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「"教えない"指導」は是か非か|時間軸を考慮する

スポーツの現場で極端に一方的な指導を長いこと行ってきた日本において、それに反する極端な思想が生まれるのは自然なことでした。理不尽で強制的な、上下の関係をつくるような指導への反動として、現在はコーチや指導者が「教えない」ことを真の役割だとする声も出てきています。現段階でこれに対して賛成や反対の立場を取るつもりはありませんが、今回はこのような議題について持論を書いていきます。


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キャッチーな言葉

「教えない」という言葉を指導者の文脈で使うとなればキャッチーですので、著書のタイトルになったり、Twitterの文言になったりします。私は個人的にその類の著書を読んだことはありませんが、おそらく「一方的に上から強制するような指導はよくない」というような主張なのだと思います。「教えない」にもレイヤーがあり、例えば「全く一言も発しないで選手(子供)たちにやらせる(よく言えば主体性を持ってやらせる)」という意味で「教えない」という言葉を使っている人もいれば、「選手(子供)たちを支える(見守る)のが指導者の役割であって、こちらから何かを教えるようなことは必要ない」というような意味で、「教えない」を使っている人もいるかと思います。

言葉の裏に隠れた意図は時に読み取れないわけですから、最も良くないのは二極化することです。本来グラデーションがある(世の中のほとんどのこと)ものを、1か2で理解しようとするのは、危険です。

私の場合このテーマについて考えるときは「時間軸」を考慮します。


判断する時間が「ある」か「ない」かによる役割の違い

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