noteを書きたくなる理由は、小学校の頃の、あの感覚と似ている。
私はある時まで、日記を書くのが嫌いだった。嫌いだし苦手意識もあった。
小学生の毎日の宿題だった。(今もそうなんですかね?)物心つく頃には、見開き1ページは必ず書きましょうとか、ノルマもついていたように思う。年度の終わりには、日記を業者に製本してもらって、本のようにしていた。小学5年生までは、少し厚めの雑誌くらいだった。その量で満足していたし、特に伝えたくもない相手(担任の先生)に、なんで自分の日常を書いて渡さなきゃならないんだ、と思っていた。
それが、小学6年生の頃の製本時には、分厚い辞典くらいになっていた。すぐ日記のノートがなくなった覚えがある。
理由は、担任の先生との距離が近かったからだと思う。もちろん、心の距離。ああこの先生になら伝えたい事いっぱいあるわ、と思わせてくれる先生だった。
前にも記事にしているが、様々な理由が重なり、この先生には思い入れがある。今思い出したが、日記を提出したら1日返ってこなかった。2冊ノートを用意するように、と言われていたんだ。そう先生は、残業時間に、じっくり日記を読んでくれていた。赤ペンの内容も、前の先生よりも長かったし濃かった。書く意欲が自然と溢れた。それまで、文章を書くという事は嫌いで苦手なんだと思いこんでいたけど、いつの間にか、好きなことに変わっていた。
※※※
noteも、noterもしくは読んでくれるとの距離が近いんだと思います。「書きたい」と思える場所であること。それは、皆さんの文章力の高さもありますが、色んな意見や視点があっていいんだ、と思える文章が多いからだと思います。あとは、皆さん大体よく推敲されているから、心情が伝わって、勝手だけど、考えの似たような人の文章を読むと、距離が近いなぁと思ってしまうんですよ。
あと、読んでくれる人の「スキ」は、気に入った文章にしかつけないですよね?それが増えれば増えるほど、また誰かに伝わる記事を書きたくなる。よくできていると思います。
noteという場所で、皆さんと距離が近くなってよかった。ありがとうnote。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?