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コミュニケーション、言葉と身体。

本を読むことが好きだからか、文章を書くことをしているからか、言葉には敏感になっていると思う。言葉遣いがあまりに汚い人は、汚い言葉を意図して使う場合を除いて、その時点でちょっと近づくのをやめたりする。日常会話の中で難しい言葉をサラッと違和感なく使ったり、諺を交えて話す人を見ると、どんな本読んでるんだろうと、興味が湧いたりする。言葉は普段一緒にいる人に影響を受けるから、その人の言葉から仕事場の同僚を想像したりする。

それだけならいいのだけど、僕の場合サッカーという「言葉」が「集団の身体動作」となって表れる(ことの多い)ゲームの沼にハマっているから、これはもう抜けることができない。しかも仕事にしているのはその言葉を操って集団を統率する「監督」という立場であるから、なおさらだと思う。先日、ZISOで井筒陸也と言語化について話をした。

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その内容はいいとして、コミュニケーションって…みたいな思考沼にハマったから解放するために、ここに書いておきたい。

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