認めながら、他方で「食事を減量」すると決定していた訳です。
先に見たように、がん患者の QOL向上にとって栄養状態の改善は決定的に重要です。 反対に、栄養状態の悪化は患者の QOL を劇的に悪化させる事になります。緩和ケア病棟の栄養士は、とんでもない事をやっていた訳です。
病院内での不適切な栄養管理
私達は、病院では栄養士が管理しているので、入院して栄養不良になるなどとは思いも寄りませんが、弟の入院していた緩和ケア病棟だけではなく、病院では適切な栄養管理ができてない場合が多いのです。しかも「この問題は世界共通で、入院患者の 30~50%に中等度以上の栄養不良があるのが一般的」と言われます。最初に指摘されたのが 1974年のアメリカで「病室の骸骨」として発表され大きな反響を呼んだそうです。また 1994年のイギリスの研究では「入院患者の栄養不良発生率は内科患者 46%、呼吸器疾患患者 45%、外科患者 27%、高齢患者 43%」(『がんでは死なないがん患者』東口高志著)と言います。医療先進国のアメリカやイギリスでこうなのですから、日本の現状は推して知るべしでしょう。
がん患者の死因の8割は感染症
東口高志医師によると 、多くのがん患者はがんで亡くなる訳ではなく、死因の8割が感染症が原因だと言います。 少し長くなりますが、以下に引用します。
多くのがん患者は、がんでは亡くなりません。脳転移や肺転移は確かに致命的ですが、心臓への転移は非常に稀です。 骨転移にしても、造血障害をきたすほどになるまでは、命に別状はありません。肝臓は3割ぐらいが機能していれば亡くなりませんし、腎臓は2つあります。胃がんや食道がんがあっても、栄養を摂る方法はありますから、それだけでは亡くなりません。要するに、ダイレクトにがんで亡くなるケースは、 そんなにある訳ではないのです。 ・・・・
実は、がん患者の死因を調べたデータでは、その8割近くががんそのものではなく、感染症で亡くなっているのです。 ・・・・・
ではなぜ、8割ものがん患者が感染症にかかり、しかも亡くなってしまうのか? 一言で言えば、免疫機能が低下しているからです。そして、免疫機能の低下は、栄養障害によってもたらされます。
・・・・・栄養障害に陥ると免疫機能が低下して、健康な人なら何ともない弱い菌ですら感染してしまったり、一旦感染すると回復できずに亡くなってしまったりするのです。(『がんでは死なないがん患者』東口高志著)
がん患者にとって、適切な栄養補給をする事がいかに大切かが分かると思います。
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