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2020年 網走での5日間。

前回の記事は、「写真を大量アップしました!」というお知らせ記事だったんですが、今回は墓参り帰省の詳細をレポートしたいと思います。

ピリピリムード?嫌がられてる都会人

コロナ禍での今年の帰省。現在は埼玉在住の私。まぁ母親は別として、義理の家族(うちは両親離婚、母は再婚)は皆「会いたくない」ムードのようで。仕方がないですけどね。あらかじめ自分の方から「ホテル宿泊しようか?」と言い出したら、そうして欲しいと言われたので、ホテル泊での帰省となりました。これが…めちゃくちゃ楽しくて笑。実家といっても、本当の実家じゃなくて、再婚相手の家なんで、気を遣うわけですよ。だから唯一の心の拠り所であるシーズー犬のももちゃんとばかり遊ぶのが恒例なんです。

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今回はホテルに4泊。まぁ気楽!こりゃ最高だと思いました。

多分これからは、帰省はホテル泊にすると思います。

今回泊まった「網走オホーツク・イン」は、子供の頃から見覚えがありました。網走川すぐ側の市街地にあるホテルなので、車から何度も目にしています。泊まったことはなかったですが(必要がない)。

そんなに大きなホテルじゃないし、食事なしの素泊まり。ちょっとした大きなお風呂&サウナ。部屋はツインでした。4泊¥17,000くらい。じゅうぶんに快適でした!評判通り、スタッフさんが感じ良かったし、お風呂は(今時期だから?)いつも独占だったし!サウナもコロナが心配どころか、うまい具合に混み合うことなく、朝晩ほぼ独り。最高(笑)。

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何より、市街地のホテルなのが良かったです。街をフラつくのも、網走川沿いを散歩するにも便利。食事は…私はあまり「美味しいもの食べたい!」とかいう方じゃないので、コンビニかスーパーで買うという。普段ですらコンビニそんなに行かないのに、よりによって帰省での飯がコンビニって。

Wifiの電波が弱かったのと、冷房が弱くていくら網走とはいえまだ室内が暑かったですが、大した問題じゃありませんでした。

まずはももちゃんに逢いに

帰省で何が楽しみって、ももちゃん(ワンちゃん)に会うことでして。

いつもは、たくさんの時間をももちん(だんだんこう呼ぶようになった)と遊ぶことに費やすんですが、今年はそうもいかず。母親とももちんには5日間の滞在で数時間会った程度。でもいつも帰るとき寂しくなるから、ある意味良かったかな?

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メインお目的である墓掃除参りへ

毎年帰省するようになったのは、正社員として働き出してから。4年前からでしょうか?それまではミュージシャン志望のロクデナシ。滅多に帰省することはなく、お墓参りも…。

それが帰省を毎年するようになって、お墓を掃除するミッションを達成すると、気のせいか分かりませんが、人生が好転してる気がして。いやらしい下心ですが、「今年もよろしくお願いします!」みたいな、ゴマスリの意味合いも否定できません。

今年は雨が降っていました。とりあえずお墓に向かっていると、雨は強くなるばかり。足も服も濡れながら写真撮りつつお墓に到着。明日も雨の予報だったし、もういいや!って雨の中、3箇所のお墓掃除を遂行しました。

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心の中で、じいちゃん・ばあちゃんにあれこれと報告しながら掃除をしてると、あんなに降っていた雨が嘘のように止んで!なんとも言えない気分になりました。泣けてくる感じ(笑)。『ありがとさん』って言ってくれてるような。2つ目のお墓からは晴天でした。

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途中、花を添えるスチールの花瓶?で指を切り、面倒なのでそのまま血だらけで掃除を続けましたが😅、無事3つとも掃除完了!

すっかり服も乾き、「また来年きます!」と言ってテクテクとお墓をあとにしました。

ばあちゃんの家を撮りに

母親の方のばあちゃんは確か今95歳くらいだったか?去年までは一人暮らししていたんですが、ボケの進行も凄まじいらしく、今年から施設に入居してるとのこと。コロナもあり、親族でも面会が出来ない?のか、今までのように気楽に会うってわけにはいかないようです。

ちなみに母親の話によると、

母「施設で色んな人とお話し出来て退屈しないんじゃないの?」と聞くと

ば「みんなボケちゃってて、話にならないんだわぁw」って言ってるそうです(笑)

身体は丈夫なばあちゃんですが、しっかりボケちゃってるひとりです。楽しく暮らしていればいいな。

少しだけ文句。帰省前に、施設に問合せメールを送ったんです。「面会は無理だとしても、プレゼントとかは出来ますか?」っていうような内容で。無理なら無理で良かったんですが、…返信そのものがありませんでした。何のための問合せ先なんだか。こういうのって、施設の質を問われるんじゃないのか?適当感を感じました。なんかモヤッとしました。

さておき。毎年、顔を見せていたんですが、今年は面会出来ないようなので、写真を撮ってプレゼントしました。まだ私の顔を見れば「孫」だという認識はあるので、写真も私の自撮りを添えつつ(笑)、元々じいちゃんと暮らしていた一軒家の写真を交えた数十枚の写真。

その一軒家、水害の危険地区にあって、今は廃墟となり、「存在しない家」ということになっているらしい。もったいないなぁって。確かに水害は厄介ですが、改築してKAZUMICHI・STUDIOとして活用できないかなぁって妄想してました。

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思い出に浸ったあと、地元民じゃなきゃ知らない名前「山下通り」を歩いて市街に戻りました。網走駅の裏側の通りのことです。どーでもいいか(笑)。

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雨。写真撮影で歩きまくる

次の日。天気予報通り、雨でした。せっかく帰省してるのに出歩かないのはもったいない。今年はカメラも持ってきたし、ソール・ライターよろしく、雨の日撮影といこうじゃないか。

ひたすら網走川沿いを歩く。途中、地元とはいえ馴染みのない道を歩いてみたんですが、途中で「ん?」と考えました。

網走にも有名な心霊スポットがありまして。囚人墓地(三眺墓地)。

現在の刑務所の奥の方になるのかな?私は一度も行ったことがないんですが、弟連中や友達は遊び半分で行って、ホントか嘘か分かりませんが、怖い思いをしたとかなんとか。そんな話をよく聞いていた場所。車に戻ると、手形がビッシリ!💧とか。

あれ…この道って、三眺墓地に向かう道か?って直感で思って。途中から砂利道になって、一般車両も通行禁止。向こう側の網走刑務所方面に行きたいんだけど、通り抜けれるのか?後で調べたら抜けれるようなんですが、雨の降る中、薄暗い森の道でしかも行き止まりor墓地だったら面倒だなと。川を挟んで向こう岸に行くために、来た道を結構戻りました。

そして、ベタではありますが、いわゆる網走刑務所です。

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網走川がまだまだ続いています。この辺は、大曲(おおまがり)という地区で感覚的には網走市の端っこみたいな場所です。そしても少し行くと、高校時代の思い出の場所、ボート部の艇庫&部室があるんです。久しぶりに見てきました。

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↓ここでボートの乗り降りをするんです。ふざけて放り投げられたりしたもんです。

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さすがに徒歩で網走を横断しているので、足にきます。水膨れも。

帰りに「晩飯どうしようかなー」って考えてたら、ケンタッキーとピザ屋があって、めちゃくちゃ腹減ってるもんで「ピザ食いてぇ…」って思ったんですが、帰省旅行なのにいつでも食べれるピザ?という葛藤があり、やめました。でもその夜、結局食べたい物は他になく、コンビニで済ますという…。

網走監獄博物館

完全に観光客です。ここに来るのは観光客です。

受付で「どちらから来られましたか?」の問いに「埼玉です」と答えた時、出身ではあるものの、観光客に間違いないと自覚して大いに博物館を楽しみました。改装したんじゃないかな?記憶と結構変わってる気がしました。

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行きは母が暇してたので、送ってくれましたが、帰りは天気も良いし歩いて帰りました。多分、博物館から歩いて帰る人なんて滅多にいません(笑)。

バスが出てるんですが、なんせ本数が少ない!都会の電車やバスの感覚に慣れてしまうと、待っていられなくて。道はわかるんですが、まあ…遠い。

でも気持ち良かったですよ。網走湖の方からぐるっと市街に戻る感じなんですが、連日よく歩く。歩いてるのなんて、私か、おじいちゃん・おばあちゃんか、たまぁーに観光客らしき人か、ぐらいなもんです。リスの方がよく見かけました(笑)

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まだ明るいんですが、一旦ホテルに帰って休憩。すると寝落ち。

良いトレーニングしてるみたいに何時間も歩き続けてるわけですから、オジサンくたびれますよ。

夜、晩飯を買いに行くついでに、市街や川沿いを散歩。見慣れてたらなんてことないんでしょうが、たまに歩くのは良いもんです。ただ夜の網走市街は、何にもない。飲み屋か居酒屋くらいか。用ないんだよな。

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↑ちなみに網走駅前も何にもありません。コンビニすら潰れてました。

最終日前夜。ホテルにて

この日の夜、明日もう帰るのかぁーって思いながら、ホテルの部屋でのんびりとくつろぎました。来年も帰省出来るかなぁ?って考えたり。フリーランスとして生きていくと決めた以上、この先どういう暮らしを構築できるのか出来ないのか、まだまだ不安ばかりです。でも、やってみなきゃ始まらない。失敗もあるでしょう。難しさを感じるでしょう。それでもやってみなきゃいけないと感じています。

母親が、退職後にアルバイトしていたレストランは潰れました。またアルバイト探すと言っても、母親もいい歳だし、ましてや小さな街。アルバイト先なんて見つからないという。それを聞いてるとなおさら。

自分が歳をとったら、どうやって収入をえるんだろう?と考えた時、今はまだ給料をもらって働くのでもいいかもしれないですが、自分なりの「自分で稼ぐノウハウ」を学んでおかなきゃマズイという危機感があるんです。

フリーランスといっても色んな規模や職種があります。イメージでは最近だと講師とかコンサルティングとか、プログラマーとか。でも私はそういったジャンルは縁遠いし、何で稼ぐのかっていえば、写真かクラウドワークか…。Kazumichiワークスという屋号をつけたフリーランス活動基盤を持って、出来ることは色々トライして、対価を得られるようなフリーランスになるつもりでいます。「無理だろ」「うまくいかない」色んなことを言われたり、自分でも不安に感じたり。それでもやります。何も月何百万も稼ぎたいってわけじゃない。今の給料なんて、ハッキリいって学生のバイトでも稼げる額。時間や納期のプレッシャーや精神的嫌悪感から考えると、少ないです。税金や保険、そもそもこれくらいの給料の職種であること、ある意味、少ないとはいえ安定しているのかもしれない。今はまだ。

でも、まてよ。考えがもうバグってるのでは?安定?

希望に満ちた人生を送るにはどう考えても少なすぎる。お墓掃除をして関東に戻る度に、何かが必ず変化している。今回はフリーランスになる決意でした。思えば今年の頭から、仕事に対する考え方他、マインドのあり方に大きな変化がありました。そして迎えた今回の帰省。必ず、必ず次のステップに進めるはずだ!そう信じて新しい自分を育てるしかない。そして。

どうか、来年も楽しいお墓掃除帰省が出来ることを祈っています。

おまけ

最終日。午前中に母親と能取岬を見に行って、新しくなった流氷館に行って、ももちんをひとしきりワシャワシャして、「そいじゃ!」と。

母親に頼まれた「頑張りなさいよ」というオリジナル曲の音源を渡したんですが、帰り際、

「歌じゃないけど、身体に気をつけなさいよ」

そう言われた時、ちょっとだけ、あくまでもちょっとだけ、泣きそうな自分がいて。不安なんだな、俺😅

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夢ばっかり口にして離れて暮らしてる 

本当はもっと真面目に将来を

考えて働いて欲しいけど

へそ曲がりの頑固者だからね

身体に気をつけなさいよ それだけだよ

あとは信じることしか出来ないから

頑張りなさいよ あんたの道

とやかく言っても仕方ないものね

家族が壊れた時みょうに冷静な

あんた達が少し気になったけど

よく頑張って育ってくれたね

歩いてく先は任せるからね

身体に気をつけなさいよ それだけだよ

あとは信じることしか出来ないから

頑張りなさいよ あんたの道

とやかく言っても仕方ないものね

身体に気をつけなさいよ

〜『頑張りなさいよ』作詞/山口一道

おまけ2

ハッキリ言って、どーでもいいんですが、個人的に脳裏にある旅の思い出を。

博物館の亀 これ記憶に残ってました。まだありましたね

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昭和コーナー。こんな展示のあったっけ?

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北海道・能取岬にあるオホーツクの塔

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ももちん、また来年会おう!


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