見出し画像

外国語学習において「発音」はどれくらい重要?

わたしは現在クメール語(カンボジア語)を学習中です。

学習自体を始めたのは10年ほど前ですが、途中で長いブランクを挟んでいるので、「ようやく初級を脱せるかな……?」というレベルです。もっと精進せねば。


英語に関しては、決して流暢ではありませんが、日常生活なら不便しないレベルかと思います。

ただし、ネイティブの方に早口で喋られると追いつけないですし、いかんせん語彙力が乏しいので、アカデミック・専門的な内容は辞書が無いとはっきり理解できません。文脈で何となく想像しながら読むことはできますが、国語力でカバーしている範囲の方が多いですね笑。


他にも、今までタイ語やインドネシア語、スペイン語をつまみ食いしてきました。10年以上海外に住んでいるので、「外国語」に触れる機会は何だかんだ多かったです。


さて、今日はそんな外国語学習の体験を踏まえた上で、「発音」の重要性について自分なりに改めて考えてみたいと思います。


外国語学習において「発音」の学習をどのように位置付けるかは、おそらく人によって意見が分かれるところではないでしょうか。


たとえば英語の場合だったら、

「できるだけネイティブみたいな発音に近づけた方が良い!発音矯正は大切!」という方もいれば……

「発音なんて関係ない!ジャパニーズイングリッシュで良いじゃないか!」と考える方もいらっしゃいますよね。


どちらの主張にも「なるほど」と感じる部分があります。

ちなみに、個人的には「相手と支障なく意思疎通できるのであれば、こだわらなくてもいいかな」と考えています。


言語と音声(発音)は切っても切れない関係なので、あまりにも基準とかけ離れた発音では問題があります。相手が理解できなければ意味がありません。

でも、問題なく相手とコミュニケーションができるのであれば、日本語訛りの英語だろうと、シングリッシュだろうと、インド英語だろうと構わない気がします。英語話者の約80%は「ノンネイティブ」であることを考えると、英語にもいろいろなスタイルがありそうですよね。


以前、フィリピンで1週間英語学校に通っていたとき、毎日1時間「発音」のレッスンがありました。あまり自覚が無かったのですが、どうやら「because」「but」の発音がよろしくないようで、何度も繰り返し練習させられたことが記憶に残っています笑。

それはそれで貴重な機会でしたが、「さすがに毎日1時間は多いかなぁ……」と感じる部分があったのも否めません。発音は、自分1人でチェックしにくい部分なので意義のあるレッスンだったと思いますが、よほど意思疎通に支障が無ければ大目に見てほしいなぁ……というのが正直なところです。


もちろん、だからと言って発音の練習をすることが無意味だとは思いません。発音は言語コミュニケーションにおいて重要な要素の一つですし、流暢に話せるにこしたことはありません。

「ネイティブみたいに話せるようになりたい!」と思って学習するのも一つのあり方です。外国語を学習する目的によって変わってくると思います。


少なくとも、わたし自身の場合には「意思疎通ができればいいかな」というレベルで考えているので、そこまで神経質に考えていません。「何となくそれっぽく言えればいいかなぁ」という緩いスタイルです笑。



ちなみに、現在学習中のクメール語に関しては、ときどき意思疎通に支障があるレベルで間違えることがあるので、がんばってトレーニングしなければいけません!

あまり日本人に馴染みのない「有気音/無気音」の区別も厄介ですが、それ以上に母音が難しいなぁ……と手こずっています。


さすがにネイティブスピーカーと同じレベルを目指すのは厳しそうですが、せめて「ちょっと訛っているな」くらいの状態になれるように頑張りたいと思います。

「え?何言ってるの?」と聞き返されないようになることが、当面のクメール語学習の目標です!



みな

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?