"研究道"へ
あまり公言していなかったのですが、実は今春から筑波大学の博士前期課程に進学しました。
所属先の正式名称は『筑波大学人間総合科学学術院人間総合科学研究群スポーツウエルネス学学位プログラム博士前期課程』といい、平日の夜間と土曜日を中心に研究活動を進め、2026年初頭までの修士論文執筆を目指すというものです。
卒論さえ書かずに卒業してしまった学部時代の自分を恨みながらも、刺激し合える最高の仲間と日本最高峰の素晴らしい先生方に恵まれて、ここまで人生でも有数の充実した4ヶ月を過ごすことができました。
なぜいま研究の道を志したのか、この道がどこへと繋がっていくのか、これから始まる長い研究生活で心が折れた時のために(笑)初心を忘れないようnoteに書き残します。
転機
ターニングポイントは2021年の夏でした。
東京における熱狂の1ヶ月を渦中で過ごし、オリンピックというコンテンツが持つ凄まじい力を直に感じました。
1年が過ぎても余韻が無くならず、2022年には自分のFacebookにこんな投稿をしていました。
有り難いことにそこから色々なお話をいただいたり、相談に乗ってくださった方々のお陰で次なる道が定まり、「スポーツ政策に関する研究を出来る場所」を求めて動いた結果、運と縁が重なり筑波大学の門を叩くことになりました。
まさか自分がこの年齢で大学院に行くことになるとは想像していなかったし、最終学歴が青学でなくなることにも違和感があるのですが、スポーツに関わる3本目の矢として研究の道への挑戦を決めました。
パリ2024オリンピックのTEAM JAPAN選手団長を務める尾縣 貢先生、JOC・JFA理事などを歴任している山口 香先生、JSC情報・国際部 部長でJISS・HPSCでも研究をされている和久 貴洋先生、女子サッカーのレジェンドで現役選手と二足の草鞋を履いて教鞭を執る安藤 梢先生といった豪華な先生方の指導を受け、新鮮で刺激的な4ヶ月があっと言う間に過ぎ去りました。
なぜこの選択をしたか、という理由を少し掘り下げてみます。
目指す場所
「日本をサッカーW杯で優勝させる!オリンピックで最も多くのメダルを獲得する国にする!」といった冗談のような本気の目標を掲げてから15年が経ちました。
残念ながら選手もしくは監督として競技力向上に貢献できる才能が無かったこともあり、ビジネスというフィールドから「日本スポーツの国際競技力を向上させる」ことを目指して、これまでSHIBUYA CITY FC の創業者兼取締役会長という顔と、株式会社dscの取締役という2つの顔を持って仕事をしてきました。
国際競技力向上にビジネスフィールドから貢献する方法は数多あると思いますが、上記SPLISSモデルで1本目の柱として示されている「財政支援」、つまりスポーツ界に多くのお金を流入させることはビジネス側が果たすべき役割の一つであると考えます。
スポーツ界へ資金を投入するためには、そのお金が公的なものであれ民間資金であれ、或いは外貨だったとしても、投資対象としてのスポーツ界の魅力がふんだんにある状態が求められ、そのためにも「スポーツファンを増やす」ことが重要だと考えこれまで取り組んできました。
SHIBUYA CITY FCというサッカークラブは「渋谷から世界で最もワクワクするフットボールクラブをつくる」ことを目指し2014年に創設しました。サッカー日本代表が活躍すると渋谷スクランブル交差点がお祭り騒ぎになるという光景もありましたが、渋谷という多くの若者(人々)が集う街においてサッカーをはじめとしたスポーツが根付くことは日本において「スポーツの新しいファンを増やす」ために極めて重要であると考えています。
だからこそチームは憧れの象徴になるべく強化を進め上を目指していますし、渋谷ならではの試みを大切にしながらこれまでの日本に無かった都市型のサッカークラブを作ろうとしています。
dscという会社は「スポーツコンテンツのプロデューサー集団」を名乗り仕事をしています。
サッカー界ではJリーグ、WEリーグ、横浜F・マリノスなどを、バスケ界ではBリーグ、JBA、アルバルク東京などを、他スポーツにおいても日本有数のコンテンツホルダーを顧客としながら、「スポーツの新しいファンを増やす」ことを目指してSNSを中心とした多様なコンテンツのプロデュースに取り組んでいます。
まだまだやれること・やるべきことは無数にありますが、少しずつ成果も出てきた「スポーツファンを増やすため」の仕事を、質・量高く行える組織へと成長をしてきました。
このように渋谷とSNSというフィールドを軸に「スポーツの新しいファンを増やす」取り組みを日々コツコツと続けることで、最終的に目指している「日本スポーツの国際競技力向上に貢献する」ことに繋がる手応えを得ながらも、前述した2021年夏の強烈なインパクトを経てオリンピックのような総合国際競技大会(国際競技大会)における絶大なプロモーション効果を実感しました。
「国際競技大会が日本で定期的に開催されれば、新しいスポーツファンを持続的に増やせるのでは?」
翻って、
「どうすれば日本で国際競技大会を定期的に開催出来るのか」という問いが生まれました。
国際競技大会を研究する
どうすればこれからも国際競技大会が日本で開催されるのか。
記憶に新しいところでは、招致を目指していた2030年冬季オリ・パラ大会が「大会開催への支持が伸び悩んだ」ことも理由のひとつとなり、招致活動を停止するということがありました。
オリンピックのような総合国際競技大会、サッカーW杯のような国際競技大会を招致することは、スポーツ界のみならず様々なステークホルダーを巻き込んだ国家プロジェクトのひとつです。
だからこそ国家戦略としての、政策としての国際競技大会というものに興味を持ち、その全容を捉えて自分にできることを見つけるためにも、まずは研究を進めようということで筑波大学への道へ繋がったというわけです。
前述したとおり学部時代は論文を書いたことも読んだこともなく、研究のケの字も知らなかったところから大学院生活が始まりました。
まずは膨大なインプット量に慣れ、お作法を学びながら、自分の問いの解像度を上げていく段階ですが、これまでひたすらスポーツビジネスの実務においてアウトプットをし続けてきたこともあり、それゆえ逆に新鮮で密度の濃い時間を過ごしています。
パリへ
そしてこの夏は有り難いことにまたしても運と縁に恵まれてパリにやってきました。
近代オリンピックの父クーベルタンが生まれたこの地での1ヶ月の滞在を経て、自分が探していきたいものの片鱗を見つけていきたいと思っています。
この道の先に
さて、この"研究道"を進んだ先にはどんな道が続いているのか。何を目指しているのか。
「色んなことに手を広げすぎじゃないの?」と、たまに近しい人から言われることがあるのですが、個人的には手を広げているというよりも、あくまで「日本スポーツの国際競技力を向上させる」ためのアプローチとして切り札が増えていっている感覚を持っています。これまではSHIBUYA CITY FCとdscという二本の矢で取り組んできましたが、そこに三本目の矢を手に入れつつあります。
プロサッカークラブの経営者・スポーツマーケティング会社の経営者・研究者のひよっこという3つの顔を持ちながら、「日本スポーツの国際競技力を向上させる」ための取り組みを続けていきたいと思っています。
特に研究という領域において、なにかしらご一緒出来そうなことがあったり、ひよっこでも参加してよいコミュニティなどがあればぜひ声をかけていただけると嬉しいです。
研究において特に解き明かしたいテーマは「若者がスポーツに求めていることはなんなのか」です。
先行研究では、今後の国際競技大会実施においても、「立候補の段階から開催都市の住民が参加するような方向に展開しないと、開催都市の持続可能性どころか、オリンピックの持続可能性が危ぶまれる」という指摘があったり、「国際大会のレガシーの継承において若者の関与は不可欠である」といった論点もあります。
「どうすれば日本で国際競技大会を定期的に開催出来るのか」という問いに対して「若者がスポーツに求めていることはなんなのか」という角度から研究を進める予定です。
無論、国際競技大会の開催は日本の論理だけでは決まらないことの方が多いのですが、問いの起点は敢えてここを選びました。
これはまさに自分がこれまでの15年間懸けてきた「スポーツ×若者」のフィールドであり、そこに国際競技大会という要素が加わったこの問いは、30代で追いかけるに相応しいテーマだと思っています。
この道はスポーツ政策という場所に繋がっており、その先には健康政策・観光政策・都市政策・経済政策などが複合的に絡んできます。
「渋谷にスタジアムをつくる」ためにも切っても切り離すこの出来ない話題の数々です。
この道の行き着く先にこんな景色があることを楽しみに。
「日本でサッカーW杯が再び開催され、日本中が熱狂の渦になり、渋谷のスタジアムで日本代表が戦い、SHIBUYA CITY FC出身選手の活躍もあって、日本代表が優勝する」
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