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ポメラ日記56日目 新作短編『51対49の小説』のご案内

新作短編『51対49の小説』のお知らせ


 しばらくご無沙汰しておりました、もの書きのkazuma(@kazumawords)です。今日は新作短編のご案内になります。

 三ヶ月前から作っていた短編小説がちょうど一昨日に脱稿しまして、monogatary.comという投稿サイトに新作短編をアップロードしました。

 タイトルは『51対49の小説』です。


 夏休み中の海辺の図書館で本が消え、壁に掛けられた絵から少女がいなくなる、という図書館SFファンタジーです。簡単なあらすじを作りましたので、noteにも載せておきます。 

図書館から本が盗まれ、壁に掛けられた絵画から少女が姿を消した。図書館員の馬込文之助(まごめふみのすけ)は、夏休みに図書館で見かけた少女・ヴェラの願いを聞き入れ、彼女の本探しを手伝うことに。ヴェラは棚の本に手を伸ばし、「49……51……」という奇妙な数字を口にする。外では夏にハナミズキの花が咲いていた。ものを書き続けるひとへ贈る、図書館SFファンタジー。

monogatary.com『51対49の小説』(kazumawords)より


 原稿の分量は約2万字。既にmonogatary.comのページで読めるようになっています。手軽に読むにはちょうどいい分量で、無料公開しておりますので、ぜひお立ち寄りください。ものを書き続けるひとへ、手紙を届ける気持ちで書きました。

 今回、はじめてmonogatary.comを使って作品を投稿しました。というのも、「モノコン2023」という公募があって、文藝(河出書房新社)とコラボした賞があり、たまたま作品が募集内容と一致していたからです。

 モノコン2023の文藝コラボ賞は、募集原稿が約1万~2万字で、ジャンル不問。テーマが『邂逅(思いがけず巡りあうこと、の意)』、〆切が2023年10月18日と、偶然にもぴったりだったので応募してみました。

「ポメラ創作賞」にオープン参加しています


 この小説は、もともとはポメラDM250_bot(@DM200_bot)さんが自主的に主宰する「ポメラ創作賞」の企画に合わせて書きはじめたものでした。

 こちらの企画は、10月6日が本来の〆切日だったようですが、11日まで延長されています。僕は「モノコン2023」の公募に作品を応募したので、選考対象から外れる「オープン参加」という形で、企画に参加しています。

 前回の作品投稿(『川に向かって言葉を吐いて』)が6月29日だったので、約三ヶ月で物語を書きました。遅書きの僕としては「最速」です。 

 これも「ポメラ創作賞」の〆切があったからこそです。おかげで作品を書き切ることができました。この場を借りて、お礼申し上げます。

「51対49の小説」作品制作の振り返り

「51対49の小説」の実際の作品製作に使ったノートと鉛筆。
ブラックウイングの鉛筆を書けなくなるまで使いました。
ロイヒトトゥルムのノートには百ページ分の草稿が入っています。


 二万字の小説を書くのに、ハードカバーノート百ページ分と、鉛筆を三本潰しました。ものを書くことはものすごく手間が掛かります。

 書いていて、いつも楽しいわけではありません。むしろ、思ったような言葉にならずに何度も斜線を引いたり、アイデアが浮かばずに机の上でぼーっとしたり、何時間も唸ってようやくたった一文が書ける日もあります。

 それでも書いているのは、やっぱりどこかで読んでくれるひとがいるからなんだなと思います。

 物語を書くことは、宛先を書かないまま手紙を書くことに似ています。

 僕はそれが読めるように街中のベンチに置いておきます。すると、通りすがりの誰かが、何だこれは? と言ってその手紙を拾って読むかもしれない。あるいは、封を一度も切られないままベンチの下に落っこちて、その存在すら忘れ去られていくのかもしれない。

 しかし、それでもその手紙はいつか必ず誰かに読まれうる、と信じて書くのがもの書きなんだと思います。

 作品が読まれるかどうかは、賭けです。

 まして無名の書き手なら「読まれない」確率の方が遙かに高い。それでも「読まれる」ことの方に張った上で、作品を作る。

作者(自分)のことは一旦脇に置いて、好きな話をしようと思った


 僕はこれまで、ほとんどの作品を自分のために書いてきたようなところがあります。でも、それでは物語にはなりませんでした。何が欠けているんだろう? と、ずっと不思議に思っていました。

 書いても、書いても、僕には誰の顔も浮かびませんでした。作品を読む人の顔がまるで思い浮かばないのです。そうやって原稿の束を積み重ねていきました。

 三年前から小説の武者修行のつもりで短編や中編の作品を書き続けていました。今回の『51対49の小説』で九作目に当たります。

 これまでに書いた作品のなかには、自分の人生に対する不満とか、不遇な生い立ちとか、過去のトラウマを吐き出すようにして書いたシーンがいくつもあります。

 でも、そういうことをやっても、どうにもならないなって思っていました。生きているんだから、現実に起こる不条理な出来事からは逃れられません。

 僕が悩んだり、むかついたりしていることは、2×2が何で4になるんだよ、おかしいだろ、といらついているのと同じで、基本的にはひっくり返すことができないことに対して文句を言っています。
 
 そう言い続けるのも文学の態度としてはありだと思いますが、段々、文句や不平を並べるだけではつまらなくなってきました。おそらく読者の側も、そんなものばかり読まされ続けるのではたまったものではないでしょう。

 なので、作者である自分が置かれた人生とか不運とか、そんなものはもうどうだっていいから、好きな話をしようと思ったんです。

誰かのために書こうとすると、作者=自分だけの話にはできなかった


 僕には作品を読んでくれる友達がひとりだけいました。そのひとは書くことをやめてしまったひとで、それでも僕の書いた作品に、あーだこーだと言ってくれます。僕と性格は真反対で意見が一致したことはありません。でも、文句を言いながらちゃんと読んでくれます。

 僕はこのひとにちゃんと「面白い」って言ってもらえるような作品を作りたかった。そのときはじめて僕は読者の顔を思い浮かべて書くようになったところがあります。

 また今回は「ポメラ創作賞」に出す作品でもあったので、きっと同じように悩みながら創作を続けている方がいらっしゃるのではないかと思っていました。そういうもの書きの方の背中をちょっとだけ押してあげられるような、そんな話が書きたかったのです。

 そうするためには、僕はもう自分だけの話をしている場合ではなかった。それでは間に合わない。言葉が届かない。

 そうやって作者である僕個人の人生を一旦すべて脇に置いて、話しはじめることで、ようやく物語に近づけるのではないかと、今回の作品の執筆を通して思いました。

 うまくいったかどうかは分かりませんが、ぜひ「51対49の小説」を読んで、確かめていただければと思います。



 2023/10/04 20:09

 kazuma

 (了)  

もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。