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サくら&りんゴ #137 ライラックの花が咲くころ

玄関ドアをたたく音がした。

ガラス越しにライラックの花が見える。
ドアを開けると花束の後ろから、レノアの溢れんばかりの笑顔が現れた。

10:30-11:00辺りに立ち寄っていい?
彼女からそんなテキストメッセージが来ていた。

レノアとはお手伝いに入ったモンテソーリスクールで知り合った。長らく勤めていた小学校の先生を辞めて、パートで働いていたのである。

ドアを後ろ手に閉め、赤紫の香りが手渡された。庭にあるライラックの枝を手折り花束にして持って来てくれたのである(ヘッダー写真)。
ライラックの季節だ。
散歩に出かけるとあちこちの庭で花が咲き乱れている。

こちらはご近所にある薄ピンク色のライラック

元気だった?

レノアが聞いた。もちろんお互い病気でないと知っている。だって毎週木曜ヨガのオンラインクラスで顔を合わせているから。私が東京に滞在していた時でさえも。

コーヒー用のお湯を沸かす。ライラックの甘い香りがすっと退く。

彼女はひと月ほど前、父を亡くした。
お父さんだけではない。ここ二年の間に母、叔母も亡くなっていた。それぞれに高齢だったとはいえ彼女の喪失感は計り知れない。

こんなことがあったの
あなたは信じているでしょう、亡くなった人からのサイン(sign)。

レノアはコーヒーカップを手に話し始めた。
私は夫のサインの話を彼女に伝えていたのである。


父が亡くなった後、空に向かって言ったの。何かサインを送ってと。そうしたらカーディナルが飛んで来たのよ!

彼女は以前私にカーディナルのピンバッチをくれた。亡くなった夫がいつもそばにいると感じられるようにと。

先日ビーチで見かけたカーディナル

それだけじゃないの
母も叔母も亡くなって寂しくて、ネコを飼おうと探したの
でも、これでもない、あれでもない、どれもピンと来なくて
そしたら父が亡くなってすぐ、タビ(tabby)に出会ったの
ある人が飼い主を探していて
タビは私たちが昔飼って母が好きだった猫種なのよ
これだと思ったわ

レノアはオンラインヨガクラスで、その猫ちゃんJoyを紹介してくれていた。

ああ、Joyはお父さんから贈られた猫だったのね

私はとても納得してレノアにそう答えた。

亡くなった人からのサイン。
父が亡くなった時、私はそんな事、思いもしなかった。そういう考えに関心がなかったのである。残された人の思い込みだとか、癒されたいからだとか。あるいはキリスト教に根付いた考えだとか。そんな風にちょっと距離を置いて見ていた。

ところが夫のサインを知った時、それは実際にある事だと悟ったのである。近くで夫の最後の一年を見てくれた人々にその事実を話すと、あまりのことにぞくりとしながら、もちろんそれは夫のサインだと信じるのである。

レノアはそっと目をぬぐった。そしてすぐまた溢れんばかりの笑顔に戻って

Joyったらこんなに大きいのよ。寝っ転がって伸びたらこれくらいはあるわ

そう言って手を広げた。

🌸🌸

ああ、あれは彼女だったのだ。突然思い出したのはレノアが玄関ドアを出てしばらく経ってからである。
なぜすぐ気づかなかったのだろう。

夫が亡くなった直後のライラックの季節。ひとり買い物から戻ると、玄関のガラスドアに二本のライラックがリボンで結ばれていた。
夫の在宅緩和ケアで毎晩来てくれたマーガレットに聞いたが知らないと言う。ご近所のライラックの木がある友人にも聞いたがその誰でもなかった。

レノアの家は少し離れたところにあって、ライラックの庭木があることを私は知らなかったのである。

あれはあなただったのね、夫が亡くなってすぐの頃。ライラックの花を持って来てくれたのは

私はレノアにメッセージを送った。

I'm glad you love the lilacs like I do ♡

あなたがライラックが好きでよかった、私と同じように
そう返信が来た。

あれは今の季節だったんだ。当時私の心は、true northを見失ったボートのように漂流していて、ライラックの花が咲いていることさえ気づいていなかったのである。


私が素敵だと思ったレノアのアイディアが他にもある。
それはお母さんの誕生日のお祝いディナー。なんと彼女と近しい友人は、同じ年に母を失いその母たちの誕生日が同じだったのである。
なんという偶然!で終わりそうなところをふたりは、亡くなった母親たちの誕生日ディナーを共にしたのである。

日本にいた時は考え付きもしなかった、失った大切な人との向き合い方。


ガラス花瓶のライラックはつぼみを開きながらその赤紫を少しずつ薄くしていく。ライラックの花の季節が来るたび、その甘い香りと結ばれたそんなこんなの思い出が一緒に巡ってくるに違いない。


そんな風にぼんやり考えていたら

Hey, さっきからアリを三匹も見たぜ

キッチンカウンターに立っている同居人が言った。もしやアレ?と私はライラック指した。

それだ~!ライラックにはアリがつきものだからね

ぐわーん、一気に現実に引き戻された私であった。


レノアのカーディナルの話はこちら

そして

夫のサインについては上記マガジンの#12-2と#43に書きました。
有料にして鍵付きロッカーに入れてしまいましたが、よかったら開けて読んでみてください。


日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。