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サッカークラブのつくりかた #11 「SHIBUYA CITY FC 設立10周年」編

2014年2月に産声を上げたSHIBUYA CITY FCは今月クラブ設立10周年を迎えました。

10周年を迎えたいま胸の大半を占めるのは「感謝」の気持ちです。

ファン・サポーターの皆様、パートナー・スポンサー企業の皆様、ホームタウン渋谷の皆様、そしてなにより選手・スタッフのみんな、クラブをこのステージまで連れてきてくれたOBOGのみんな、クラブを愛しクラブとともに歩みを続けてきてくれた全てのみんなに。

全くゼロから始まったこのクラブに集い、情熱を注ぎ、それぞれの立場でクラブの歴史を作ってきてくれた全ての人たちに心の底から感謝の気持ちに溢れています。

前回のnoteを更新してから約3年半。

クラブはさまざまな葛藤を抱え壁にぶつかりながらも、その歩みを続け螺旋状に成長を遂げることが出来ました。

クラブの歴史を後世に残していくためにも、このシリーズの更新も再開していきたいと思います。

2021シーズンのこと

いま思い返しても、2020シーズンは最高のシーズンを過ごすことが出来ました。チームは東京都2部を優勝し東京都1部へ昇格、事業面も好調で売上は前年比3倍超・営業利益率20%を記録するなど、法人化以降の5年間においてピッチ内外で最も成果が出たシーズンでした。

そんな成功体験を経て迎えた2021シーズン。
クラブ名称を「TOKYO CITY F.C.」から「SHIBUYA CITY FC」に変更して意気揚々と乗り込んだ東京都1部の舞台。

開幕前にはクラブの分岐点となった東急株式会社様とのオフィシャルパートナー契約締結の発表や公式マスコットキャラクター『シビット』のお披露目があり、開幕第3戦ではクラブ史上初めてとなる渋谷区でのホームゲームを開催しました。

初めてのホームゲームはコロナ禍の中で入場制限MAXとなる約300名の方々に来場いただきました

順風満帆にスタートしたように思えたシーズンでしたが、最終的にチームは18チーム中7位に沈み、関東2部リーグへの昇格を果たすことは出来ませんでした。

このシーズンはクラブ名の変更を皮切りに、これまでで最大規模の能動的な変化を起こした年でもありました。

プロ監督の招聘・大卒(新卒)選手の獲得・練習時間帯の切り替え(夜練習から午前練習へ)。

一言で表すと、社会人サッカークラブからプロサッカークラブへの本格的な転換をスタートした年でありました。

これだけ大きな変化を起こしたのだから難しいシーズンとなることはある程度予想することは出来ていましたが、結果としてはピッチ内外で予想を遥かに上回る困難の連続でした。コロナにも振り回されプロクラブ化初年度は非常に厳しい一年となりました。

しかし「プロクラブへの本格的な転換」というタイミングはJリーグ参入を目指すクラブにとっていつか必ず迎えることであり、同時に大きな痛みを伴うものであります。そう考えると2021シーズンという「点」だけを見ると苦しかったシーズンであったことは紛れも無い事実でしたが、志半ばでクラブを去らざるを得なかった選手・スタッフたちの努力や意思決定が、その後のクラブの螺旋状の成長に「線」として繋がっていったことは明らかであり、クラブ史に刻むべき重要な1年であったことをここに記しておきます。

CEOから会長に

2021シーズンの終了とともに私はクラブの法人化以後3年間務めていたCEOから会長職へ移行することを決めました。

「時を告げる預言者でなく時計を作る」

100年先まで続くクラブをつくるために、自分なりに最も大切にしていた言葉でした。
法人化して旗を掲げた2019シーズンも、最高のシーズンを過ごした2020シーズンも、変化と苦難に直面していた2021シーズンも、常に頭の片隅はこの言葉とともにありました。

そしてクラブの法人化から3年が経過した2021年の秋、CEOのバトンを渡すことに決めました。

正直このタイミングが最適だったのかは当時は分かりませんでした。苦楽をともにしてきた深澤GMとの別離は個人的にはクラブの歴史の中で最も辛い出来事でもありました。

しかしその一方で、CEOのバトンを繋いでいくことの必要性を最も感じていたのも他ならぬ自分であったことも事実でした。

立ち上げ期や成熟期などクラブのフェーズに応じて最適なCEO像は変化しますが、クラブが0→1の立ち上げフェーズを脱し、倍々ゲームで急成長する時期においては、クラブに全てのリソースを注ぐ人間がCEOに望ましいと考え、私は創業者兼会長という立場となりました。


2022シーズンのこと

2022シーズン開幕へ向けた最大のトピックは、テクニカルダイレクター兼コーチとして戸田和幸さんを招聘したことでした。

戸田さんによる指導が始まってから、チームを取り巻く空気が一変したことを鮮明に覚えています。

現有戦力の特徴と課題を客観的に見定め、選手一人一人へ情熱的かつ論理的な個別のアプローチが始まりました。
クラブが目指すべき理想とするフットボールと現在地のギャップから導き出された身体も頭もハードワークが必要とされるトレーニングは、選手に適切な負荷を掛け、みるみるうちに選手たちがレベルアップしていきました。

その効果はすぐに結果にも表れました。
戸田さんの指導が始まってから約半年の間、公式戦もトレーニングマッチも無敗で(公式戦は1stステージを全勝しました)シーズンの折り返し地点まで辿り着きました。

1人の人物がもたらす影響力で、チームがクラブがここまで変わるものなのかと驚きながら、私自身は会長となったこともありチームから少し距離を置き俯瞰した立場からその行方を見守っていました。

戸田さんのプロフェッショナリズムから多くのことを学ばせてもらいました

しかし順調に見えたチームの裏側では、2021シーズンから始まった「プロクラブへの本格的な転換」に際し大小様々な課題に直面していました。

その都度その都度課題の解決にあたることは出来ていたものの、根本部分の解決をするには至っていないような何か嫌な感覚が消えぬまま、シーズン後半の上位リーグへ突入します。

結果的に上位リーグでは1勝も出来ない苦しい戦いとなったものの、前半戦で蓄えた勝点が功を奏し東京都3位でフィニッシュ。関東社会人サッカー大会への進出を決めました。

この頃、私自身は戸田さんからの強い要請を受け、主に戸田さんとの対話を中心とした形でチームへの関わり度合いを増し、戸田和幸のプロフェッショナリズムを誰よりも近い場所で学ばせてもらいました。

東京都3位として進出した関東社会人サッカー大会では、初戦PKで14-13という死闘を制し2回戦へ進出しましたが、健闘虚しく2回戦は完封負け。関東昇格まであと2勝というところまで迫りながらも涙を飲む結果となりました。

結果としては2年連続で昇格を逃す悔しいものとなりましたが、戸田さんがクラブへ残してくれた「基準」のようなものは、今でも脈々と生き続けています。

クラブを退任した戸田さんはSC相模原の監督に、そしてこのシーズン攻守の要として活躍した國廣 周平もSC相模原へ個人昇格を果たしました。

2023シーズンのこと

新たなシーズンの監督には満を持しての監督挑戦となった増嶋 竜也さんを招聘し、選手の陣容もガラリと若返ったフレッシュな面々で2023シーズンの戦いに挑みました。

このシーズンからほぼ全ての選手がセミプロ契約となり、平日は午前中に練習を行い、午後はパートナー/スポンサー企業様での業務に従事するという生活となりました。これはパートナー/スポンサー企業様による協力無しには成り立ちません。本当に様々な方々が様々な方法でクラブを愛し支えてくださっています。

選手のオリジナルゲーフラまでを作成いただいた"同僚"の皆様

2021シーズンから始まった3年掛かりの大改革をもって、ついに全ての練習に全ての選手が集まる状況を作ることが出来ました。
明確にサッカー選手として上を目指す志を持った選手たちが集まり、自ずと日々のトレーニングの質も向上します。

増嶋監督はクラブや選手との「対話」を大切にしながらラージグループとしてチームをマネジメントし、日々のハードなトレーニングで選手たちを鍛え抜き、誰が出てもレベルが落ちないチームを作り上げました。

また、この年から主に強化面を担当する執行役員に就任した田中裕介の尽力もあり、練習環境の整備や選手の食事に関する整備なども進み、ピッチ内外における準備の質が高まりました。

結果的にリーグ戦は16勝2敗という文句なしの成績でクラブ史上初となる東京都王者に輝きます。

リーグ戦での得点者は合計15人となり、(試合数が違うので単純比較は出来ませんが)クラブにとっては過去最高の数字となるだけでなく、1試合平均得点は前年比8%上昇の「2.4点」、平均失点は前年比38%低下の「0.5失点」といずれも改善され、素晴らしい成績でリーグを締めくくることができました。

そして迎えた関東社会人サッカー大会。

1回戦、2回戦ともにアディショナルタイムの劇的弾で勝ち上がり、勢いを持って準決勝に進出。

「勝てば昇格・負ければ残留」という運命の一戦。

万全の準備で決戦に臨みましたが、セットプレーによる二発に沈み悲願の昇格を果たすことは出来ませんでした。

この試合は千葉県幕張での開催にも関わらず、約300人のサポーターが集まり、大声援で選手たちを鼓舞してくれました。敗戦後、涙を流すサポーターの顔を見て「自分が作ったクラブで悲しい思いをこれ以上させたくない」と強く感じたことを鮮明に覚えています。

結果的に見ると2020シーズンに東京都二部を優勝して一部へ昇格してから、2021・2022・2023と3シーズンに渡って東京都一部で足踏みしている状況が続いています。

しかし、その中身を見ると進んでは戻るを繰り返しながら、クラブは少しずつ螺旋状に成長を遂げてきました。

一見同じ場所にいるように見えても間違いなくクラブとしての力はつきました

失意の2023シーズンを経て別れもありました。

まず、クラブ史上初のプロ契約選手として当時東京都二部のCITYに加入し、以後5シーズンに渡って活躍してくれた阿部翔平選手の退団です。

原宿で加入記者会見兼「渋谷からJリーグを目指す」構想発表会見を一緒に行ったのを皮切りに、ピッチ内外で多くの時間を過ごしてきました。クラブチーム選手権関東予選の与野蹴魂会戦での直接フリーキックや東京ベイ戦での自陣からの超ロングシュートは今でも目に焼き付いていますし、幡ヶ谷で語り合った夜など様々な思い出がフラッシュバックしてきます。濃密な5年間を過ごした阿部選手は一緒にクラブを作ってきた戦友であり恩人といえる存在です。

また阿部選手よりも更に長く(なんと都三部時代から)クラブに在籍した峯達也選手や、クラブの大改革一期生となった大村 俊輔選手・上田 悠起選手といった選手も2023シーズンをもってクラブを離れることになりました。激動の数年をともに戦ってくれた選手たちには、時に迷惑を掛けたり不安な気持ちにさせたと思いますが、前向きな言葉とともに次のステージへ進んでいってくれたことがせめてもの救いです。

退団する全ての選手やスタッフが、クラブに対してポジティブな気持ちをもって離れていくことは現実的にどうしても難しいですが、数年経って振り返った時に、このクラブで過ごした時間が、それぞれの人生において何らかの意味をもたらしてくれていることを切に願っています。

2024シーズンのこと

そして迎える2024シーズン。2024シーズンはクラブにとって創立10周年を迎えるメモリアルイヤーです。クラブを作ってから10年、法人化してから5年が経ち、クラブとして相当に鍛えられ足腰が強くなりました。

当初描いていたスピード感でも無ければ、当初想像もしていなかったような事ばかり起こる毎日ですが、ふと辿ってきた軌跡を振り返るとこのクラブの成長に必要不可欠な出来事ばかりだったのかなとも感じます。

だからこそ、10年間に渡ってクラブを愛してくれた人たちが紡いできたこのクラブの物語を前へ進めていく必要があります。

2024シーズンも増嶋監督体制で悲願の昇格へ挑みます

2024シーズンは増嶋 竜也監督との契約を更新し、チーム作りに継続性を持たします。加えてJFLやJ3から経験豊富な選手を獲得し、過去最高の編成をすることが出来ました。

中でも、渡邉千真選手の加入は大きなトピックスで、J1通算104ゴールを誇る得点力と経験値をチームにもたらしてくれることを期待しています。

また、ピッチの中だけでなくピッチの外においても楽しみな取り組みが開始します。

今年3月より、クラブのオフィシャルトップパートナーであるオーチュー様と共同で渋谷区千駄ヶ谷にある「SCC 千駄ヶ谷コミュニティセンター」の指定管理者としての新たな事業がスタートします。

クラブが渋谷で目指している姿のひとつが「渋谷の街中をスタジアムのような熱狂空間にすること」です。

スタジアムで起こる熱狂・感動・興奮を街中へと持ち込み、街の随所で様々なスポーツコンテンツが同時多発的に行われ続けている状況を目指しています。

もはやプロスポーツクラブのビジネスがスタジアムやアリーナの中だけで成立する時代は終わり、クラブはより広く開かれた存在として、街のプロデューサーとして、都市の魅力を一緒に高めていくという役割が求められていると考えています。(この辺りはCITYフロントスタッフの多くフロンターレ育ちであることも関係していると思います)

ちなみに正社員第一号として採用した社員もこのミッションを持ってもらうことから、クラブにとっての本プロジェクトの本気度が伝わるかなとも思っています。

(余談ですが、パリオリンピックが掲げる「Games wide open」というコンセプトにはクラブと共通項が多いこともあり深く共感しています)

千駄ヶ谷コミュニティセンターはスポーツ施設ではありませんが、今後同様の取り組みを増やしていく予定です。クラブが関わる施設が渋谷の街中で点在するようになったとき、そこで生み出されるビジネスにはとても大きなポテンシャルがあります。渋谷という街のクラブである強みを最大限に活かしながら、渋谷という街の魅力を最大限に高めていく。そんなクラブと街の理想的な関係性に徐々に徐々に近付きつつあります。

これからの話

3年半溜まったエピソードを一気に出そうとすると、どうしてもボリューミーになってしまい、書き切れなかったことも多々ありますが、クラブはさまざまな葛藤を抱え壁にぶつかりながらも、その歩みを続け螺旋状に成長を遂げることが出来ました。

個人的な話で言えば、やっと自分なりの会長像というのが見えてきて、二刀流或いは三刀流でスポーツビジネスに関わっているからこそ出来るミッションに挑戦していこうと思っています。

クラブ経営とスポーツマーケティング会社の経営を続けてきた中で気付いた、スポーツ政策とスポーツ政策人材の重要性。スポーツ界におけるルールメイカーになること、スポーツ界のルールメイカー・アントレプレナーを増やすことの重要性。30代後半はこの辺りのキーワードを自分のミッションとしながら、クラブの物語を前へ進めていこうと思っています。


いまこうして新しいシーズンに再び関東昇格へ挑戦出来る環境にいられることが幸せでなりません。

「挑戦」は自分の意思だけでは成り立ちません。周囲の支えがあってはじめて挑戦出来るということをこのクラブを通して学びました。

SHIBUYA CITY FC は常に挑戦者でありたいし、挑戦者の集まる集団でありたいと思っています。

このクラブの10年間をともに作り上げてくださった全ての方々に感謝をするとともに、これからもSHIBUYA CITY FCの挑戦は続いていきます。

かっこよくて、ワクワクする、そんなクラブを目指して。

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