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この不安感は、子ども時代の「さみしい」からきてる。

おはようございます。

昨夜モヤモヤしたまま寝てしまいました。

息子の態度がしゃくに障り、なんだか許せずに、
一緒に寝たくないと思って
別の布団に入って寝たんです。


いつも二人で入っている布団に
一人で入っている息子。

どんな気持ちだろう。

さみしいよな…


昨日のその瞬間は、
息子の気持ちを想像して
さみしいだろうなとは思いながら
私も気持ちも収まらずにいたけれど、

一晩経って冷静になったら
息子のさみしさをグッと感じて
胸が痛くなってしまった。

(それでも想像の域を脱しない)



本当だったら私はどうしたかったのかな?



息子を一人ぼっちにしたのが苦しかった。
きっと「安心」はなかっただろう。

大人になった私も、基本「さみしい」って気持ちがある。

本当はもっと親に一緒にいてほしかったし
もっと見ていてほしかったし
もっとわかっていてほしかった。

それがいつもなんとなく「不安」に繋がってる気がする。

絶対的な「安心」の経験。
私は「大丈夫なんだ」の経験。

経験というか、体感かもしれない。


だれだって不安になる。

手のひらに人って書いてのみ込むとか、
自分に「大丈夫。大丈夫。」って言い聞かせるとか。

そんな小手先の「大丈夫」じゃなくて

もっと腹の奥の奥にある「大丈夫」という「安心」があったなら。



本当だったら私はどうしたかったのか。



子どもたちに「さみしい」を感じさせない。
子どもたちを「ひとり」にしない(精神的に)。

子どもたちに「絶対的な安心」を感じてもらう。
子どもたちに「絶対的な大丈夫」を育む。

それはきっと、未来永劫、子どもたちを守ってくれるから。

20年、30年経って、今の私と同じ年齢になっても、
いつか、おじいちゃん・おばあちゃんになっても、

必ず子どもたちを支えるものになるから。


これが、本当だったらやりたかったことだ。

言語化して明確になった。


母として、私という人として、やっていきたいことだ。



つい先日、
「後悔しない子育てできてる」って書いた。


昨日、息子を一人ぼっちにせずに
今日整理したことがわかっていて接することができたらよかった、
そういう後悔はあるにはあるけど、

わからなかったんだから仕方ないじゃん、
っていう、
そういう軽い心持ちになれるようになった。


だから子育てがうんぬんじゃなくて、

その部分で未熟だった私が、やっと熟してきた。


ただそれだけなんだと思った。


ただ、だけど、

子ども時代の心の有り様、頭の使い様が
大人になってからも引き継がれるってことはわかるので、

そこは、まあいっか、ではなく
丁寧にやっていきたい。




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