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これからの時代の生き方・働き方

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教員を退職して、地方移住して、我が子の不登校に向き合って、起業して、教育の活動をして、実際にこれまでの生き方・働き方をアップデートする行動をしながら見えてきたものを書いています。
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子育てメンターデビュー

デビューなんて書きましたが、笑 研修を受けて 晴れて子育てメンターとなりまして この度、メンターとして初めて 座談会に参加させていただきました^^ 今回はZoomでの開催でしたが とーってもリラックスして とーってもいい時間を 過ごさせてもらいました! いい時間だなぁと思ったのは まず代表のすーさんの 温かい場づくり✨ 相談のようなお話もあるけれど 教える側、教わる側では全くない。 聞きたいこと聞いて 思ったこと経験したことを出し合って わかるー、なるほどーっていう

最高な働き方

私は教員を辞めてから 「天職」を求めてきたんだな、と ふと、思った。 そして今 天職といえる仕事にありつけたのでは と思っている。 今それがしっかり「仕事」として根付くように コツコツとがんばっているところ。 天職といっても やりたいことだけやってるわけでも やりたくないことはやってないわけでもない。 理想を言えば やりたいことだけ・・・がいいけど そうはいかない。 それなりの苦労や努力がある。 悩みだってたくさんある。 まだまだ茨の道を進んでいるような感じ。 教

「人並み以上でいなければならない」という呪縛

昨日 こんな投稿をしたけれど 私は昔から むやみに自己評価を下げて それをセルフイメージとしてもってしまい 自分なんて大した人じゃない 自分は人並み以下なんだな そう思って 自分で自分を苦しめる人だった。 でも、これ、 裏を返すと 人並み以上でいたい ってことなんだなと思った。 子どもの頃から 勉強も運動もできるほうだったし 親の幸せの定義がおそらく 「人並み以上」だったのもあって 人並み以上でいる ということが 私のデフォルトだった。 それがだんだん

母たちが、自己評価を下げないために

夏休みもあと少し。 お弁当作りも、明日まで・・・ お弁当作り、がんばったーーー!!! というのが、 今自分への一番の励ましの言葉。 家族にお祝いしてもらいたいくらいの気分。 けど、正直、今年のお弁当は 「大したもの作れてないな」 というのが 自分の中の評価としてあるんですね。 意識に上がるほどでもないけど どちらかというとマイナスな評価。 がんばったけど イマイチな出来 でも、よくよく考えてみると ここ1、2年息子(小2)は好き嫌いが激しくなり 「あれはや

「自己理解」をちゃんと使おう

私は「自己理解」が好きです。 教員を続けられなくなり 一旦休職して 辞める?どうする?ってときも 退職した後に これからどうする?ってときも 私に光を見せてくれて 延長線上になかった未来をくれました。 自己理解によって 自分の良さや大切なものが よりクリアにわかって 積極的にもなれるし ちょっとやそっとじゃ揺れなくもなってくる 自分はこんなもんじゃない もっとできるはずだと 勇気や励ましにもなりました。 そんな助けてもらったツールでもあったし ハマりにハマりま

がんばり方のアップデート

今週末、教育を語るcafeを開催する。 第4回目。 仲間が増えたのもあり いろいろやっていくためにも 今回は団体登録をして 場所も改めて 仕切り直し感覚での開催。 そのためちょっと気合を入れて 資料を作っている。 気合いが入り過ぎている。 見積もっていた時間を大幅にオーバー。 でも今回は やりたいから 伝えたいことがあるから 自分で納得してやっている。 教員時代は 「やらなきゃいけない」 そう思って身を削ってがんばっていた。 やりたいとか 伝えたいとかじゃない。

教員退職した私が、また教育に首を突っ込む理由

大学卒業して小学校の教員となり なんとかかんとか必死にやっていたけれど ついに学校に行けなくなった。 14年目。 自分に向き合ってみると 自信がない 他者の目を気にして自分らしくいられない 自分には価値がない がんばってみんなに追いつくくらいしかできない 自分がない、言いたいこともない なのに指導しなきゃいけないのがつらい そんな気持ちを抱えながらやっていたことを 改めて認識することになった。 子どもたちや先生方が目の前にいると その本音、弱音に蓋をするしかなかった

自分らしい働き方

「自分らしく働きたい」 子育てに仕事に 役割が増え、責任が増え、 そして時間は減っていく そんな時期が みんなあるのではないでしょうか。 そして 働き方について考え始めます。 私もそうでしたし 周りもそうです。 いっぱいいっぱいだったあの頃 当時3歳1歳の子どもを保育園に預けながら 小学校教員として勤務していました。 5年前、その頃「自分らしく働く」って言葉があったかな? というくらいですが、 今はみんなが目指していると言ってもいいほど 当たり前になっています

カッコいい人たち。

先日、教育イベントの打ち上げをしました。 すごく心地よかったんです 楽しかったんです 何がよかったか考えてみると 答えや結論を出さずに ぐるぐる話してること それがなんとも心地よかった。 例えば、 老いること命が尽きることは自然なこと と思えるのに でも大切な人となると何とかしたくなるよね とか インターネットを使わずに 時間をかけて自分で調べてみることの尊さ けどAI、デジタルの活用 どっちも必要な力だよね 『結論を出さなければいけない』 『これが唯一の

言いたいことが、言えない

最近、記事が書けなくなっている。 というか、 言いたいことが言えなくなっている。 そこにすごくもどかしさを感じていた最近。 なぜ言えなくなっているのか。 教育の活動が勢いづいていて 関わる人が増える 応援してくれる人が増える いろんな課題も見えてくる 自分の言いたいことだけではだめだ みんなの想いを汲まなければ と勝手に「自分」より「みんな」に寄せて 考えるようになってしまっていた からだと思う。 教員を退職して 個人でやっていこうと決めたのは 「自分」を生き

会社に人生を預けるな?勉強しなければ大丈夫?

教員を退職して5年。 強みを活かし開業して3年。 教育界を飛び出して いろんな業界を知り いろんな人とたくさん繋がり 本当に世界は広いな 人生って面白いな と思う。 もちろん 一筋縄ではいかないこともたくさんありますが それも含めて面白いな そう思って生きています。 最近では 心身こわして休職したなんて言うと 驚かれますが その休職こそが私の人生を変えてくれるものでした。 その一つが休職中に図書館で借りた2冊の本。 勝間和代さん 「会社に人生を預けるな」(20

本当の自分を出せない

教員時代は 教員という肩書きがあって 仕事ぶりはまあ評価されていて 特別専門職のような役割も任じられていました。 なので、側から見たら、それなりに「できる人」 で通ってました。 そう思われてるから その評価を崩さないように 時間外にも仕事をがんばり 後輩にもアドバイスしたりして 「できる人」でい続けました。 居心地の悪さも自覚していたし 自信がない自分にも気づいていたけど でも、仕事ってそういうもんだと思っていたし そのやり方・生き方しか知らなかったんです。 「

教員が苦しくなった理由

私は二人の子どもを出産し 35歳のときに 育休から学校現場に復帰しました。 育児と両立しながら働くことが初めて。 また復帰と同時に 新しい職場(学校)へ異動もあり 出張の多い研修も重なって いろんなところでヒーヒーしてました。 でも、目の前の子どもたちには 私の状況は関係ない。 物理的に時間はないけれど 質は落としたくなかった。 また、5クラスの学年で 子育てしながらの同世代が4人。 私が一番年上。 ヒーヒー言ってる カッコ悪い自分でもいたくなかった。 でも実際

ラジオで教育を語ってきました!

FM GUNMA子育て番組「かかあデンパ」 でぐんま教育キャラバンのお話をしてきました! ぐんま教育キャラバンて? 元教員でなぜこの活動を? 教育って?人を育むって? 今後思い描いていることは? 短い時間でしたが ガーっと話してきました!笑    改めて原点に立ち返ると 子育てを通して 「人が育つ」ということへの視野が広がって 100点をとれること 静かにいい姿勢で話を聞けること 運動会で揃った演技ができること それをゴールに指導している学校に そんな狭い教育を