見出し画像

「ポメラ日記25日目(作家はカメレオン、小説はオーケストラ)」


作家はカメレオン


 小説の話。今週は原稿をちまちまやっていた。登場人物の独白のシーンを書いていて、言い回しがどうも気に入らず、そこでけっこうつまずいていた。同じ箇所の同じシーンを、違う言い方で4回作った。映画で言うと、監督が「やり直し!」って言いながら何テイクも取るようなものだ。映画と違うのは、作家は監督もやるし、演者にもならないといけないし、なんなら脚本やら小道具やら舞台装置もみんな用意してやらなくちゃいけないってことだ。小説はそういう何からなにまで全部自分でやりたいっていうやつが向いていると思う。ひとつの小説を作るために色んな役をひとりでやるので、書きながらこれはカメレオンみたいなものだなと思う。迷いながら一番いいと思った言い方で清書した。

 僕は商業の作家を積極的に目指しているわけではないし、公募を決めて出そうとしているのでもないから、締め切りもない。でもやっぱり心のどこかで、小説の原稿が進まないと、ああ今日も進められなかったなと思うし、友達と会っていても何となくうっすらと原稿のことが気に掛かったりする(「あれ、この喋っている間があったら原稿が出来ないか?」、──僕はヤなやつだ。心の広い友人には感謝している)。段々そういう気持ちの悪さというか、どんよりとしたものが溜まってくると、それを何とか晴らそうとして机の前に座ったりする。僕にとって小説を書くことはべつに義務ではないし、そう思っているときは苦痛にさえ感じるけれど、何だかんだでやっぱり書くことに戻ってくる。というか、書くこと以外に戻ってこられる場所なんて僕にははじめからないのだ。

 行き詰まった箇所は、結局は一晩か二晩か置いて、改めて読み直してみると、いったいなぜここに引っかかっていたのか? と思うくらい、すっと抜けることがある。悪戦苦闘したり、あがいたり、行き詰まりを感じているときは、実はけっこういいところを攻めているときで、ただ詰まっている栓が見つからないというだけかもしれない。何かきっかけがあれば、ぽんと外れたりするものだ。外から見ればそれは、同じ場所でただ足踏みしているだけで、ちっとも進んでいないじゃないかということになるけれど、そういう無駄な足踏みはもっとやった方がいいと僕は思っている。詰まった栓に蓋をしていたままでは、却ってその場から抜けられなくなる。

小説はオーケストラ


 公募から離れた理由のひとつはそれで、締め切りを意識しはじめると何テイクも取れなくなるし、そうすると小説のどこかで必ず綻びや納得のいかないまま、無理に原稿を進めてしまう箇所が出てくる。そういうことを少しでもやると、ボタンを掛け違えたように作品全体がズレていく。小説としては成り立たないし、完成もしない。音程のチューニングが途中で狂ったままオーケストラの演奏を続けるようなものだ。調律が狂ったらちゃんと元の「A」の音に合わせて弾きはじめる必要がある。

 プロならそういう締め切りにも間に合わせて、ある程度のクオリティまで、ワンテイクで合わせてくる技術があったりするんだろうけど、僕にはどうもそれがない。だからもし引っかかりがあるんなら、納得いくまで時間を掛けて、何テイクも取る。日常生活を送りながら小説を書く。何年かかってもかまわない。そういうスタンスで僕はこの二年間に七つの短編を作った。自分にしかできない語り方があるのかは分からないが、書きながらそれを探している。

 いま書いている八作目の短編はまだ時間が掛かりそうだ。来年の春先まで掛かるかもしれない。一万字まで進めていて、短編ならそろそろ折り返すところだけど、話が広がっていくような予感がする。

マクビティのダイジェスティブビスケットの「ダイジェスティブ」


 閑話休題。執筆のおやつにマクビティのダイジェスティブビスケットを食べている。イギリス産のチョコ掛けのクッキーなのだけど、これが絶妙に塩味もあって旨い。「ダイジェスティブ」の意味が分からなくて、最初は「全粒粉」とか、そういう意味じゃないのと思っていたら、どうも「消化性」という意味だそうで、へえーとなった。消化にいいクッキーなのかとヘンに納得してしまって、それ以来、スーパーで見掛ける度に買っている。なおWikipediaによると「熱い紅茶に浸して食べるのが、名誉ある伝統的な食べ方である」と書かれていたので、今度試してみようと思う。ミルクティーがいいかな。

ポメラDM250の「アプリ接続」、ポメラ本体とSDカード保存領域の使い分け


 「ポメラ日記」ということで今週のポメラ周りのトピックとしては、DM250の「アプリ接続」について。「ポメラ日記24日目」でも書いた通り、AmazonのブラックフライデーセールでSanDiskのSDHCカードを千円で買って使うようになったんだけど、「ポメラリンク」のアプリを使ったときにちょっと疑問が生じた。アプリ接続でファイルを確認しようとすると、どうもSDカードに保存したファイルは参照できないみたいだ。ポメラリンクを使いたければ、本体側にデータを保存する必要がある。


 これにはちょっと困ってどうするか思案したのだけど、僕なりの解決方法としては、使うファイルのデータによって本体とSDの保存場所を変えることで解決した。

 たとえば、こういう「ポメラ日記」や「kazumawords.com」のブログの文章なんかは、執筆後、すぐにアップロードする。なので、そういう「すぐにアップロードする」文書については、ポメラ本体に保存する。

 一方で、小説やプライベートな文章を書く場合は、「すぐにアップロードしない」文書になるので、これはSDカードに保存する。

 万が一、ポメラ本体に何かあったとしても、すぐにアップロードした文書は別デバイスから参照したりできるようになっているので復元できるし、最悪の場合でもネット上に残っているから、そのプラットフォームが潰れないかぎりは、文書データを救出できる。小説はそういうわけにはいかず、完成形になるまでは手元に置いておく必要があるし、重要度の高い文書であるのでSDカード側に保存する、という形で使い分けることにした。

 ポメラリンクのアプリで共有を行う際にも、共有前にスマホにも保存を残しているし、iOSアプリのUlyseesも使っているので、クラウドにも保存できる。これらを使い分ければ、よほどのことがない限り、文書データを紛失することはないだろうと判断した。

 僕はこの運用で納得がいく形になった。念を入れたい方は、ベタな手ではあるけれど、ポメラ本体とSDの両方に保存しておくのが安心かと思う。機動力を重視したいなら本体とSDの保存領域を使い分け、安心確実に行くなら本体とSDの両方に保存がアンサーになるかと。

 ここ最近はSNSからなるべく距離を置くようにしている。Twitterはブログや「ポメラ日記」の更新を知らせたいときに使って、あとはたまにつぶやくくらいがちょうどいい距離感だと思っている。

 2022/12/09 20:49

 kazuma

本家ブログ(『kazumawords.com』)では、最近読んだ本の話などをしています。最新記事では芥川龍之介が訳したW・B・イェイツの『春の心臓』を取り上げました。


この記事が参加している募集

#習慣にしていること

131,068件

もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。