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蹴球症候群

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に… もっと詳しく
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記事一覧

「noteマガジン廃刊」のお知らせと、新年のご挨拶。

新年あけましておめでとうございます。 気が付いたら年が明けていて、私史上最も落ち着かない年末年始となっておりましたが、休みが終わり、今日から頑張って生きねばということで、パソコンの前に向かっています。 *** まず、タイトルにある通りnoteマガジン『蹴球症候群』を、1月をもって廃刊とさせて頂きますことをお知らせいたします。 3年以上に渡ってご愛顧いただきました皆様、本当にありがとうございました。アルゼンチンに住んでいた2019年10月から書き始め、日本に帰ってきてか

「変化」と「波」

「変化」と「波」ということについて、考えてみる。

『W杯、鬱陶しいコンプレックス』

一応『蹴球症候群』というタイトルを付けているわけだし、4年に一度の祭典ワールドカップのことに触れないわけにはいかない、などと思ってパソコンに向かっている。

【記録.7】世界観とチューニング

1週間をどう過ごすかより、1年間をどう過ごすか、に興味があります。もっと言うと、1年間をどう過ごすかより、3年間をどう過ごすか、に興味があります。10年間の方が、興味があります。 「1年間だって、1週間の繰り返しではないか」と捉えることもできますし、その指摘は間違っていないのですが、しかし、やはり"時間の捉え方"は、歩み方、あるいは"歩み始め方"に大きな影響を与えます。 サッカーは、1シーズン(1年)毎に強制的に区切りがつけられます。しかし、それはあくまでも他者によってつ

"ある職業"を目指すことについて——。Jリーガーになりたい21歳

これは人によって、あるいは状況やタイミングによって違うのかもしれませんが、私の意見だけを言っていいのであれば、"ある(既存の)職業"を目指してキャリアを考えることは、しなくて良いと思います。それがJリーガーであれなんであれ、やりたいこと、なりたい姿、理想の仕事などを考えるときに、既存の職業(名前がついているもの)をターゲットにしてしまうと、やれ「どうすればJリーガーになれますか?」とか、「Jリーガーになるにはどんなことが大切ですか?」など、既存のJリーガーやサッカー関係者に尋

"生まれてすぐに着衣的存在となるがゆえに、ニュートラルな裸などもはやありえないのである"

スポーツ、特に団体闘争(Team Struggle)にカテゴライズされるスポーツにおいては、ユニフォームなどの衣装(衣服)について、もう少し深く本質的な議論がなされるべきだと思います。上に紹介した『言葉と衣服』は、それについて考えるうえで有意義です。 ということで、最近読んでおもしろかった本をひたすら貼っていきます。 『僕らは嘘でつながっている。』浅生鴨『企画 「いい企画」なんて存在しない』髙瀬敦也『間合い 生態学的現象学の探究』河野哲也『コントロールされた線とされない線

『競争闘争理論』の執筆裏話あれこれ

回答:まず、本書の理論体系は21歳くらい(9年前)に8割くらいは出来上がっていて、自分がサッカーやスポーツに関して何かを主張するときは、『競争闘争理論』が根拠になっていました(今もです)。つまりSNSやメディアで何かまとまった主張をするとき、例えば反響があった「強いからかっこいいのか、かっこいいから強いのか——。 "弱い"と"ダサい"の因果関係」などは全然関係ないように見えますが、たどっていくと『競争闘争理論』から導かれたものだとわかります。 ただ、当時は理論体系を発表する

思い込むことの恩恵と弊害

なんで生まれたんだろうから始まって、なんで生きてんだろうと考えて、なにかと理由をつけたがっていた青春時代でした(全然青春してない)。そういうことを考えるということは、そこを出発点として、すごく前向きになることもあれば、とても後ろ向きになることもあるということで、先の見えない二股の道のどちらを進もうか毎回選びながら(あるいは自然と進みながら)歩いているような、そんな感覚でした。実は強制されていないのに強制されているように感じていたのが子供のときで、ふたつ道があることが分かってい

書けない、

パソコンの前に座って1時間が経ちました。何も書けません。

"観光客"と"純粋主義者"の真ん中に置けるFOOTBALL

これからのサッカーは、これからのスポーツは、どうあるべきか。そういったことを考えるようになってきました。日本に限らず、世界においても、それらの「在り方」のようなものが、良くも悪くも、少しずつ変化をしていっている(しなければならない)のだと思います。社会が変わっているからです。 本質的な歩みを進めていくためには、いままで固定されていた印象や、当たり前になってしまった価値観、議論すらされない常識を、(自分の中で)捨てなければならないことも、多くなることかと思います。 上で引用

『分野を横断する「越境性」と、ヒエラルキー間を往来する「超越性」』これからのスポーツに必要な人材とは——。

思えばヨーロッパに行くことで、サッカーの中に「ゲーム」と「カルチャー」を見出し、それまでサッカーを「ゲーム(競技スポーツ)」としか見ていなかった私は、突如その周辺に視野を広げるようになった。 その後アルゼンチンに行くことで、私はまた新たな視野を持った。サッカーの中に「チーム」と「クラブ」の2つを見たのである。それまで自分の中にあった「サッカーチーム」という単位は、それだけでは成立しない(「サッカークラブ」の中にある)分解要素であったことを突き付けられることになる。 こうい

30代でやりたいこと(強い意志はない)

20代は濃かったなあと思いますし、本当にいろんなことがあり、いろんなことをしたので、30代もそれくらいの濃度で、もしくはもっと内容の詰まった10年間になるだろうと思っています。またこっから10年かあすごいなあというなんだかよくわかんない感情もあります。 せっかくなので、これからの10年間でやってみたいことを思いつくだけ上げてみたいと思います。絶対に達成してやる!みたいな強い意志はないので、目標とは言えるようなものではないかもしれませんが。 ***

人と同じことを人と違う方法で行う人たち。

どのように、何をするか、という時の「どのように」の部分には興味があります。昔ある人に、「人と違うことをするんじゃなくて、人と同じことを人と違う方法でするんだよ」と言われたことがあります。確かに、そんな気もします。人と違うことをしているように見えても、辿っていけば実は同じことをしていて、だけれども、その捉え方や方法が違うために、出てきたものが人と違うように見える、そういうことなのかもしれません。 例えば私はよく本を読みますが、ほとんどのものが、人と同じことを人と違う方法でして

「サッカーのコンセプトメイクについて多分誰も気が付いていないこと」(全文公開)

いったい私は何をしているのか、が定義できないと自分でも仕事がしづらいし、協力して他者と働くことも難しいということに気付いてはいるし、たぶん、どうやら今までに誰もやったことのないことをしようとしている、あるいは何かを再定義しようとしているっぽいので、自分でつくんないといけません。 そもそも私はサッカー監督になるための勉強をしてきて、そしてそのためにサッカーというものを学んできたわけですが、ただその道中で、既存のサッカー監督像や仕事の仕方、社会での立ち位置、サッカークラブ内での