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「ああだ、こうだ」と言う資格は僕にはない。

全員が成長を望んでいるわけではない。

それは、いくら大学に入学していたとしても。

大学にいるにも関わらず勉強したくないとか、成長したくないと思っている人がいることは、僕からすればとても驚くべきことだが、他者から「向上心」があるという評価をしばしば受ける僕でさえ、大して望んでいるわけではないのだから変なことではないのかもしれない。

立派な大人にはなりたいが、立派な社会人になりたいとは思わない。

「あいつ、また変なこと言ってるよ」と、どこかから聞こえてきますが、今の僕は本気でそう思っている。

だから、立派な社会人になるために残りの大学生活を充実させようとしている友人たちからすれば、僕は変なことを言っている奴に見えるだろうし、そんな僕が、立派な大人になりたいとは思っていない奴を見ると、「ええ、変だなあ。」と思う。


全員が立派な社会人を目指さなきゃいけないなんてことはないし、立派な大人にもならなくたっていい。
人によって、ゴールや大切にすることは全く異なるのだから、成長したいと思っていない人がいることだって当然のことだ。

でもそれを知らずか、他者の人生に勝手に首を突っ込んで、「ああだ、こうだ」と説教じみたことをすることが(双方にとって)最も無駄なことなのだと、今更になって気づいた。

でも、そうじゃないときもあると思う。

「それは違うよ。」
「もっとこうしなきゃ!」と言うべき時だってある。



インスタ

大鷲さん(@youichi.ohwashi)という方がインスタでファッションをメインに投稿しているのですが、僕と服の系統は違えど、大人の男性の持つ雰囲気が好きでよく見ています。

先日、彼がインスタの機能を使って、フォロワーさんからの質問に答えていました。

彼は所謂、インフルエンサーなので、かなり質問が集まっていましたのですが、僕はその中でいくつか気になるものがありました。

「おすすめのブランドはありますか?」
「このブランドのこの商品どう思いますか?」
「髭を伸ばしたいと思っているんですけど、どう思いますか?」
「170cm,65kgだったら、大鷲さんが持っているあのアウターはどのサイズが良いですかね?」

むむむ、何だこの質問は、と。

僕はこれらの質問を見て少し悲しくなってしまいましたし、それに真面目に受け答えしている大鷲さんが少し気の毒だとも思いました。

「いや、普通の質問じゃない?」とお思いになるかもしれませんが、ある程度服が好きな人からすれば、または大鷲さんのように服に真剣に向き合っている人からすれば、そんな質問に答えられるはずがありません。
だって、質問者の顔も、雰囲気も、好みも、クローゼットの中も、何も知らないんですよ。

どれだけカッコいい人の服を真似をしたとしても着るのは自分です。
それが、どれだけ良い服であっても似合わないことだってあるのです。

また、自分のスタイルを見つけるためには、とにかく服を着て、触って、感じる必要があります。
それが洋服の醍醐味であるし、それなしでは、ただの良い服を着たマネキンになることしかできません。

それを分かっている上で、「このアイテムおすすめですよ!」とか「すごくカッコイイですよね!」とか「みんな買った方が良いと思う!」みたいな無責任なコメントなんてできるはずがありませんし、髭とかの質問に関しては、「いや、俺に聞くことか?」となって当然です。

大鷲さんはこれまでも、そしてリアルタイムでもそのことを繰り返し伝えてきているにも関わらず、素敵な質問を覆い隠すかのようにあのような質問ばかりが来ていて、気の毒でなりませんでした。

しかし、このことを嘆き、苛立ち、なんやかんや言う資格は、僕にはありません。
大鷲さんにしか、その資格はないのです。

だから、このnoteだって書いて良いのは僕ではなくて大鷲さんだけです。



被害

大鷲さんは、洋服や写真好きのフォロワーさんたちと何か意見交換がしたくて質問を受け付けたのだと思います。

しかし、そこに、
自分で調べればわかる質問、
自分が動こうとしている様子もない質問、
自分の信念とズレた質問が集まってきた。

言ってしまえば、彼は被害を受けているのです。
いちいちその人たちに「洋服は自分で選んでこそ価値が生まれるんだよ」、「じゃあ、僕がこれが良いと言ったら、高い金出してそれ買うの?」とその人たちに説教じみたことをしなければならないのです。

そう、「しなければならない」のです。


自分の信念とは違うものと出会ったとき、それについて「ああだ、こうだ」と言って良いのは、今回の大鷲さんのように巻き込まれた人だけです。

それに対して優しいコメントをするか、厳しいコメントをするかはその人次第で、だからこそ、大鷲さんは自分の世界観を貫くために、自分の信念を貫くために、自分にも、そして質問者にも一切の嘘をつかず真摯に受け答えしていた大鷲さんは、優しい人だと僕は思います。
少し口調に問題はあったとしても、真摯に向き合って指摘してくれる人なんてそうそういませんから。


また、もう一つだけ、「ああだ、こうだ」と人に向かって言って良いときがあると思っています。

それは、相談を受けたとき。

例えば「今、仕事をやめようと思っているんだ」みたいな相談に対して、「お前は社会を舐めている」とか「怠けているからだ」のように、その人のことを想っているからこそ説教することも一つの優しさだと思います。


逆に言えば、それ以外の場合は「ああだ、こうだ」と言ってはいけないと僕は思っています。

外野から特定の誰かに向かって「ああだ、こうだ」言うのは優しさではありません。
社会情勢や政治について批評するだけならまだしも、関係もない他者の人生に「ああだ、こうだ」と正論をぶちかますだけの人は、ただ自分が正しく優秀な人間だと思わせたい人か、ただのお節介の行き過ぎた人です。

つまり、僕が今回の大鷲さんに集まった質問の件について、「洋服の楽しさはこうだ!」と問題の本質を言及するだけならまだしも、質問者に向かって「なんだその質問は!」とか「お前はダサいぞ!」とかゴチャゴチャ言ってしまうのは、逆にすごくダサいことなんですね。

巻き込まれたとき、相談されたときにだけ口を開く。
そんな余裕が大事なんだと思います。



終わりに

今回のnoteは、自分の反省はもちろん、大人の人たちにも読んでもらいたいという気持ちを込めながら書きました。

ただ、卒論のことばかり考えていることもあってか、今週のnoteは全く書きたいことが思い浮かびませんでした。
「あ、これについて書こうかな」と思っても、すぐに違和感を覚えて全て消してしまいます。

だって、僕はすぐに何かに対して「ああだ、こうだ」と言っちゃうんですもん!
緩く書きたいと思っても、いつの間にか何か批評めいたことに向かって言っちゃうんですよ。

だから、これは俺が批評したところで何の意味もないのだ、とすぐに消してしまうのです。


そのときの気分が文章に現れる、と僕は思っているので、今週は僕はそんなテンションだったのでしょう。

来週はどんなテンションで書かれているか、楽しみにしていてください。

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