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これからの時代の生き方・働き方

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教員を退職して、地方移住して、我が子の不登校に向き合って、起業して、教育の活動をして、実際にこれまでの生き方・働き方をアップデートする行動をしながら見えてきたものを書いています。
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#自己理解

もやもやするなら、前に進まないなら「言葉にする」しかない

ちょっと前のこと ある人の言葉にイラ、もやっとしたことがありました。 そういう反応をしてしまう自分の側に 何かがあると知っているけれど どうしても相手を責めたくなる気持ちも 湧いてくる。 あの人はわかってない あの人は間違ってる 私は悪くない 私は間違ってない 私自身の心も思考も狭くなってる。 こりゃいかんと思って 違うことに集中しました。 30分後くらいかな。 完全に忘れてたけど ふと思い出して そして、ふと だれも悪くないし だれも間違ってない 私にも

仕事に子育てに縛られず、自分を発揮するために

週末は、群馬から東京に出向き 教育の対話会に参加してきました! 知り合いがいるわけでもないし 土日はゆっくりのんびりしたい 超出不精な私ですが 行ってきましたよー! 社会全体の幸せのために 特に教育の分野で力を尽くす という自分の使命感があるから。 「使命感」は「原動力」です。 私のこの重〜い腰を上げてくれます。 イベント開催するのもそうです。 使命感が助けてくれます。 人前に出る、責任をとる、決断する、とか 私にとってけっこう負荷がかかるもので 実はやりたくな

「すごい」「素敵」と言われる人になりたかった。

私は元教員です。 かつては「教員」というスーツを装っていました。 教員というだけで、世間の目は違います。 「先生やってるなんて、すごいねー」 そして、出産して母親になると、 「ママやりながらフルで働いてて、大変だよね、すごいねー」 「教員」というスーツ 「ワーママ」というスーツ それらをまとっているだけで、「すごい」って言われちゃうんだけど、 私自身、自分を「すごい」なんて思えてなくて むしろ、できていない自分を日々みているのは自分。 教員としては、復帰してす

正真正銘の「本当の自分」で生きる気持ちよさ。

誰しも、周りとうまくやるために、 そして不用意に自分が傷つかないために、 自分を守る鎧を着ています。 自分をそのまま出さない方が 傷つかずに済む。 だけど、それがあると、重くて身動きがとりづらい。 言いたいことも言えないし やりたいこともスムーズにできない。 周りをうかがって 気を遣って 遠慮して いろいろ考えすぎて、こんなにこんなに考えたのに 結局何もやらずじまい。進展なし。 ただエネルギー消費しただけで終わる毎日・・・ もっと自分らしく、軽やかでありたい!

仕事に育児にいろいろに振り回されないために

4月から継続講座をリニューアルして お二人とスタートしました! 先日は小学校の先生とのセッションでした。 この方は、昨年も受講してくださり、 ご自身の大切なものをしっかり掴み ブレない前進力をつけて ものすごく軽やかに前向きになっていきました。 しかし、新年度のことをうかがっていて お疲れの様子。 学校の中って 本当に狭くて「しがらみ」だらけなんだなぁ・・・ と思ってしまいました。 正直私は、恵まれていたのか?鈍感なのか? 先生同士のことで嫌な思いをさせられたとか

何のために生きてるんだろう?何がしたいんだろう?

私は今、心を込めて、そしてがんばって、 発信したり講座をしたり教育の活動をしたりしていますが、 なぜやっているのかというと、 その根っこにあるのは、 「無価値感」がとにかくつらかったこと があります。 自分の存在が役に立っている気がしない ここにいる意味があるのだろうか 周りはみんなすごいのに、自分は全然ダメだ 仕事も家事育児も、 咎められるどころか、よくやってるって言われていたけど、 私自身が自分に価値を感じられなくなってしまい、 本当に本当にしんどかったのです

本来の良さを遠慮せず躊躇せず出せたらいいのに

自己紹介でも書きましたが 本来もっているパワーを出してほしい みんながみんな本領発揮してほしい 出し切れてないなんてもったいない そんな想いがあり、活動しています。 しかし、 本来もっていて自然に溢れるものであるのに なぜ出せないのか? ​ ほんとに、 自分そのまんまで安心していられて 本来の良さを遠慮せず躊躇せず出せたらいいのにって思います。 みんなもっと素晴らしい力をもっている。 「本領」といえるものがある。 なのに、その本領発揮が妨げられている。 本来の

心揺さぶられてわかった、自分の幸せの基準。

昨日の夜から、今朝にかけて、 何度も「泣いた」。 グッとくることが多すぎて。 一つ目、昨日の夜、アニメ「PLUTO」を観て。 二つ目、今朝、息子と話してて。 三つ目、髭男「チェスボード」を聴いて。 PLUTO(プルートウ)は、 人工知能ロボットと人間が共生する世界の話なんですが、 ネタバレになっていたらすみません、 ほぼ人間に近いけれどプログラムされたロボットたちがいて 夫婦だったり親子だったりするんだけど 旦那さんロボットが死んでしまい 気丈に振る舞う奥さん

社会にインパクトをもたらすための表現活動。

教育のイベントのことで走り回ってる 今日この頃。 県の教育委員会、 また県の教職員組合の後援もとれて 着々と進んでいます。 先日は市の教育委員会さんにうかがい 全校の先生方にチラシを届ける段取りをつけてきました。 あーほんとにやるんだな、って 実感。 以前、こんな記事も書きました。 たまたま私は元教員で、不登校の親で、 そんな経歴から、教育の活動が始まりました。 最初は自分サイズで 自分の気持ちがおもむくままに 無理しないことを大前提にやっていて そしたらいろん

大人も子どもも、凸凹を活かしていこう!

昨日、元教員で現在はフリースクールを経営する方と インスタライブをしました。 いろんな話が出たけども、 そこでお互いにそうだよねーってなったのは、 大人も子どももみんな凸凹だよね ってところ。 個性とか、その人らしさとか、 そういうところが伸びていくこと そういうところを活かして役に立っていくことが その人にとっても、社会にとってもいい。 つまり、元々の凸凹を活かすのがいい。 だって、元々持ってるものだもんね。 それが個性であり才能の源だもんね。 今はすんなりそ

「しんどい」は敵?味方?

しんどい! そして、 おもしろい! 今、大きなことにチャレンジしています。 これまで、個人で、教育についてのアレコレ 対話したり学んだりする会をしてきたけれど、 今回は、なんと、 県の教育委員会の後援もとってしまうような 大きなイベントをやることに。 当日までまだあと3週間あるけど、 ここまでの経験を通してめちゃくちゃいろんなことを学んだ。 というか「味わった」。 それを考えると、 実におもしろい! って思ったわけです。 俯瞰して眺めると、「おもしろい」んだけど

見た目じゃわからない。自分の心の中心にあるもの。

先日は、時間に追われ、やることに追われ、 ついに息子に言いたくないことを言ってしまった・・・ という記事を書きました。 仕事も精一杯やれることはやりたい。 自分の役割を果たして 社会に貢献する自分でありたい。 けど、我が子を大切にしたい。 その本当に大事にしたいことを大事にできる自分でもありたい。 その狭間で揺れ動くのって 自分らしさも、その子らしさも、みんならしさも大切にしたいからなんですよね。 こう書くと、我ながら、「なんて尊いんだ」なんて思ってしまった。笑 イラ

唯一無二って面倒だ。

自分らしさ  自分の心地よさ を大事にしていこうって風潮?ありますよね。 ありますよね、って私はそれを言ってる側の人間でもあります。 しかも、発信して、講座とかして、声を大にして伝えてます。 そんな私は、 自分の「自分らしさ」「心地よさ」がよくわからない それを掴むのがとっても苦手でした。 だからこそ、伝えてる、大事なんだと訴えてる。 だいぶ解像度は上がってきたけど いまだに、あれ?ってなる。 それを当たり前にできる人だったら そんなの息を吸うようにできるよねって

「認められたい」が出てきたら

みなさんは、「認められたい」って気持ち ありますか? 私はまぁまぁ強い方で。 教員時代は周りの先生たち、 出産してからはママ友、 起業してからは同じく起業してる人、 の活躍している姿や堂々と持論を語ってる姿を見ると、 うらやましくもあり、 私も何かで認められたい、という気持ちをもっていました。 (もっていましたというか、今でもゼロではない) 道徳の指導担当に任命された時、 えっ、この私が指導するんですか?という自信がない気持ち半分 私も専門をもって活躍できるかもし