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蹴球症候群

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に… もっと詳しく
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#考察

サッカーにおける『技術』と『アフォーダンスの知覚』の関係性

作品の制作を、単に「頭の中」だけのこととしてではなく、実際に体を動かし事物を扱う行為まで含めて捉えようとする時、技術という問題が浮上する。周知のように、今日芸術を指すartやkunstという語は、もともと技術を意味する。 技術は素材あっての技術であり、特定の素材に対してそれにふさわしいあり方(必ずしも一つではなく複数の)として、成立している。フォションは素材の「技術についての運命」という言い方もする。素材の「技術についての運命」は、素材の「形にまつわる運命、使命」に呼応する

ポジティブとネガティブ

そんなことは気にせずに、「それは真か偽か」を問うてみればいいんだ。実際、組織の健全さは、ネガティブな考えがどれくらい許容されるかで測れるとも言えるんじゃないか。偉大な仕事がなされる場所では、人々はいつも批評的で皮肉屋であり、決して「前向き」で「支援的」であったりしない。私が知っている、偉大な仕事をなした人は、自分はダメだが、他のみんなはもっとダメだ、と考えている。

コミュニケーション、言葉と身体。

本を読むことが好きだからか、文章を書くことをしているからか、言葉には敏感になっていると思う。言葉遣いがあまりに汚い人は、汚い言葉を意図して使う場合を除いて、その時点でちょっと近づくのをやめたりする。日常会話の中で難しい言葉をサラッと違和感なく使ったり、諺を交えて話す人を見ると、どんな本読んでるんだろうと、興味が湧いたりする。言葉は普段一緒にいる人に影響を受けるから、その人の言葉から仕事場の同僚を想像したりする。 それだけならいいのだけど、僕の場合サッカーという「言葉」が「集

余剰・均衡・循環 / Surplus, Equilibrium, Circulation  について

昔読んだ本の中で、経済には「余剰」「均衡」「循環」の3つが揃っている必要がある、ということが書いてあって、感銘を受けた記憶がある。この3つの条件は、経済に限らず、「ある共通点」を持つ事柄全てにおいて言えることだと私は考えていて、何かとこの3つが揃っているかを意識している。

危険とは何か——。「リスクテイカー」と「リスクシーカー」

どうすれば、人間は「リスク(危険)」をとれるのか。成長するためには、あるいは現状から抜け出すためには、「リスク(危険)」が必要であることを、多分全員わかっている。リスクを取りにいけない人がいる一方で、進んで(他者から見れば喜んでいるかのように)リスクを取りにいく人がいる。両者の違いはなんだろうか。 自分の場合「リスク(危険)」を取りにいけるようになった「きっかけ(トリガー)」は、ハッキリと「これだった」と言うことができる。そこからの実験談を書きながら、「リスク(危険)」とは

「"教えない"指導」は是か非か|時間軸を考慮する

スポーツの現場で極端に一方的な指導を長いこと行ってきた日本において、それに反する極端な思想が生まれるのは自然なことでした。理不尽で強制的な、上下の関係をつくるような指導への反動として、現在はコーチや指導者が「教えない」ことを真の役割だとする声も出てきています。現段階でこれに対して賛成や反対の立場を取るつもりはありませんが、今回はこのような議題について持論を書いていきます。 ・・・ キャッチーな言葉「教えない」という言葉を指導者の文脈で使うとなればキャッチーですので、著書の

サッカーに「テンプレートは必要か?」問題について|パターン・マッチングと効率化

Photo:@photofoot23 変化は、ほとんどの場合「効率化」に向かいます(向かうことを人間が好みます)。サッカーというゲームを見ても、10年前と何がどう違うのかを考えると、「効率化」にあると思っています。西洋人が昔、権力や信仰や慣習に争う形で「科学」を発展させたように、サッカーの世界でも、西洋人はゲームにおける仮説をたて、実験し、データを集め、サッカーを科学的に発展させてきました。その結果、サッカーの世界には「テンプレート」が溢れています。まるで、企業戦略をテンプ

「サッカー」と「ホルモン」についての考察

医療系の学校に通っていた学生時代、ホルモンのことはよく勉強しました。焼肉で食べるホルモンではなく、私たちの身体にあるホルモンの話です。 ある本を読んでいた時、興味深いトピックがあったので考えてみたいと思います。 ・・・ そもそもホルモンてなんぞやという方のために、軽く説明します。 Googleでホルモンと検索すると1番上にこれがきます。キレそうです。ホルモンというのは、専門用語で言うと内分泌系(外分泌系は汗とか唾液などです)と呼ばれるもので、血液中を移動する「情報を伝

「〇〇がしたい」 と「〇〇になりたくない」の相違点について

普段なんの気無しに考えていることは言葉を通して考えているはずで、癖になっている考え方(頭の中で直接的にでも間接的にでも想像する言葉)に意識的に目を向けることは大切だなと思っているんですが、良い本を読みました。 邦題が正しいのかどうかちょっと疑問ではありますが、『TO HAVE(持つ様式)』と『TO BE(ある様式)』の相違について論じているものです。 サッカーというスポーツをしていると、「ボールを"持つ"」ということの意味と深く対峙しなければならなくなります。「ボールを"

マイノリティを売り物にするな(マーケティングに利用するな)という批判についての考察

やはりNIKEのCMについて、改めて考える。考えるまでもないと思っていたのは、「日本に差別はない」あるいは「日本人を蔑んでいる」などの批判を目にしたからである。日本に差別はあるし、自分たちのことを自己批判する必要がないほど日本人は(というか人は)良い生き物ではない。ただこの映像について、この類のテーマではそれが当たり前ではあるのだが、差別を受けている側や、マイノリティ側の人々が「マイノリティ(私たち)を見せ物にして(マーケティングに利用して)自分たちの商品を売ろうとしている」

『自信のある人間は決断を必要としない』 サッカーにおける自信と結果のロジック

『自信』というのは、ある意味人間のもっとも大きなテーマであると思う。自分を信じているか、そうではないかで、自分を肯定出来るか否かにも繋がるだろうし、ということは、幸せか不幸か、という盛大なテーマにも関与する。 特に僕の場合、20歳くらいまで全く自信というものからかけ離れて人生を送っていたくせに、いくつかのきっかけを経て、今はあらゆる局面で自信を持って生きることが出来ているから、『自信を持つためには…』みたいなことに関しては、自分なりの答えを持っている。 「たったひとつの答

言語化とは『言い訳』である

子供の頃、僕は「(字を)書くこと」が好きでした。いろんな人の字を「見て」模倣するのも好きでした。高校生の時「読むこと」が好きになりました。仕事をするようになってからは「話すこと」を避けられなくなりました。 大人になってからは、文章を本格的に公に向けて書くようになり、20歳から続けている手書きの日記は8年の月日を経過し、もちろん仕事関係で、1対1でも1対大勢でも、たくさん話をしています。読書量は、高校生の頃とは比べ物になりません。日本語や英語のフォントを「見る」ことも大好きで

難しい舞台を観たときと、難しいフットボールを観たときは、何が違うのか

難しい映画を観た時や、難しい小説を読んだとき、難しい絵を観た時、難しい舞台を観た時、つまり何かしらの芸術作品に触れたときに「自分にはまだ難しい」と思う場合がある。「わからない」という点では「つまらない」と似ているが、実際両者には明らかな違いがあるように思う。というより、異なる感覚を確かに覚える。おそらくそれは、事後に「何が自分にわからなかったのかを知りたい」と思うか、思わないか、の差ではないだろうか。 そういうとき自分は、まず一旦己で考えてみる。確かに感じている何かを言葉に

『世の中が"教えたがり"になったとき』 教えることはAIに出来るが、アドバイスは人にしか出来ない

いまの世の中、オンラインサロンやYouTube、その他SNSのプラットフォームを通じて、「誰かが誰かに何かを教えている様子」を見ない日はありません。過去の世界では「誰かに何かを教える」というのは、ある種限られた人たちの特権だったわけですが、いまでは誰もが「教える」という行為を、不特定多数の人に実施することができるようになりました。いいことなのか、悪いことなのか。その周辺について考察してみたいと思います。 ・・・ 教えられること世の中には大きく分けて、教えられるのが嫌いな人