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「学校に行きたくない」いったい誰が悪いの?

今日は小3娘が学級閉鎖、
小1息子は何だか行きたくないってことで、
二人とも家にいます。


息子に休む理由を聞くと、
わかんないって言う。たいてい。

そこを何とか言わせてみても、
表面的な、というか、取り繕った言葉で返ってくる。

そりゃあそう。まだ6歳。

その言葉にもちろん真実も含まれてるけど、
どうしても、私の都合のいいように解釈することになってしまう。


でも、今日は、そんな話の流れではなかったけど、
ふと本音を漏らした瞬間があった。

聞かれたから答えたんじゃなくて、
言いたくて、言った。

息子の心の声って感じだった。


学校、長すぎ。
だって、休み時間は20分と30分しかないし。
10分しかなくなることもあるし。


そうなんだよね。

息子はもっともっと遊びたい。

もっともっと自由にしていたい。


それは怠けたいのとは違う。

息子に必要な「学び」がそこにあるから
やりたいんだと思う。


風を感じて走り回るのもそう。
ドッジボールで勝ちたいのもそう。

どうやったらもっと速く走れるか
どうやったらうまく逃げられるか
どうやったら勝てるか

それを全力で考えて、試して、修正して、
めちゃくちゃ成長してる瞬間なんだと思う。


図書室に行くのも大好きで、
知的好奇心だってちゃんと持ってる。


学校の大半を占めている
「決められたことをやる」の中に
息子にとっての「学び」はない。


息子なりにめっちゃ学んでるのに、
遊ぶことばっかり考えて、
怠けてるって思われるのは、悔しい。

悔しいと思ったら、泣けてきた。

怠けてるって言われたことはないんですけどね。

なんか、やっぱり
学校や世間に認めてもらえたらいいなって思ってしまう。


息子は、ちゃんと「学び」を欲してる。
成長しようとしている。

その心の動きに正直に生きているだけ。


そこに私がもっと胸を張っていられたらいいのかもしれません。

もーっと信じてあげられたら、息子ももっと楽になるだろうな。


と思いつつ、

私は教員だった。
先生の生態(なんて言っていいのかわからないけど)を知ってる。

だから、どうしても、

簡単に変われるのに、
もっともっと子どもたちの芽を伸ばすようにできるのに、
どうしていつまでもこんな状態なの!?

教育のプロ集団でしょ。
子どもの本当の成長、本当の姿にちゃんと目を向けようよ!

って思ってしまう。


と同時に、

私も教員を続けていたとしたら、
今と同じような視点を持っていたとしても、
たぶん、何も変えられなかったと思う。

先生は先生で、いろんなことに苦しんでいる。

一筋縄ではいかないことは百も承知。



だから、私は今、学校の外にいて、
学校の外だからできることをしてるんだろうな。


そんな話を夫としていて、
自分から出てきた言葉が、


誰も悪くないんだよね。


もう、ほんと、それ。

だから、めちゃくちゃ葛藤する。


息子も娘も悪くないし、
先生も悪くないし、
私も悪くない。


みんなそれぞれ自分の立場で
やれることやってる。


でも、あるんですよね。


本当はこうであってほしい。


本当の本当の願いが。


その願いが集結して、
なおかつ実現可能な方へ進んでいくとしたら、

やるしかない。


教育の活動を続けていて、
「やれる!」って思ってしまったんですよね。


学校がもっと、子どもたちへ本来の学びを提供する場所になるように。

それにプラスして、先生たちの本来の力が発揮される場所になるように。


変わるとしたら、大人である私たち。

中でも、変わってほしいという願いが顕在化している私たち。


「想い」「願い」で繋がっている方たちと、
ちょっとずつでも進んでいきたいな、と思った今日この頃。



話は変わりますが、

これを書いていて、
進撃の巨人を思い浮かべずにはいられなかった。


誰も悪くない。

みんな自分の正義で動いている。

自分の正義のために、戦う。殺し合う。

そして対話しようとする人が出てくる。

でも、対話するために、戦う。殺し合う。


戦うしかないのか?


そんな問いも浮かびつつ、
やれることを、やる。
それしかないのですよね。

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