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VR演劇『縛られたプロメテウス』を観られなかった方へ

映像作家・小泉明朗氏によるVRを活用した演劇『縛られたプロメテウス』

3月に開催された演劇の祭典シアターコモンズ'20にて観劇してきました。昨年のあいちトリエンナーレでの公演は超満員で整理券は即完売。HMDを鑑賞者がつけるVR演劇史に名を刻む本作は、いったいどういった内容なのか?

ちなみに、上記の写真のようにVRを利用する場面は実は「前半」だけなんです。では、後半は何が起こるのか?

これは見るまで実態が掴めませんので、もし公演を惜しくもご覧になれなかった方々に情報を共有します!ネタバレも多分に含まれますのでご了承ください。

本編の前に:原作がある点の共有

まず、そもそも『縛られたプロメテウス』とは、アイスキュロス作のギリシャ悲劇で3部作で成り立つ「プロメテウスシリーズ」の最初の作品。プロメテウスと聞くと「神の元から盗んだ火(科学)を人間に与え、ゼウスにものすごく怒られる」という内容の神話を思い出すでしょう。その話です。罰としてプロメテウスは縛られてしまうのです。

したがって、このプロメテウスという言葉は科学・技術の驚異的な力、あるいは、自ら生み出した技術を制御できない哀れな人間のありさま、を形容する時にしばしば登場します。

では、本作において「技術の力」という要素がどのように絡むのでしょうか。
物語の順を追って探っていきましょう。

第一部:HMDをつけるのは前半だけ!

これ現場ではじめて知ったのですが、本作は2部構成になっています。冒頭でも触れましたが、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)をつけて鑑賞するのは「前半」だけとなっています。

まず、第一部の鑑賞者は不思議な魔法陣のような床面を持つ空間に誘導されます。鑑賞者どうしが円を描き、HMDを通じて中央を見るところがスタートです。なお、シースルーのHMDとなっており、観客はお互いを見ることができます。床の中央には三角錐の3DCGモデルが現れています。

やがて、スピーカーから男性の声が聞こえてきます。

「ワタシノコエ ガ キコエマスカ?」

その声は、どこか機械的な印象を観客に持たせます。この声の主は誰なんだ?という疑問を持ちながら、一言ずつこの声を聞いてヒントを得ていきます。

男性の言葉の内容から、

・男性は不治の病にかかっている
・男性には介護をしてくれる妻がいる
・男性は自らの生に絶望している
・男性は死を間近に感じている
・男性は限られた生の中でもがいている

というような情報が掴めてきます。その間、CGモデルが1つの三角錐から大きな直方体に拡大していったり、無数の小さな立方体の群に分解して観客を取り込んだりします。

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はじめは互いの観客を鑑賞できたり、周囲の環境を視認できるのですが、物語の中でCGモデルに飲み込まれていって、シースルーで周りが見えているところから暗闇にいる感覚に陥ります。それは、恐怖や孤独の演出にぴったりだと思いました。

また、この無機質なCGモデルこそが、声の主が自身の肉体を手放している様子を描写しているのではないか、と思います。肉体を手放す、病、技術、それらはどのように繋がっていくのか。

第一部が終わりHMDを外すと、観客がいる空間の奥でカーテンが閉まる様子が見えました。どういうことだ。何か物語と関係があるのか。

それは、後半で明らかにされるのです。

第二部:いよいよ「声の主」と対面する

第一部が終了すると、スタッフに誘導されて別室へ。イメージで言うと、第一部は体育館のようなホールで観客は立ちながらHMDで作品を鑑賞する。次の空間は、体育館の前面にあるお立ち台のような感じ。

そして、そこに先ほどのカーテンがあり、カーテンで第一部と第二部の空間が隔てられているのです。つまり、カーテンが開いていたということは、僕らが第一部を体験している様子を「実は別の誰かが見ていた」という構図なんです!

そして、第二部の観客としてマジックミラーを介して第一部の観客を覗く。「知った」我々と「まだ知らない」彼らの対比になっています。

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第二部の空間ではカーテンの下にディスプレイが並んでおり、そこでいよいよ声の主と対面します。

声の主はALS(筋萎縮性側索硬化症)患者で車椅子に座っています。

ここで、合点がいくのは第一部での機械的な男性の声。

ALSは筋肉の力が弱くなっていき、しゃべることもできなくなってしまう事例があり、その場合、機械の文字盤を押して電子音で発話させてコミュニケーションをとることがあります。つまり、機械が患者の声を代理して我々に伝えていたのだと解釈しました。

しかし、第二部でディスプレイに現れた男性は、力を振り絞って第一部と同じセリフを我々に伝えようとします。汗をかきながら、唾を呑み込みながら、病に伏す今日の中、最後の言葉を届けようとする姿に心を動かされます。

「私の声が聞こえますか?」
「妻が握ってくれる手を握り返す。」
「死にたくなる。」
「それでも、ストーリーは続く。」

死期を悟りながらも、自らの生や存在は続いていく。VRや機械による発語、身体を拡張する車椅子など、技術によって生きながらえ、表現を続けていく。その様子がストレートにビシビシ伝わってきました。

「神秘的な謎」を残す前半と「人間的な感動」で解答する後半の2部構成で成り立つVR演劇作品。VRをプロメテウスが持ってきた火のように見立て、演出方法そのものが物語の象徴となる奥深さを感じます。

VR技術の新しさという表面的なアピールポイントではなく、VRだからなにが表現できるのか、突き詰めていた作品でした。

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